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業界ニュース 2019.3.26

【星野一義】1990年代「青いイナズマ。その熱き疾走に、サーキットが湧き返った!」【日本一速い男の半生記(12)】

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「日本一速い男」と呼ばれ、かの元F1ドライバーE・アーバインをして「日本にはホシノがいる」と言わしめた「星野一義」。通算133勝、21の4輪タイトルを獲得した稀代のレーシングドライバーの50有余年に渡る闘魂の軌跡を追う。(「星野一義 FANBOOK」より。文:小松信夫/写真:モーターマガジン社)*タイトル写真は、1990年3月18日JTC Rd1 西日本。鈴木利男と優勝の喜びを分かち合う。

星野、グループAスカイラインGT-R全29勝中、15勝を記録!
1991年は、3台目のGT-Rとして高橋健二/土屋圭市組のタイサンGT-Rが加わったが、星野/鈴木組GT-Rの快進撃はまだまだ続いた。この年は何と全6戦でPPを独占! 当然、この年に挙げた3勝は全てポールtoウイン。

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ただし最大のライバルである長谷見組が、勝ち星で3勝と並んだ上に、全戦でポイントを獲得していた。これに対して、星野組は第2戦・鈴鹿でのリタイアによるノーポイントが響いてしまい、シリーズ3位に甘んじる。

92年のJTCは、それまでの全6戦から2戦増えた全8戦に規模を拡大。さらにGT-Rの供給台数も増えて5台がエントリーするようになり、より激しい闘いが展開された。

そんな中で星野も、鈴木利男に代わり新たなパートナーに影山正彦を迎えて参戦。しかし英田での開幕戦をいきなりリタイアでノーポイントで終えると、さらに第4戦・鈴鹿、第5戦・MINEでも連続リタイアを喫する。それでもシーズン最多の3勝、6PPを記録し持ち前の速さを見せはしたが、3つのリタイアが響いてシリーズ7位。91年以上に不本意な結果となる。

そして、グループA最後の年となった93年は、全9戦での開催。星野は影山とのコンビを継続し、3月のMINEでの開幕戦を優勝。4月の第2戦オートポリスは3位、そして迎えた5月の第3戦・菅生。直前のF3000で負傷した星野はこれを欠場したため、代役のA・オロフソンが影山と組んで2位となる。

星野は第4戦・鈴鹿から復帰し、第5戦・英田、第7戦・十勝、第8戦・仙台と勝ち星を重ねる。しかし、欠場の分、影山とポイント差があったために同年のチャンピオンを逃した。

この年で終了したグループAの全日本ツーリングカー選手権の最後を飾ることは叶わなかったが、GT-Rデビュー後の4シーズン、全29戦中15勝を記録した星野によって、GT-R伝説が新たに書き換えられていったのは間違いない。

グループA 終了後はJTCCとJGTCへ参戦するが…
1994年からの全日本ツーリングカー選手権は、当時世界的に流行していた2リッタークラスのセダンをベースにした、クラス2規定マシンが採用され、レース形式もスプリントの2レース制となった。

日産はプリメーラ(P10)をベースにマシンを開発、星野と長谷見の2台で参戦した。シーズン序盤から好調のトヨタ勢に対し、星野は最終戦のインターTECでの1勝で、シリーズ8位でシーズンを終えた。

95年も1勝のみだが、粘り強い走りでシリーズ3位。96年は圧倒的な速さを見せたホンダ勢に新型プリメーラ(P10)で対抗、1勝しシリーズ6位。97年もホンダ優勢の中、2勝でシリーズ4位と、グループA時代から一転して、ライバルを相手に勝ち切れないもどかしいシーズンが続いた。そしてこの年限りで日産はこのレースから撤退。翌年にはシリーズも消滅した。

その一方で星野は、94年にスタートした全日本GT選手権へ、95年の第3戦・仙台からGT-Rで参戦する。96年からは影山正彦とフルエントリーを開始し、第4戦・MINEでGT初勝利を挙げてシリーズ4位。

フォーミュラから引退した97年には、本山哲と組んでシリーズ13位。98年は黒澤琢也と組んでシリーズ3位、99年は影山正美と組んでシリーズ7位…と、50歳を越えてなお、星野は最前線で勝利を追い求め、レースを戦い続けた。(次回に続く)

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(Webモーターマガジン Webモーターマガジン編集部)

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みんなのコメント

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  • nan*****|2019/03/26 20:57

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    GT-Rは強すぎた、エンジンも去る事ながら4WDがロードレースでも使える様になった事も大きな進化と言える。しかしながら長谷見昌弘組は安定した走りで完走と上位入賞で結果を出す辺りはさすがや、因みに長谷見は疲れない走り方を早くから編み出していて、それが功を奏したと思う。長谷見はグループA時代はスニーカーを履いてレースに出ていたらしい、理由はスニーカーはソールが柔らかいので疲れにくいからと話している。
    対する星野は80年代から腰痛や抜歯等色々有ったらしい。
    両者の考え方の違いが興味深いと思う。
    90年代はいよいよ若手が台頭して来た時代やったけど、黒澤琢也は当時の地元イベントでこう話している。「星野さんはもう超人的です、僕は星野さん位の歳迄は走れないと思う。」
    本当にその通りになったが、星野を超える事は困難と感じさせる程の気迫が有ったんやろな。
  • yam*****|2019/03/26 21:10

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    赤黒の長谷見スカイラインターボシルエットとカルソニックブルーの星野32GTR
    この2つが子供ながらに強く印象に残っている
  • gqt*****|2019/03/26 21:33

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    星野さんのファンブックは、当然購入しましたよ。
    グループAとCは、富士と鈴鹿に毎年観に行って
    サインと握手して頂いたものです。
    今でも額縁にいれて飾ってます。

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