日本初、世界初を謳ったクルマの装備やメカニズム。そのなかで、画期的ではあったけれど、いつのまにか廃れてしまった、数奇な運命を辿った装備やメカニズムが存在する。
時代を先取りしすぎたのか、コストが高すぎて普及しなかったのか、はたして廃れてしまった理由はなんだろうか? 昭和40年代生まれのモータージャーナリスト、野里卓也氏が解説する。
【消費期限切れは致命的】急告!! クルマの消耗品の寿命は案外短い!!!
文/野里卓也
写真/ベストカー編集部 ベストカーWEB編集部
■日本初の5バルブエンジン/三菱ミニカ(1989年)
こちらがミニカダンガン(写真はZZ-4)。軽自動車らしいルックスだが中身は野獣だ。日本車初の5バルブエンジンを搭載、三菱の力の入れようは相当なものだった
まずは、エンジンの話から。登場当時、量産車では世界初という触れ込みで華々しくデビューしたのが軽自動車の三菱ミニカに搭載された5バルブエンジンの3G81型エンジン。
しかも、大排気量ではなく550ccという排気量で実現したから驚くほかない。さらにターボを搭載した『ダンガン』グレードは自主規制いっぱいの64ps/9.8Kgmのスペックをたたき出していたのだ!
この3G81型エンジンのあとにはトヨタがカローラレビン(AE101)の4A-GEで実現し、輸入車ではVWやアウディでも5バルブのエンジンを採用した実績があった。
バルブ自体の慣性重量を減らしつつ、少しでも多く吸気をするために吸気3、排気2のマルチバルブ化が図られ、2本のカムシャフトが当時の三菱お家芸のローラーロッカーアームを介してバルブを駆動するというものでした。プラグは5つのバルブの中央に配置
さて、その5バルブの内訳だが1気筒あたり吸気3、排気2という構成。これはエンジンの吸排気バルブひとつひとつを大きくするよりも、バルブの数を増やすことで開口面積を拡げて、吸気効率を高めて出力の増加を図るという目論見があった。
ところが、実際には想定していたよりも拡張した分の吸入量は得られず、開発・設計で苦労した割には効果が少ないということが判明。
また、バルブが増えたことで駆動力や摩擦抵抗の増加も無視は出来ず、これらの抵抗を上回る出力を実現できないと採用する意味がなくなってしまうのと、量産ラインでの穴開け加工など4バルブエンジンよりも当然工程が多くなってしまう。
それでも採用に踏み切ったのは当時、メーカーの技術の象徴的な意味合いもあったのだが……。現在では廃れてしまった技術に。
ちなみに現在は燃費と効率の追求でロングストロークのエンジンが主流。高回転域まで回して出力を求める時代は終わり、馬力が欲しいならターボで補えばいい、ということで多バルブの必要性はなくなっているのだ。
■世界初の世界最小排気量の1.8L、V6エンジン/ユーノスプレッソ(1991年6月)
■さらに約3カ月後の1991年10月にはそれを上回る世界最小の1.6L、V6エンジンを搭載した三菱ランサー6、ミラージュ6が発売!
