英語なんて話せない、メンテナンスも自信なし、その上過度のビビり体質。それでも海外ソロツーリングは可能なのか!? 2016年9月にマンハッタンからカナダ国境ナイアガラの滝を目指した一人旅の模様を記します。
ニューヨーク観光を満喫したのち、バイク旅へ
突然、大粒の雨が降ってきた。ボルトとともに大きな木の下に避難する。ゲリラ豪雨、いやスコールってやつだろうか。行く手はまだまだ先で、途方に暮れる。
昨晩までは3日間、徒歩で気楽にニューヨーク観光を楽しんでいた。
どうしても20代のうちに来たかったニューヨーク。アメリカに留学した知人が帰ってきて「東京はまだまだだね」と放った言葉がきっかけだった。
正直、アメリカかぶれのくそ野郎に怒りを感じたものの、そう思わせたニューヨークという街を強く憧れも抱いた。
自由の女神、セントラルパーク、ウォール街……映画で見たことのある景色が次々と現れる。
何といってもタイムズスクエアのネオンは強烈だった。これぞ、ザ・ニューヨーク!
スパイダーマンが近寄ってきたので、一緒に写真を撮ってもらった。写真を撮ってくれたのはアイアンマンだ。
撮った後にチップを求められた。やっぱり。どうやら彼らの撮影料は20ドルらしい。でも、こんなところでそんなに払いたくはない、ポケットに突っ込んでいた5ドル紙幣を渡し、足早にその場を離れた。
後ろから「ジャパニーズ!ジャパニーズ!」と叫ぶ声が聞こえる。振り返ると、くしゃくしゃの1ドル紙幣を持ちながら、スパイダーマンとアイアンマンが怒っている。
どうやら、渡すつもりだった紙幣を間違えたらしい。すまない、アベンジャーズ。
そんなこんなで、楽しく3日間を過ごしていた、と言いたいところだが、いろいろと問題も発生していた。
まずNYC滞在中の宿だ。エクスペディアで航空券を取ったところ、〈+0円で7泊分のお部屋があります〉と表示され、迷わず選んだホテルだ。
ベッドとロッカーがひとつ置かれただけの質素な部屋。個室だが、トイレとシャワーは共同のものを使う。
最大の問題は、天井がつながっている……こと。
部屋にいると、聞いたことのない言語の独り言が聞こえる。電話でもしているのだろう。それに反応してブチ切れる、また別の言語。カオスだ。
ただ、東京・ニューヨークの格安往復航空券(11万4,560円)に無料で付いてきた宿なのだから、仕方ない。
さらに、問題はほかにも。予約していたレンタルバイク屋から電話があった。僕は英語をまるで話せない、聞く方は特に苦手だ。
何とか分かったのは、予約していたハーレーが使えないということ。
現地で車両を見て決めたい。しかしそれすら、何と伝えていいのかわからん。「OK チョイス トゥモロー アナザーバイク サンキュー!」と何度も言い、通話を切った。
ヤマハ ボルトでゆくアメリカ東部の道
4日目の朝、安宿から脱出を果たした。出がけに部屋数を数えると、たいして広くないワンフロアに83もの小部屋が並んでいた。
この日からは、2泊3日のバイク旅。目指すはナイアガラの滝だ。
レンタルバイク屋に置かれたハーレーはどれも3日間の旅を過ごすのに、不安しか感じないものだった。ホコリがたまり、メンテナンスをいつ行なったのかもわからぬ、何やらカスタムもされているものばかり。
そんななか、一台の日本車が輝いて見えた。ヤマハ「ボルト」! ホコリはかぶっていたが、日本車なら少し安心だ。しかもボルトなら、年式がかなり新しいはず。
その後、保険の手続きを行なったのだが、これもまあ、よくわからない。対人・対物無制限に加入しているのかも怪しい。
不安が高まる一方だ。比較的新しいバイクを選べたものの、僕はメンテナンスに自信がない。エンジン系など大きなトラブルが起きたら、まず対処できない。
というか、持っていたのはドライバー、モンキースパナ、ペンチ、ビクトリノックスのマルチツール、ガムテープのみ。パンクしたら、どうすりゃいいんだろ……と、このときはじめて思う。
最悪の自体が起きないこと祈りながら、ボルトのセルを回した。
