モータースポーツへの情熱が生んだジャガーEタイプ
1975年から週刊少年ジャンプで連載が開始された『サーキットの狼』は「スーパーカーブーム」という社会現象を巻き起こした。その影響は40年の時を経た現在も大きなムーブメントとして受け継がれ、フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニなど、世界各国を代表するスーパーカーは憧れの象徴として君臨し続けている。今回は、同作品の作者である池沢早人師先生が憧れる「ジャガーEタイプ ロードスター」を取り上げる。
池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第18回:作品とは別の世界に存在する、憧れの名車・ジャガーEタイプ」
流麗な美しさの裏に隠された“闘争心”が男心を刺激する
『サーキットの狼』を描く前はそれほどクルマは詳しくなかったのに、なぜだかランボルギーニ・ミウラとジャガーEタイプだけは知っていた。その後、色々なクルマに出逢って『サーキットの狼』の原案が固まっていき、主人公の風吹裕矢の愛車には非力ながらもコーナリングで勝負できる自分の愛車だったロータス・ヨーロッパを与え、ライバルにはポルシェ911“73カレラRS”やディーノ246GT、カウンタックなどを登場させている。
でも、この作品にはロータス・ヨーロッパ以外の英国車はほとんど描いていない。その理由はボクの嗜好が英国車ではなくヨーロッパ車(編注:この場合はイタリア、西ドイツ車)に向いていたこともあるんだけど、当時の英国車には際立ったスーパーカーが存在しなかったことも大きな理由。でも、ジャガーEタイプは少しだけ登場させた。公道グランプリでトップグループに追いついたものの、すぐにクラッシュしちゃったけどね・・・。
個人的にはジャガーEタイプは大好きなクルマの一台で、何度か試乗させてもらったけど、ミウラと一緒でベストコンディションを保ちながら維持していくのは難しいクルマだよね。でも、流麗で繊細なボディはジャガーEタイプの大きな魅力だと思う。
特にロードスターのナデナデしたくなるような美しい弧を描いて流れるテールビューは今でも世界一だと思っている。繊細に組み上げられたワイヤーホイールも色気があって美しいしね。ハンドルやシフトノブ、サイドブレーキは「大丈夫なの?」と思うほど細くて華奢だけど、そこがまた英国的でカッコイイ。
ジャガーEタイプのシルエットは美しく個性的だけど、このデザインに影響されたクルマも少なくない。ボクの愛車だったフェアレディZ(30Z)やトヨタ2000GTもイメージ的には影響を受けていると思うんだ。特に2000GTはウッドの使い方や華奢な操作系パーツ、ロングノーズの美しいボディデザインは英国的。
ボンドカーに使われたくらいだから、日本車でありながらもイギリスの匂いがする。ボクの数少ない国産車遍歴を考えると、隠されたどこかにジャガーEタイプに対する「愛」が秘められているのかもしれないね。潜在意識の中でジャガーEタイプを意識していたんじゃないかな?