1991年6月にデビューしたユーノスプレッソには世界初の世界最小1.8L、V6エンジンが搭載された。K8-ZE型エンジンは140㎰/16.0kgmを発生
今度は小排気量ながらV6エンジンという超贅沢なエンジンの話。当時はマルチシリンダーが流行っており気筒数が多い=高級車という風潮があった。
そんな時代だからご多分に漏れず各メーカーがしのぎを削り、小さい排気量でしかもV6エンジンを作ってしまったのだ。
それがユーノスのプレッソと三菱ミラージュ6。V6だとFFへの搭載性が良いということで、小さな高級車を目指してユーノスはクーペのプレッソに、三菱はセダンモデルのランサー6、ミラージュ6に設定してきた。
1991年10月、ランサー6(ミラージュ6にも搭載)に搭載された、世界最小の1.6L、V6エンジンは140㎰/15.0kgmを発生
マルチシリンダーということで燃焼間隔が短くなるのでスムーズさは格段に向上するのだが、その反面トルクは小さくなり、気筒数が増えた分ピストン&シリンダーをはじめとした摩擦抵抗は増えてしまい、燃費はそんなに良くないというデメリットが生じてしまう。
よって、スムーズなのは良いが同クラスの4気筒モデルと出力や燃費で大きな差がないことが露呈しまったのと、部品点数の多さや機構の複雑さでトラブルも少なからず発生……。
さらにいうとエンジンにお金をかけた分、ほかにはお金がかけられなかったのか、内装だけが廉価版みたいなモデルになってしまった(ミラージュ6ロイヤル)。
メカ好きにたまらない「通なクルマ」だが、エンジンだけではウリにならないという見本になってしまった。
ちなみに気筒数とひとつのシリンダーあたりの排気量には「ちょうど良いバランス」があって、今だと6気筒は2.5L以上、4気筒だと1.5L以上でないと効率が悪いようだ。軽だと今は3気筒のみだ。
■日本初のスペアタイヤ空気圧警告灯/6代目R30スカイライン(1981年)
1981年に発売されたR30スカイラインの5ドアハッチバック車
装着されているタイヤの空気圧警告灯は珍しいものではないが、スペアタイヤにまで空気圧警告灯を取り付けた例は珍しい
日本で初めてスペアタイヤに警告灯が付いたクルマはR30型スカイライン (1981年6代目) の5ドアハッチバック車。
実は、この5ドアハッチバック車には日本初の省スペース型テンパータイヤがスペアタイヤとして装着されたのだが、そのスペアタイヤに空気圧警告灯が日本で初めて装着されたのだ。
さすがにテンパータイヤにまで空気圧警告灯まで付けるのは贅沢すぎるのだろう、消えたのは当然かもしれない。テンパータイヤにしても現在、ランフラットタイヤやパンク修理キットにとって代わられてきている。
■日本初のオートスポイラー/スカイラインスポーツクーペ(1986年)
スカイラインクーペに設定されたGTオートスポイラー(1986年スカイラインクーペ)は効果はともかく、スカGファンはGTオートスポイラーにシビれた。GTS-Rは固定式に変更
さて、次は日本初のオートスポイラー。フロント下部に備えたスポイラーが電動で展開・収納されるという装備で、スカイラインの2ドアクーペに初採用。
時速70キロになるとスポイラーが下降して、50キロ以下になると自動で格納するというクルマ好きの琴線に触れるアイテムでスイッチ操作で任意に下ろすことも可能だった。
これもまた当時はエアロパーツが大流行りしていた時代で、なにかというと「Cd値」(Constant Dragの略。空気抵抗係数・数字が小さいと空力性能が高い)を引き合いに出して、エアロ効果をさかんアピールしていた。
同様の装備では三菱GTO(1990年)にも採用されていたほか、後年には80スープラ(1993年)にも同様のシステムが採用されていた。
アクティブエアロシステム (1990年GTO)。 R31スカイラインクーペが採用したGTオートスポイラーの進化版といった装備がこれ。速度に応じてフロント&リアスポが自動で動く
さて、現行車ではホンダS660以外、その手のエアロパーツは見かけなくなってしまったが、今はコンピュータシミュレーションで空気の流れが机上で解析できてしまうこともあり、おおげさなエアロパーツは必要性がなくなった。
でも、空気抵抗を減らすことについてはかなり取り組んでおり、現行のプリウスでは0.24というCd値を実現。
1993年に発表されたスープラが当時0.30という数値をたたき出していたが、それよりも小さい数値を記録しているのはまさに空力の進化といえるだろう。
■世界初のフェンダーミラーワイパー/日産レパード(1980年)
