1985年当時、人気を誇っていたモデルを試乗テスターたちが熱く語ります! 当時の車両を分析する視点、熱量、生々しいコメントをお楽しみください。本来は限定記事なのですが、「前編」は無料公開!
──国内初のDOHC4気筒750!!KAWASAKI 750RS──
日本のオートバイが急激に高性能化し始めたのは1960年代後半から。
ライバル対決! スズキ KATANA / カワサキ Z900RS / ホンダ CB1100RS を乗り比べ!
戦後の混乱期には100社近くあったメーカーも現在の4メーカーに絞られ、イギリス、ドイツ、イタリアといったヨーロッパ製マシンに対抗すべくパワー/操縦性ともみるみる向上し、独創的なメカニズムや個性的スタイリングのマシンが生まれていった。
そういった面では現在のマシンより以上に魅力的なマシンが多く、ボクらのアニキは夢中になった。
アニキがバイクの話をする時必らず登場するスーパーヒーロー。
それはどんなバイクだったのだろう。
KAWASAKI 750RS
国内初のDOHC4気筒750!!
「ゼッツー」の名は今だに不滅!アニキの時代のナンバーワンは、コイツだ!!
最高速度 195km/h
ゼロヨン 12.5秒
(カタログデーター)
エピソード
●見ただけで背中がゾクゾクしたもんさ!
太田安治(本誌ライダー)
昭和32年10月5日生まれ。高校1年でS48年
ZIIがデビューしたのはボクが高校一年の時。
メカのことなんかよく解らなかったけど、何しろデザインの良さにホレボレしたね。
女性的なソフトなラインでさ、機械とは思えない「イロケ」があったんだ。
当時の41万8千円って言えばとても高校生に手の出る値段じゃないよ。
1日のバイト代がせいぜい3千円。
それでも苦労して3年の時に中古車を手に入れたんだ。
うれしくて最初の日はガレージにシュラフ持ち込んで一緒に寝たほど。
乗ってると注目されたなあ。
今のRZVとかGSX-R750なんかメじゃないよ。
「ヒュルヒュル....」というカムチェーンの音と先輩からゆずってもらったヨシムラの集合管のサウンドに酔うために、夜になると第3京浜を全開で飛ばしたもんだ。
ノーマルで乗ってるヤツはほとんどいなかったね。ハンドルを短かいヤツにしてバックステップを自作して、リヤサスをコニーやモンローに換えて.....
欠点はフロントフォークとフロントブレーキくらい。高速コーナーではよじれて怖い思いをしたし、ブレーキもWディスクにしないと不安だった。
あとノーマルのグリップがビニール製で、手のひらが痛くなったり、タンクキャップにキーが無かったりと細かな欠点はあったけど、ショーウインドに映る自分とZIIの姿を見ればそんなこと忘れちゃう。
もう12年以上も昔のマシンだけど、今見てもカッコイイよ。
ZIIほどボクの心を刺激したマシンは他に1台もない。
また乗ってみたい「名車中の名車」だな。
こんな車だった!
●世界の最速!
1969年にホンダCB750FOUR、カワサキ500SSマッハIIIが相次いで登場し、「オーバー200km/h」の時代が到来した。
そして4ストロークで世界最速をめざして造られたのが、DOHC4気筒という当時最高のハイメカニズムを持つ“900ZI”だ。
これは主として対米輸出を考えたもので、日本市場にはボア×ストロークを縮小した750cc版として73年3月にデビューする。
車名の「RS」は「ロード・スター」の頭文字だが、ファンは型式名である「ZII(ゼッツーもしくはゼットツー)」と親しみを込めて呼んだ。
その高性能ぶりはライバルのCB750を大きく越えるもので、その後ヨシムラやモリワキの手によって世界中のレースで大活躍したことでも証明されている。
優美なデザインはそのままに毎年のように改良が加えられたのもZIIの特徴だ。
フロントフォークの剛性アップやダブルディスクブレーキ化ホイールアライメントの変更、パワーアップに併なうリヤのディスクブレーキ化など、いたるところに手を入れられて完成度を高めていった。
750RSからZ750FOURに名称が変り、大幅なモデルチェンジを受けたZ750FXがZII直系としては最終型。
より軽量コンパクトなZ650をベースとしたZ750FX-IIにバトンタッチして1980年、惜しまれつつ姿を消した。
●中古車が欲しい!
