現在位置: carview! > ニュース > 業界ニュース > 同じクルマなのに車名は違う? 知られざる帰国子女なOEM車8選

ここから本文です
業界ニュース 2019.8.5

同じクルマなのに車名は違う? 知られざる帰国子女なOEM車8選

  • みんカラ つぶやく
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

イメージの違いから不発も多かった

 最近増えているのが、OEM車。OEMとは相手ブランド生産などと訳されるもので、要は別のメーカーのために製品を作ることを指す。クルマの場合、軽自動車や商用車を中心に活発化しているので、馴染みはあるはずだ。

    令和だから振り返る! 昭和に一時代を築いたのに平成になって消滅したクルマ5選

 しかし、そのOEM車のなかにも、不思議な存在というか、簡単に言ってしまえば地味すぎるOEM車というのがあるし、メーカーにとって仕方がなしに扱ったたんだろうなという車種もある。このパターンというのは探すとけっこうあるのだ。今回は数奇な帰国子女車を紹介しよう。

トヨタ キャバリエ

 シボレー、つまりGMからの供給で日米貿易摩擦解消の一環として、トヨタが扱ったもの。通常、車名ぐらい変えるがこちらはそのまま使用され、アメリカでもシボレー・キャバリエで売られていた。

 ミディアムクーペなのだが、エンジンは中途半端感の否めない2.4リッター。もちろん2ドアなのだが走りもピンと来ないため、売れるはずもなく。。。所ジョージを起用して、黒キャバ、金キャバとCMも打ったものの、さっぱり不発だった。

スバル トラヴィック

 こちらもGMがらみだが、一時スバルはGMグループと関係が深かったことと、ミニバンがなかったこともあって、導入されたのがスバル・トラヴィック。オリジナルは同じGMグループのオペルで、ザフィーラと呼ばれていたのだが、なんとオペルは当時、日本で売られていたのでオペル版とスバル版が存在することになった(エンジンの排気量は違った)。

 タイ製で安価な価格設定もあったし、出来もよかったのでトラヴィックはまずまず売れたと記憶している。

ホンダ クロスロード

 1990年代前半にローバー社と提携していたホンダ。その関係を活かして、クロカンを充実させるべく導入されたのが、クロスロードである。

 下写真の2代目は最近まであってご健在であり、自社開発・生産だったが、初代はランドローバーのディスカバリーそのもの。ディスカバリーは日本でも売っていて、ブランドに差がありすぎたのか初代クロスロードはさっぱり売れず。ちなみにクロスロードの前はジープのチェロキーをそのまま、ホンダで売っていた。

 その逆もあって、ホンダ車をローバーブランドで、213や416として販売。ホンダとしては高級車作りという点で収獲はあっただろう。また帰国子女ではないが、いすゞのビッグホーンなどもOEM提供してもらっていた。

シボレー クルーズ

 スズキもリーマンショックまではGMと関係があったことで、誕生。中身はスイフトながら、デザインはシボレー側が行ったクルマで、ハーフの帰国子女といったところか。

 その後、ワゴンRにボウタイマークを付けた”MW”が登場したのは驚いた。なお、スズキではアストロやトレイルブレーザーを扱っていたのはあまり知られていないかもしれない。

マツダ ロードペーサー

 センチュリーやプレジデントのライバルとして登場したのがロードペーサー、当時のマツダには自主開発する余力はなく、オーストラリアのホールデンからボディを輸入して、ロータリーエンジンを載せて作られた。

 ただ、いすゞはステーツマンデビルという車名で、ベース車をそのままホールデンから輸入して販売。ちなみにジャック・ニクラウスを起用したカタログも作っていたほどで、力は入っていたものの、もちろんどちらも売れなかった。ただし、マツダのロードペーサーは今でも話題になることが多く、歴史には名を残したクルマと言っていい。

フォード・フェスティバ

 フェスティバといえば、キャンバストップが大ヒットになったのでご存知の方も多いだろう。フォードとは言え、すべてマツダ製で、”日本語しか喋られない外国人的”なクルマといったところか。

 最終的にはアメリカでも販売されたし、韓国の起亜でも作られ、なんとこちらにはトランクを付けた3ボックスのセダンもあって少数ながら日本でも販売された。

いすゞ ジェミニ

 デイズとeKワゴンのように例外はあるが、通常、OEM車はまずメインになるメーカーが作って、それを「うちはこのクラスが弱いから供給して」というのが多い。最初から、みんなで分かち合うことを想定して作られたのがジェミニで、GM、オペル、いすゞでベースをひとつにして、それぞれ作り分けるワールドカー構想というものに基づいて誕生した。 街の遊撃手の2代目も同様だ。いわば3つ子で生まれたけど、ひとりだけ日本育ちといったところ。またヤナセで、ピアッツァ・ネロやPAネロが売られていたのもGM絡みだったからだ。

三菱 コルト

 こちらはクルマそのものではなく、当時提携していたダイムラー・クライスラーの関係で、骨格のみスマートフォーフォーと共通化していたという珍しいパターン。

 2台並べてよく見ると真ん中部分が一緒という不思議な感じだった。ちなみに三菱がメルセデスを売っていたのは、この関係のためであった。

  • みんカラ つぶやく
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

(Auto Messe Web 『Auto Messe Web編集部』)

コメントの使い方

みんなのコメント

ログインしてコメントを書く

  • c5h*****|2019/08/05 21:24

    違反報告

    フェスティバは友人が乗ってて、何度か運転させてもらいましたが、一見女性ユーザー狙いか?と思いきや………以外にもキビキビしたハンドリングでけっこう楽しい車でした
    乗りやすいし、サイズ的にもパワーは必要充分
    悪いイメージは全くないですね
  • tor*****|2019/08/05 21:35

    違反報告

    トップギアでネタにされてたね
    イタリアと日本のメーカーで共同制作して、欧州の人は当然イタリアデザインの日本品質の完璧な車ができると思ったら
    イタリア製を有り難がる国民性のマーケティングのせいで、日本デザイン、イタリア品質というゴミが出来上がった話
  • jin*****|2019/08/05 21:15

    違反報告

    「シボレー・オプトラ」も、セダンとステーションワゴンがスズキから販売されたGMのグローバルカー。
    当時のスズキはGMと提携下にあり、ステーションワゴンは、カルタスワゴンの後継として期待された。
    さらにデザイナーがピニンファリーナということでスタイリングも大いに期待された。
    しかし、フタを開けてみると「GM大宇・ラセッティ」そのもので、極めて凡庸なセダンとワゴンだった。
    右ハンドルに合わせて、豪ホールデンで製作されたものが日本に輸入されていた。
    スズキのグローバルカーには「スイフト」や「スプラッシュ」のような佳作もあるが、このオプトラは残念な会社が製作したため、当然、内容も残念そのものだった。
    また、アメリカでは「スズキ・フォレンツァ」の名称で販売されていた。
    もしかすると、スズキの黒歴史かも知れない。

(株)カービュー関連サービス

メールマガジン メールマガジン

愛車無料一括査定

あなたの愛車今いくら?

車の種類を選択
事故車 商用車
お住まいの郵便番号を入力
-
※郵便番号がわからない方はこちら

※(株)カービューのページへ移動します