たしかにドアミラーなら手を伸ばせば拭けるが、フェンダーミラーは手が届かないため、ワイパーは有効に思えるのだが、それにしても贅沢だ。ちなみにこの後、ドアミラーに世界初の電動ワイパーが装着されたのは1988年登場の初代シーマ
バブル経済に向かって、日本車メーカーがこぞって世界初を目指し、電子系、電気系のハイテク装備が増えていった時代。
1980年に登場した初代レパードは、フェンダーミラーに電動ワイパーを装備していた。この装備はもちろん世界初。運転席から離れた場所にあるため、ドアミラーと違って手が届かないから非常に便利ではあるが、極小ワイパワーとはいえ、ミラーの面積が小さくなり、逆に見えにくくなっているのがご愛嬌。
なぜドアミラーじゃないのか、説明しておくと、ドアミラーが解禁されたのは1983年3月。それまではフェンダーミラーしか装着できなかったからだ。
■世界初のサイドウインドウワイパー/トヨタマークII(1988年)
贅沢というか、無駄すぎる珍装備がこの世界初のサイドウインドウワイパー。さすがバブル時代に生まれたマークIIに装備されただけのことはある
もはや呆れるしかない……装備が1988年にデビューしたマークIIに装備されたサイドウインドウワイパー。スイッチを押すと、下から上にワイパーが動く。これって窓を開けて拭けば済みそうだが……。やはり、無駄で贅沢すぎるということで消えていった……。
いまやドアミラーも撥水ミラーや親水ミラーの普及で、かつてあったドアミラーワイパーや超音波雨滴除去ミラーなどもコストのかかる過剰装備となってしまった。
■世界初、日本初の電動アウタースライドサンルーフ/ホンダ CR-X(1983年)
世界初の電動アウタースライドサンルーフを装備した初代CR-X。アウタースライドレールなしにサンルーフがルーフの上をスライドして開き、全閉時はルーフにビルトインされる独創のメカニズム
最近ではそんなサンルーフ車を選ぶ人が少なくなっている。設定されているモデルはまだ数多くあるのだが、高価なオプションであることと重量増加による燃費への影響、モデルによっては自動車重量税が高くなることもあり、人気が減少しているようだ。
サンルーフのなかでも日本初であり、世界でも初となったのが、バラードスポーツCR-Xに採用された電動アウタースライドサンルーフ。
サンルーフがルーフ上をスライドして開き、閉まる時はルーフにピッタリと収まるスタイリッシュな仕様だった。
ちなみにホンダはサンルーフにこだわっているメーカーで、1968年に日本で初めてのサンルーフ車をN360に設定したほか、1978年には初代プレリュードで電動スライド式のサンルーフ車を全車に標準装備していた(一部グレードを除く)。
■世界初、日本初のTバールーフ/130型日産フェアレディZ(1980年)
TバールーフといえばフェアレディZ。写真は世界初のTバールーフが装着された130型Z
一方ではTバールーフと呼ばれる、運転席・助手席のルーフが取り外し可能なタイプも登場。欧文の「T」の形状をしていることから名付けられたのだが、それが1980年に日本で初採用したのが130型日産フェアレディZだ。
このTバールーフもご多分に漏れず、Z32型最後に消滅してしまった。ちなみにポルシェのタルガトップは、電動化となり、今でも生き続けている。
■世界初エクストロイドCVT/セドリック、グロリア(1999年)
1999年11月に発売された日産セドリック、グロリアに搭載されたエクストロイドCVT。期待は大きかったが、300LX-Z Sパッケージ(セドリック)の477万円とATモデルよりも50万円高
エクストロイドCVTは、日産とジャトコが手を組み、大排気量のFR車にもマッチするCVTとして開発され、1999年11月、セドリック/グロリアに世界で初めて採用された。
エクストロイドCVTは、従来のベルト式CVTと違って、ディスクとパワーローラーにより、動力を伝達するCVT。
280馬力にも対応し、素早いレスポンスと滑らかな変速と、燃費の向上(旧来のATに対し10%)というのが持ち味だったが、高コストで、部分修理ができず、FR車の減少もあり、2005年で生産中止となった。
エクストロイドCVTの基本メカニズム。変速機の中心はディスク(入力&出力ディスク)とパワーローラーから構成される。エンジンの動力を受けた入力ディスクの回転は、パワーローラーから出力ディスクへと伝えられる。パワーローラーの傾きを連続的に変えることで、滑らかな無断変速を行う
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