ゼッツーの中古は他の同年代のQ車に比べるとタマに恵まれている。
マニアの在庫も多く手に入れやすい1台だが、値段は検付で30万円以上。
KAWASAKI 750RS主要諸元
●空冷4ストロークDOHC4気筒
●746cc●69PS/9000rpm
●5.9kg-m/7500rpm
●230kg
●73年3月
●41万8000円(初期型)
SUZUKI GT380
「サンパチ!」アニキたちは親しげに呼んでいた。
空冷2ストローク3気筒4本マフラー
ラムエアーシステム+SRIS
最高速度 156.52km/h
ゼロヨン 14.89秒
(本誌 FISCO計測)
エピソード
●マカオGPで走ったんだぜ?
荘 利光(国際A級ライダー)
SRTアパッチ社長。
TVの解説も堂にいっている。
サンパチかあ......ありゃいいマシンだったよ。
オレがスズキのワークスライダーだった時にさ、マカオグランプリのノーマルレースにサンパチで出たんだもちろんまるっきりノーマルだよ。
今のNPIIほどの改造もできなかったんだ。
で、マカオGPは公道でやるんだよ。
オレは公道が大得意だからさ、いきなりポールポジションだぜ!でも決勝スタートの時に後ろのマシンにぶつけられてブレーキペダルが折れちゃったんだ。
もちろんそれでも走ったぜ。
バンク角がすっごく浅くてさ、コーナー入るとマフラーやステップがガリガリ。
そのうちマフラーは穴が開くし、ステップは削れて無くなっちゃうしで、ホント、まいったね。
それでもしっかり9位に入ったよ。
エンジンは軽く吹けてよく回ったし、操安性がすなおですごく良かった。
全体にバランスがとれてんだよな。
エンジンの幅が広くてステップがさらにその外にあるからポジションはガニ股でカッコ悪かったなあ。
大柄だし、乗り心地もソフトでツーリング向きだったね。
あと、ブレーキがダメ。
最初のドラムタイプは、ぜんぜん止まんないし、ディスクになってもたいしたことなかった。
当時としちゃマシな方だったけどな。
マッハなんかに較べて全体にしっかりした造りで安心して乗れたよ。
トラブルも少なかったし...。
ただ、点火が3ポイント式なんで狂うと大変だった。
何しろ「サンパチ」って言うとスムーズでバランスのとれたマシンってのが頭に浮かぶね。
今乗ってもそれほど不満は出ないんじゃないかな。
こんな車だった!
●4本マフラー
2サイクル3気筒のカワサキSSシリーズ、4サイクル4気筒のホンダCB-FOURシリーズと、マルチシリンダーが全盛となった71~72年にデビューしたのが先発のGT750と同じく2サイクル3気筒エンジンを持つGT380。
54mmx54mmとスクエアなボア×ストロークは1気筒あたり約124ccで、実際の排気量は371cc。
だが大型車指向の当時は380とネーミングされた。愛称は“サンパチ”。
このマシンの特徴となるメカニズムは「ラムエアー・システム」と呼ばれるシリンダーまわりの冷却方法。
ヘッドフィンにカバーを設けることで発生する負圧を利用し、シリンダーフィン間の熱い空気を吸い出すというものだ。
これによってシリンダーヘッド温度は約8度Cほど下がったという。
また、クランクケース内にたまった潤滑油をシリンダーに送ってオイル消費量と排気煙を少なくするSRIS(スズキ・リサイクル・インダクション・システム)も採用している。
マシンは大柄で、当時の500ccクラスのサイズ。
3気筒ながら見かけのバランスをとり、より重厚に見せるため中央シリンダーのマフラーを途中から2本に分け、4本マフラーとしている。
操縦性は当時絶賛された軽快で安定性の高いもの。
スムースに吹け上がる3気筒エンジンの特性とマッチして大人気を博した。
ただ、ステップやマフラーの位置が低く、バンク角が著るしく少なかったため、ちょっとしたコーナーでも火花を散らし、左右のマフラーには、すぐに「穴」があいた。
当初はフロントドラムブレーキだったが、すぐに油圧ディスク化され、その後デジタルのギヤポジション・インジケータなど、進んだメカを採用、人気を保っていたが、アメリカでの排ガス規制で、4ストロークのGS400にバトンタッチすることを余議なくされ、79年に姿を消した。
最近のレーサーレプレカの200キロの数字と比較はできないが、ゼロヨンタイムは当時としては凄いデーターだ。計測はFISCO。
本誌77年5月号400ccフルテスト・データー集
スズキGT380(B6)
最高速156.5km/h ゼロヨン14.89秒
スズキGS400最高速158.8km/h ゼロヨン15.36秒
ホンダCB400(F1)
最高速162.5km/h ゼロヨン15.16秒
ヤマハRD400最高速159.3km/h ゼロヨン14.44秒
カワサキKH400最高速157.2km/h ゼロヨン15.03秒
最も初期型のGT380。
ドラムブレーキとタンクの形状でそれとわかる。
72年4月ディスクブレーキとなり、GT380Bとなる。
●中古車が欲しい!
