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業界ニュース 2019.4.6

【星野一義】2000年代「肉体と精神の限界に挑み走り続けた星野。しかし2002年、その時が来る」【日本一速い男の半生記 最終回】

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「日本一速い男」と呼ばれ、かの元F1ドライバーE・アーバインをして「日本にはホシノがいる」と言わしめた「星野一義」。通算133勝、21の4輪タイトルを獲得した稀代のレーシングドライバーの50有余年に渡る闘魂の軌跡最終章。(「星野一義 FANBOOK」より。文:小松信夫/写真:SAN’S/モーターマガジン社)*タイトル写真は、2002年5月26日、JGTC Rd3 SUGO。星野が完走した最後のレース。田中哲也と組んで、予選16位、決勝8位。

フォーミュラ勇退後は全日本GT選手権を始め、通称「ハコ」のレースに専念
1997年のシーズン開幕前に国内レースの最高峰、トップフォーミュラであるフォーミュラ・ニッポンから勇退した星野。その後も、星野のドライバーとしての活動は現在のスーパーGTの前身である全日本GT選手権・GT500クラスやJTCCといったGTカー、ツーリングカーを中心に、スカイラインGT-Rやプリメーラといった「ハコ」を駆って参戦を継続した。

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そして日産のル・マン参戦が終了した後の99年からは、全日本GT選手権に集中することになった。特に当時人気が急激に高まっていた全日本GT選手権(JGTC)では、97年に当時26歳の本山哲を起用したのを皮切りに、98年は黒澤琢也、ベースマシンがR33GT-RからR34GT-Rとなった98年には影山正美、2000年には再び本山と、まるでレーシングドライバーとしての帝王学を授けるかのように、若いドライバーをパートナーにして参戦を続けた。

しかも98年は、未勝利ながらも着実にポイントを稼いでシリーズ3位を獲得、本山とのコンビを復活させた00年には1勝を挙げて再びシリーズ3位。最高峰クラスでも依然として速さと勝負強さを発揮し、50歳を超えてなお「日本一速い男」としての存在感を見せつけた。

栄光のレーシングドライバー人生に幕。引退後は監督としてチームを率いる
しかし、2000年のMINEで行われた全日本GT選手権シリーズ第6戦での勝利が、星野のドライバー生活における最後の栄光となる。01翌年はシリーズ13位と精彩を欠くシーズンとなってしまい、続く02年、心機一転して田中哲也を新たなパートナーに迎えてGTに挑んだ。

しかし、30年以上にわたるドライバー生活で酷使され続けてきた55歳の星野の肉体は限界を迎えつつあり、常に腰の痛みに悩まされるようになっていた。

そして02年8月28日、都内のホテルで記者会見が開かれ、星野がレーシングドライバーとして引退することが発表された。

「夢を持ってチャレンジすることの素晴らしさを教えてくれたのはレースだったので、これからもレースを愛していきたいと思います。今後も、よろしくお願いします」という言葉を残して、ついに星野は現役を退いた。

そして星野はその後も、監督として自らチームを率い、引退後17年を迎えて今なおスーパーフォーミュラ、スーパーGTという日本の最高峰を舞台に勝利を追い求め続ける。

そのレースに挑み、妥協なく戦う姿勢は、「日本一速い男」として君臨していたあの頃から何ひとつ変わっていない。(完)

[ アルバム : 星野一義グラフィティ はオリジナルサイトでご覧ください ]

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(Webモーターマガジン Webモーターマガジン編集部)

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みんなのコメント

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  • nan*****|2019/04/06 19:47

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    二輪はあの鈴木忠男(!!)、四輪でも高原や中嶋悟等の強力なライバル達がいたが、皆引退していった。ケガやチー厶体制等が理由やけど、星野はそれを尽く乗り越えて来た。二輪で切られたらうどん屋を考えていたらしいが、四輪移行後はレースと並行してインパルやホシノ·レーシングを設立、存続させている。GC時代は余りの速さにボアアップを疑われたりと悩みは尽きず、80年頃には抜歯迄していた。82年のF2では「走行スペースが一台分有るから、赤旗は必要無い」とH氏に掴みかかる等、本当に真剣やったと思う。「レースの賞金で野球や競輪選手を抜いてやる」とよく話していたけど、大体のスポーツ選手より活躍したんやないかな?
    サインを貰った事が有る方なら御存知と思うけど、一心不乱にサインを書くんだよね。こうしたひた向きな姿勢が全てを物語る。
    苦悩を乗り越えたこその成功が有るんや、本当に良い特集やったな。
  • han*****|2019/04/06 20:01

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    カルソニックカラーは昔から好きだったなぁ
    モチュールオーテックカラーとか、エプソンとか、RAYBRIGとか

    好きだったなぁ
  • mar*****|2019/04/06 23:59

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    NA全盛の6〜7000ccのモンスターマシンを当時タイヤで操っていた伝説的なレーサー、同時期に活躍していたF1レーサーからも脅威とされていた!
    国産車技術の革新の為に、海外に進出せずにいてくれた事に敬意!

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