地図もろくに持っていない。観光協会的な場所で手に入れた広域地図のみが頼りだ。それでも、アメリカはルート番号だけで行けるだろ、と高をくくっていた。
進んでゆくにつれ、道が何やら首都高みたいな雰囲気になり、パニくる。分岐が次々と出てきて、そのたびに自分がゆくべきルート番号がないことを確認しながら、進んだ。
都市部を抜けたら住宅街へと変わった。ハイウェイを降りて、食事処を探していたとき、スコールに遭ったのだ。
まだ、100kmも走っていないのに、やたら疲れている。精神的に、肉体的にも。
このボルトはカフェレーサースタイルだった。日本では「ボルトCスペック」という名で販売されたものに近い。
跨って一瞬で気づいたのだが、予想していたよりも前傾がキツい。大きなザックを背負っていたから、よりいっそうキツい。
当初、ザックのショルダーベルトを緩めて、リアシートに重量の大半を預けられればと思っていたのだが、甘かった。ザックの底部はまったくリアシートに届かなかった。渋々、キッチリ締め直し、ザックと一体になることを選んだ。
雨はすぐに上がった。ハイウェイに戻り、ひたすら北を目指す。
これまで、アメリカは西部を二度バイクで走ったことがあった。
一度は旅行会社道祖神のツアー取材、もう一度はトライアンフの海外試乗会。いずれも、安心のバックアップ体制で、付いていくだけの気楽な旅だった。
景色がよければ、いいのだが、訪れた西部に比べるといまいち、というか日本の森のような景色が続く。赤土の景色は行けども行けども現れない。けれど、ときどき北海道のような広がりを見せ、爽快感はあった。
何度目かの道に迷った地図タイムで、日が暮れてきた。
しかもまた雨が降っている。ずいぶんと田舎に来てしまっていて、建物もまばらだ。宿、どうすりゃいいんだ……。
いま現在どこにいるのかもよくわからない。わかっているのはマンハッタンよりは、ナイアガラに近いところにいる、ということだけ。
土砂降りの中、あてもなく宿を探して走っていると真っ暗になった。北海道の牧場地帯のような場所をさまよい続ける。
1軒の宿とガソリンスタンド、さらにその宿に空室があったことは僥倖だった。アメリカのガソリンスタンドは、たいていコンビニ的要素を兼ねており、ここもやはりそうだった。ドーナツとハンバーガーを買う。
ナイアガラの滝はカナダとの間にある。ついでに国境を越えてみる!
バイク旅2日目は、すっかり晴れた。
ナイアガラについたのは、14時だ。ナイアガラの滝は、アメリカとカナダの国境にある。どうせだったらバイクで国境を越えてみようと思った。
橋を渡った先にあるゲートは、東京湾アクアラインを渡った先の木更津金田料金所を思わせた。「銃は持っていないか?」と聞かれ、「ノー」と答えるとすんなり通してくれた。
面倒を予想していただけに拍子抜けだが、無事カナダへの入国を果たした。
ナイアガラの滝は圧巻だった。
旅の目的地にふさわしいスケール。かつて訪れたグランドキャニオンも感動したが、ひとりということが相まって、それ以上に感慨深い。
何か記念になるものをと、土産屋でマグネットを買った。米ドルが普通に使えたが、お釣りで返ってきたのはカナダドル。これ、アメリカで使えるのか……。
カナダ滞在時間は、わずか1時間。CASINOの文字に後ろ髪を引かれたが、もう出発しなくてはレンタルバイクを期限内に返せなくなる。明日返さないとバイク屋の定休日の都合で、帰りの便に乗れなくなる。それはまずい。
すんなり来たかのようだが、ここまで800km走っていた。だいたい東京-青森間と同じくらいの距離がある。
ボルトは70マイル(時速112km)巡行がやっとだった。前傾な上、スクリーンもなく、ヘルメットのシールドを忘れるという愚行もおかしていた。ずっと一番遅い右車線の端を耐えながら走るしかなかったのだ。
ただ、バイク自体の調子はいい。鼓動感も心地よく、見た目もかっこいい。ボルトを選んでよかった。
カナダからアメリカへと同じ国境で戻る。今度は銃ではなく「食べ物を持っていないか?」と聞かれた。
やばい昨日のドーナツの残りがザックに入っている……「アイ ハブ ドーナツ」と弱弱しく答えた。