中古車市場にはほとんど出廻らない。
入荷しても右から左の状況だ。
タマが極度に少ないため、マニアの間で売られる場合が多い。
本誌売買ニュースにも月に1台ぐらいの絶版希少車!
誰かのうちに眠ってませ んか?価格は程度によるが検無しで10~30万の間。
SUZUKI GT380主要諸元
●空冷2ストローク・ピストンバルブ3気筒
●371cc●38PS/7500rpm
●3.8kg-m/6500rpm
●183kg
●71年12月
■24万5000円(初期型)
HONDA CBX1000
6気筒の奏でるシンフォニーがアニキを酔わせた...
DOHC4バルブ並列6気筒105馬力!
最高速度 227.84km/h
ゼロヨン 11.33秒
(本誌 谷田部計測)
エピソード
●これ以上のメカってないね
福原(本誌)
1万km以上乗った本誌のフクちゃん。
別に自分で持ってたわけじゃなくて、オートバイ編集部で買ったんだ。
で面倒を見てたんだけど、そもそもアメリカで正式発売前に買って飛行機で運び、国内でナンバーつけた第1号車になる。
仕事やなんかで1万kmは乗りましたね。
6気筒のスムーズさと加速感は他のマシンでは味わえないね。
エンジンの幅だけで75cmあるんだから、すりぬけで気を使うけど、乗りやすかったね。
来てすぐに撮影のためにバラしたんだけど、オオタニ・モータープロダクトで手をつける前に2時間くらいお茶のんでジッと見てたんだ。
なんもわからないんだから。
バラすのに3時間、組むのに3時間。
もう朝になってた。
でもそのメカはさすが......と思ったね。
このメカがその後の4気筒CB900Fにそのままうけつがれていったんだ、その後谷田部でテスト、227km/hの最速データをマーク(78年11月号)。
いろいろ思い出のあるマシン、楽しんだ2年だった。
こんな車だった!
●元祖スーパースポーツ
「スーパースポーツの究極」を狙って生まれたのがCBX。
ロードスポーツのネーミング「CB」に秘めたポテンシャル、という意味を込めて「X」が加えられた車名だ。
エンジンは空冷DOHC4バルブの並列6気筒でCV28φキャブレターを6連装し、105PSを発生する驚異的なものだった。
そのデザイン/構成はかつて世界GPで大暴れしたワークスレーサーRC166(DOHC4バルブ並列6気筒250cc)と同じで、世界中のマニアの注目を集めた。
だが、その圧倒的なパワーに対して車体関係が付いてゆけず、81年型からツーリングマシン的な性格を与えられ、大型フェアリングやトランクを装着するようになる。
最終型はツーリング指向の装備で車重272kgとなってしまった82年モデル。
だが、スーパースポーツとしてのCBXは80年モデルまでのノンカウル版だろう。
●ライバルは?
当時のオーバー750ccのスーパーバイクとしてはスズキのGS1000E、カワサキのZ1000、ホンダのCB900F等のDOHC4気筒車が主流だった。
鈴鹿の8時間耐久もそれらをベースとしたマシンの戦いだった。
そのなかで、別格として光り飾いたマシンがCBX1000の6気筒だった。
●中古車が欲しい!
今回の特集の中では最も入取困難なオートバイだが、今月の売買ニュースにも98万円で載ってるよ。
HONDA CBX1000主要諸元
●空冷4ストロークDOHC6気筒
●1047cc
●105PS/9000rpm
●8.5kg-m/8000rpm
●247kg
●78年
■輸出者
HONDA CB400FOUR
「1本マフラー」がアニキの自慢!
市販車初の4into1集合付400c.c.
最高速度 162.54km/h
ゼロヨン 15.18秒
(本誌FISCO計測)
エピソード
●フォアにヨシムラ集合が最高ね
片岡聖子(読者・モデル)
バリ島で日焼けしてマッ黒の聖子ねーちゃんだよ。
どうしても欲しかったの。
友達がフォアのヨシムラ集合にのってて、カッコと音が良くてねー。
3年前にO誌の売買らんで見つけて、即、電話。
相手の人もマニアで、すごく程度のいいフォアを車険1年付きで23万円で買えたの。
すぐに、ヨシムラの集合つけてね、ライトはシビエ、ウインカーは白。
ぜったいのお気に入りは、まずヨシムラの音、それからマフラーのライン(4into1、美しいよねー)、それとカッコイイ形したタンクね。
街中を走ってると今でも注目の的だもん最高ね!
