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業界ニュース 2019.7.8

令和だから振り返る! 昭和に一時代を築いたのに平成になって消滅したクルマ5選

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名前すら聞かなくなったモデルも

 新元号「令和」も徐々に慣れてきたのではないでしょうか。ひとつ前の元号「平成」の出来事は覚えているでしょうが、「昭和」のことは徐々に忘れつつあるかもしれません。クルマの通称名も栄枯盛衰。昭和の時代から令和まで生き残った車種もあれば、令和を見ることなく平成で消滅した名前も少なくありません。ここでは、昭和に一世風靡しながらも令和まで残ることができなかったクルマを振り返ってみましょう。

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ホンダ・プレリュード(2001年 販売終了)

 昭和の「デートカー」として爆発的なヒットとなったプレリュード。1978年誕生の初代はアコードのクーペ版といったキャラクターだったが、1982年のフルモデルチェンジでリトラクタブルヘッドライトを採用したことで、一気にスペシャリティカーとしての地位を確立した。

 サスペンションは、贅沢にも前後ダブルウィッシュボーン式。アンチロックブレーキ(5段階にブレーキ圧を制御する仕組み)を採用したほか、1985年のマイナーチェンジで2リッター直4DOHCエンジンを積んだことで、当時大活躍したF1とのイメージを重ねたことも印象深い。

 そして、1987年にフルモデルチェンジした3代目は全方位にブラッシュアップ。前後タイヤを機械的につないだ四輪操舵システムを採用したことでも話題となった。その後、4代目モデルは耐久レースで活躍、5代目ではフロントに左右駆動力配分デフ「ATTS」を設定するなど走りを磨いたが、リトラクタブルヘッドライトのイメージが強かったのか、徐々に存在感を失い、2001年に販売終了となってしまった。

日産グロリア(2004年 販売終了)

 国産高級車の黎明期に生まれ、紆余曲折があって2004年に途絶えてしまったのが「グロリア」だ。車名は日産のモノではなく、もともとはプリンス自動車(富士精密工業)が1959年に生み出した国産初の3ナンバー車に使われた名前である。

 その後、プリンスが日産に吸収合併されたことに伴い、3代目からは日産グロリアとなり、4代目では日産の同クラスモデル「セドリック」のバッジエンジニアリング兄弟車となった。とはいえ「セド・グロ」の愛称で呼ばれるようになると、トヨタ・クラウンの好敵手として人気を二分したのだ。

 昭和の末期にフルモデルチェンジした8代目Y31型ではV6ターボエンジンを搭載。グランツーリスモと名付けられたスポーティグレードが人気を博したのは輝かしい歴史の1ページだろう。その後、スポーティな高級サルーンというキャラを磨いていったが、2004年秋に「フーガ」というブランニューモデルに統合され、いずれの名前も消滅してしまった。

日産プリメーラ(2005年 販売終了)

 昭和の時代に開発の種がまかれ、平成に変わってから実になった「世界最高のハンドリング性能を持つFWD(前輪駆動)を目指した」クルマがプリメーラだ。デビューは1990年、日本とヨーロッパで販売されたが、フロント・マルチリンク式サスペンションが生み出すシュアなハンドリングは「日産が作った欧州車」という表現で高く評価された。

 エンジンは1.8リッター、2リッターの自然吸気。派手なパワーユニットではなかったが、シャシー性能がエンジンに勝るスポーティカーとして認められた国産車として記憶に残る。1995年に誕生した2代目モデルはキープコンセプトで、当初のパワーユニットは初代からのキャリーオーバー。フロント・マルチリンク式サスペンションは、より洗練されたものになった。

 また、プリメーラはビッグマイナーにより直噴エンジンやCVTといった最新技術でパワートレインが一新されたこともトピックスのひとつ。同時期に登場した2リッターエンジン「SR20VE」は可変バルブタイミング&リフト機構を備え、最高出力190馬力を発生した。

 1999年、日産が経営危機によりルノー傘下に入ったのち、2001年に生み出された3代目プリメーラは、それまでとは異なるデザインコンシャスな内外装に、プリメーラ伝統の硬派な走りのメカニズムを投入。もともと欧州向けモデルという位置づけであったため、ルノー・日産アライアンスの中で、ポジションを失い、残念ながら2005年にモデルライフを終えてしまった。

マツダ・ファミリア(2004年 販売終了)

 令和になって登場したマツダの新型モデル「MAZDA3」は、それまで「アクセラ」と呼ばれていたCセグメント車の改名といえるものだが、ルーツといえるのは「ファミリア」だ。その名前は、いまでもOEMの商用バンに生きているが、昭和の時代にはポピュラーなファミリーコンパクトだった。とくに1977年に誕生した4代目ファミリアは、ヒット映画「幸福の黄色いハンカチ」の中でロードムービーに欠かせない登場人物たちの乗るクルマとして存在感を示す。

 そして、第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した5代目は「赤いファミリア」が社会現象となり、若者憧れのクルマという地位を確立。続く6代目では日本車初のフルタイム4WDを搭載、WRCにも参戦するなどした。7代目はそうしたスポーツ性を継承しつつ、確実にレベルアップしていく。

 こうしてスポーティハッチバックとして確固たるポジションを得ていたファミリアだが、1994年に誕生した8代目においてアバンギャルドなスタイリングを採用したことが裏目に出てしまい販売は低迷。結果的に9代目を最後に「ファミリア」の名前は乗用モデルから消滅してしまった。

 なお4代目から海外では「MAZDA323」という名前が使われていた。MAZDA3という名前は、まさしくファミリアの正統的な後継車であることは明白だ。

スズキ・セルボ(2009年 販売終了)

 スズキ「セルボ」の名前が生まれたのは1977年。かのジウジアーロデザインであることでも知られる360cc時代の名車「フロンテクーペ」を550ccの新規格に合わせたといえるモデルだ。この初代セルボはRR(リアエンジン・後輪駆動)レイアウトだったが、2代目はアルトと共通のFFプラットフォームとなったが、スペシャリティなクーペスタイルは継続された。

 550cc時代最後のセルボも、グラスルーフを持つスペシャリティカー。CMキャッチから「横丁小町セルボ」の愛称で親しまれたが、1990年に軽自動車規格が660ccに拡大したこともあり、「セルボ・モード」にバトンタッチする。デビュー当初は軽自動車初の4気筒DOHCターボエンジンを搭載した3ドアボディのフラッグシップグレードを前面に押し出し、スペシャリティなモデルあることを強調した(のちにNAエンジンや5ドアも追加される)。

 そして、1998年に軽自動車規格が再び改正され、ボディサイズが大きくなったタイミングでいったんセルボの歴史は途絶えたが、2006年に今度は3気筒直噴ターボエンジンを最上級グレードに搭載するカタチで復活。そのスタイリングから、最後までスペシャリティモデルであることを貫いたが、時代のニーズに合わず、2009年にひっそりと生産終了してしまった。

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(Auto Messe Web 『Auto Messe Web編集部』)

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