すると、笑い声とともに「Go!」と通過を許可される。どうやらドーナツはセーフなようだ。
バイクで信号待ちなどをしていると、子供がよく手を振ってきた。振り返しながら「ドーユーライク モーターサイクル?」と僕は尋ねる。
しかし、一度として返ってきた言葉を理解できなかった。そのたびに気まずい。愛想笑いを浮かべながら、去るしかない。
バイク旅2泊目はハイウェイから見えたモーテルに無事入れた。ちなみに宿の値段は、初日は45ドル・2日目は65ドルだ。
バイクを無事返して、海外ソロツーリングの緊張を実感する
3日目の昼過ぎ、レンタルバイク屋に戻り、ボルトを返却した。
念願だった、単独アメリカツーリングは、無事何事もなく、終わりを告げた。
そして、僕はこのとき、この旅一番の幸せを感じてしまった。
バイクから解放された安堵感。
なんと情けない。ツーリング雑誌の編集部員(当時)でありながら、バイクを返したこの瞬間が、もっとも自由を感じ、ホッとしている。
僕の周りには、バイクで世界一周を果たしたライターやカメラマンがたくさんいた。
その誰もが、余裕で楽しんでいるような雰囲気だったから、マヒしていたのだろう。
やっぱり、海外単独ツーリングは、大変だ。
せめて、何か突出した力があったら……と思う。
それは英語力でもいいし、バイクのメンテナンス技術でもいい、もしくはどんなことにもビビらず突き進む強いハートでもいいだろう。
思い返せば、世界一周を果たしたライダーは、そういったスキルを必ずひとつ、もしくは複数持っている。
ナイアガラの滝のそばの街で、地元のライダーに話しかけられたのが、大きな思い出だ。
「どこから来たんだ?」
「ニューヨーク」
「はっはっは、ここもニューヨークだぜ!」
最初、何を言っているのかさっぱりわからなかった。地図を見ると、ナイアガラの街「ナイアガラフォールズ」もマンハッタンと同じニューヨーク州だったのだ。
日本で考えれば、東京都心から奥多摩へ行ったようなもんだろうか。しかし、たったそれだけで、最大級の達成感を得ている。
原付の高校生か! と自分に突っ込みたくなった。
でも、きっとそういうことなのだろう。
海外ツーリングは、高校時代の原付ツーリングに近かった。
見たことない地名や景色の連続。その場所の文化やマナーもわからない。パンクしたら、いったいどうすりゃいいんだ……という気持ちはまさに高校生以来の感覚だった。
さて、バイクを返したあと、僕は何をしたか。
ニューヨークシティに戻り、とにかく酒を飲んだ。緊張からの弛緩、ロングアイランドアイスティーが沁みわたる。
翌朝日本へ戻らなくてはならない、この旅最後の夜、スパイダーマンと会ったタイムズスクエアに再び訪れた。
メインストリートは煌びやかだが、一本外れると街灯もほとんどない静かな通りとなる。なんとなく、そちらも見てみたくなり、道をそれた。
すると、屈強な黒人2人が道をふさぐ。
しれっと通り過ぎようとしたが、甘かった。
「CDを買え」と無理やり謎の白いディスクを渡してくる。
僕は「ノーノー」としか抵抗できない。
2m級の黒人が「ファイトファイト」と返す。
応援してくれているわけではなさそうだ。こぶしを握りながらの「ファイト」だから「おめえ、やんのか?おらぁ!とっととCD買えや!」ってところだろう。
当然、チキンな僕はノーファイト。このとき財布に入っていた全紙幣26ドルと謎の白いCDが交換された。
宿に戻り、「これはカツアゲではない、CDを妥当な料金で買っただけ」と言い聞かしながら、悔し涙とともに、買ったばかりの白いディスクを叩き割った。
海外ソロツーリングは、高校時代の気分を呼び覚ましてくれる。
さらにタイムズスクエアは、地元の不良におびえていた小中学生時代をも思い出させてくれた。
最後に、この旅は楽しかったのか、という疑問に答えたい。
29歳のニューヨーク。最高の旅だった、と3年経ったいまも思う。
文・写真:西野鉄兵
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