クラッチが重たかったり、遅かったり(今のマシンに比べちゃうとね♡)するけど、今は買いかえる気はまったくなし。
セカンドバイクとしてなら他のが欲しいけど、フォアはずーっととっておきたいな。
「箱スカ」といっしょで、私の宝物。
こんな車だった!
●免許改正、時代のおとし子
1973年までホンダの4気筒シリーズは750、500、350というラインアップだったが、74年から750、550、400に変わった。
その時、今だ人気の劣ろえないCB400F(通称ヨンフォア)が生まれたのだ。
短かくて低い「コンチネンタル・ハンドル」や市販車初の4into1タイプの「集合マフラー」、リンクを介して後退したバックステップなど、当時「カフェ・レーサー」と呼ばれたデザインと装備で登場したが、発売されている間はそれほどの人気モデルではなかった。
が、75年10月の道交法改正でいわゆる「ナナハン免許」が出来ると、このマシンの持つ4スト4気筒というメカニズムがクローズアップされ人気が集中、ホンダ側もボアを1mmダウンして408ccから398ccとしたCB400F-Iを発売し、さらにブームに拍車をかけた。
そして77年にOHCツインのホークIIにバトンタッチするが、メカニズム的にもデザイン的にも地味だったため、かえって400F人気をあおる結果となり、それが現在まで続いている。
●中古車が欲しい!
絶版になってから人気が急上昇し一時は新車価格より高かったが、最近は程度によって値段もまちまち。
検残1年で25万円ぐらいから。
HONDA CB400Four主要諸元
●空冷4ストロークDOHC4気筒
●408cc
●37PS/8500rpm
●3.2kg-m/7500rpm
●183kg
●74年12月
■32万7000円
KAWASAKI 500SS
「音速の世界へ 行ってくるぜ!」と白煙の向こうにアニキは消えた......
空冷2ストローク3気筒、60馬力!!
最高速度200km/h
ゼロヨン 秒(カタログデーター)
エピソード
●命のスペアが必要だ
真田哲道(本誌テストライダー)
若い時はいたってまじめだったという哲ちゃんです。
初期型のマッハはものすごくピーキーでね、乗る時の天気や温度でエンジン特性が変るほどだった。
もうレーサーと同じだったよ。
交差点のまん中でいきなりサオ立ちになったり、カブってエンストしたりなんて当り前。
そのくせ「コノヤロー!」ってブレーキかけても止まんないし、150km/h以上じゃヨーイングが出てまっすぐ走れないんだ。
もう「怖ろしい」のひとことだね。
「それだけに魅力があったんじゃないかに?
「マッハに乗ってる」ってだけで仲間から尊敬されたし、そのころの暴走族もからんでこなかった。
マッハに乗る時はスペアのプラグと工具一式を持つのが常識だったんだぜ。
今はそんなメチ ャクチャなマシンないだろ?
「フライング」って知ってるかな?
シートの上に腹ばいになって足を伸ばすんだ。
スーパーマンが空を飛ぶみたいにさ。
マッハでフライング決めて白煙をまけば、それだけで自分がスターになった気がしたよ。
こんな車だった!
●人気の秘密は爆発的なパワー
「発進加速を世界最速のものとする」これがマッハの開発テーマだった。
そのためには軽くてハイパワーなエンジンが必要。
その結果採用されたのが2ストローク・3気筒という独特のレイアウトなのだ。
1969年、CB750FOURの後を追うようにデビュー、カタログデータは200km/hの12・4秒というすさまじいもの。
しかしホットなエンジンに対し、車体回りは問題が多く「曲がらない、止まらない、まっすぐ走らない」と評された。
にも関わらずマッハの人気は続く。
ディスクブレーキの装着、エンジンマウントの変更(ウイリー防止のため)、フレームの剛性アップなど、毎年改良が加えられて完成度を高めたが、パワーは徐々に落とされ、キバを抜かれて行き、78年に生産が中止されてしまった。
●中古車が欲しい!
マッハと名が付く500SSは完全にタマ不足。
特に写真のカラーの69年型はまず無い。
比較的入手しやすいのは73年以降のH1型、その後のKHシリーズだ。
通称“ケッチ”の350、250もマッハの伝統を受けつぐ人気Q車だ。
KAWASAKI 500SS 主要諸元
●空冷2ストローク・ピストンバルブ3気筒
●498cc●60PS/7500rpm
●5.85kg-m/7000rpm
●174kg
●69年9月
■29万8000円(初期型)
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