ジャガーは「英国紳士のクルマ」ってイメージがあるけど、1950年代はCタイプやDタイプがモータースポーツを席巻していた生粋のスポーツカーメーカーなんだよね。レース好きたちがバックヤードビルダーとしてMGやミニをベースにした頃、ジャガーの圧倒的なパフォーマンスは憧れでもあり、レースの世界で実力を発揮していたのは間違いない。
その後、1980年代の後半にはWSPC(編注:ワールド・スポーツ・プロトカー・チャンピオンシップ)で大排気量のNAエンジンを搭載したジャガーXJR-9がTWR(編注:トム・ウォーキンショー・レーシング)と共に大活躍して世界中に強さを知らしめた。シルクカット・ジャガーと呼ばれたグループCカーはポルシェ、メルセデス、トヨタ、日産、マツダをライバルに圧倒的な強さを示したのは今でも鮮明に覚えているよ。
1987年のル・マンではポルシェ962Cに負けたけど、満身創痍で戦った証としてピットガレージに「We will be back!」の文字をスプレーで残して帰っていったのは感動したねぇ。ある意味「勝負に勝って試合で負けた」伝説のレースだった。
ボクにとってジャガーEタイプは『サーキットの狼』とは別の世界に存在するクルマなんだよね。愛車としては1985年式のXJソブリンに乗っていたことがあるんだけど、これが噂を裏切るほど壊れなかった。当時は「ジャガー=壊れる」って言われていたからね。それもあって、個人的にはジャガーに対するネガティブなイメージは無く、ジャガー社がEタイプを復刻してくれるのなら絶対に手に入れたい。レプリカではなくあくまでもジャガー社のEタイプとしてね。
Jaguar E-Type Roadster
ジャガー Eタイプ ロードスター
GENROQ Web解説:時代の波に翻弄された美しき女豹
ジャガーEタイプはXKシリーズの後継モデルとして1961年のジュネーブショーで発表され、同年から1975年までの14年間に渡りシリーズ1から3までと進化を遂げながら生産された。当時、CタイプやDタイプでレースの世界で活躍を果たしたジャガーはスポーツ色の強いメーカーとして認知されていたこともあり、その名残としてCタイプ、Dタイプからのネーミングを引き継ぎEタイプと名付けられた。
流麗なフォルムが与えられたデザインは名匠マルコム・セイヤーが手掛け、シリーズにはフィクスドヘッドクーペと呼ばれるクローズドモデルとドロップヘッドクーペと呼ばれるオープンエアが楽しめるロードスターが用意された。
モノコックとチューブラーフレームを組み合わせたボディには3781ccの排気量を持つ直列6気筒DOHCエンジンを搭載するも、後に排気量を4235ccへと拡大。最終的にはシリーズ3で5343ccのV型12気筒SOHCへと変更され、そのパフォーマンスを圧倒的なものとした。トランスミッションは4速MTと途中から追加された3速ATをラインアップしている。
ジャガーEタイプは比較的安価なプライスだったためアメリカ市場で大きな人気を得るものの、安全基準の見直しにより数度のマイナーチェンジを余儀なくされてしまう。シリーズ1では2度のマイナーチェンジが加えられ、シリーズ2、シリーズ3への進化を加えると5回のマイナーチェンジを施したが、進化と共にジャガーEタイプらしい繊細さは薄れていった。
メカニカルな部分ではディスクブレーキや4輪独立懸架など、当時としては画期的な設計が施され、ラック&ピニンオンのステアリングはシャープな操作感を実現。シリーズ1では265hp/5500rpmの最高出力と36.0kgm/4000rpmの最大トルクを発揮する3781ccの直6エンジンから始まり、1964年にマイナーチェンジとして排気量を4235ccへと拡大。265hp/5400rpmの最高出力と、39.1kgm/4000rpmの最大トルクへと引き上げられた。
さらに1967年後半から1968年にかけたシリーズ2への過渡期モデルは「シリーズ1 1/2」と呼ばれるなど、Eタイプは相次ぐマイナーチェンジにより複雑化した生い立ちを送ることとなる。1968年には正式なシリーズ2へと進化を遂げ、アメリカでの安全基準を満たすためにヘッドライトやウインカーのデザインが大きく変更された。
1971年にはシリーズ3の発売が開始され、パワーユニットは272hp/5850rpmの最高出力と42.0kgm/3600rpmの最大トルクを発揮する5343ccの排気量を持つV型12気筒SOHCへと変更。このエンジンは227km/hの最高速を発揮し、その後に誕生するXJシリーズやXJ-Sへと継承されることとなる。また、シリーズ3ではクーペモデルが廃止され、2シーターのロードスターと2+2のラインアップへと変更された。
14年という長きに渡り生き続けてきた美しき女豹。その存在は今もなお多くのファンを魅了して止まない。
TEXT/並木政孝(Masataka NAMIKI)
PHOTO/降旗俊明(Toshiaki FURIHATA)
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