第2次大戦前夜となる1936年にデビューし、イタリアの市民階級にもモータリゼーションをもたらした名作、フィアット「500トポリーノ」は、戦争終結後も生産が継続されたのち、1955年には後継車として「600(セイチェント)」が誕生した。ところが、敗戦とその後のインフレで事実上の壊滅状態にあったイタリアの経済状況においては、633ccの水冷直列4気筒エンジンを搭載したベーシックなリアエンジン小型車であるセイチェントとて、庶民の足としてはいささか贅沢との評価を受けることになってしまった。
戦後復興の真っただ中にあり、まだまだ日々の生活を営むのが精一杯だった戦後イタリアにおける庶民の足は「ヴェスパ」や「ランブレッタ」などの二輪スクーターや「ISOイゼッタ」などのキャビンスクーターだった。
その購買層にアピールし得る、さらなるベーシックカーの必要性を痛感したフィアット首脳陣は、新たに600をさらに一回り小型化した最廉価モデルの開発に着手することを指示。セイチェントの「ティーポ100」に対して「ティーポ110」という開発コードナンバーが付けられた。
ティーポ110の設計を担当したのは戦前の500トポリーノ以来、1970年代までフィアット製乗用車から商用車までを事実上一手に手掛けてきたダンテ・ジアコーザ博士である。自動車史を代表する巨匠の一人である彼は、こちらも自動車史上稀に見るキュートなボディデザインを決めるに際して、自らスケッチを起こしたと言われている。
それゆえ、当時としては先進的なモノコック構造のボディ/シャシーから、前シングルウィッシュボーン+リーフスプリング/後ダイアゴナル型スウィングアクスル+コイルスプリングのサスペンションに至るまで、メカニズムの多くは600を忠実に縮小したもの。しかし、600との最大の相違点となったのはエンジンだった。
開発の初期段階では、セイチェント用を縮小した水冷直列4気筒エンジンのほか、V型2気筒や水平対向2気筒などのエンジンも検討されていたというが、主にコストの面からいずれも断念。結果、ジアコーザ博士自身はあまり乗り気ではなかったと言われる、ごく簡素な空冷直列2気筒OHVが新たに設計されることになった。
ただ、この空冷2気筒エンジンには大きな難点があった。それは小さなキャビン内に騒々しく籠ってしまうノイズである。そこで窮余の策として、金属製のルーフに大穴を開けたキャンバストップが標準装備とされることになる。このトップを全開にすれば騒音を車外に放出できるとともに、ヘッドスペースの狭さもいくらか改善できたことには、ジアコーザ博士の意地のようなものが作用していたのかもしれない。
とにもかくにも、こうして1957年7月4日に発表された新しいミニマム・フィアットは、かつての名車500トポリーノの名前にあやかり「Nuova 500(ヌォーヴァ・チンクエチェント:新500)」と名付けられた。
ところが、ヌォーヴァ500の誕生と時を同じくして、イタリアには未曽有の好景気が到来。もともとの国民車であったセイチェントが、当初から期待されていた売り上げにようやく到達したのとは裏腹に、シンプルを極めたヌォーヴァ500への市場の反応はいまいち。そこで漸次、改良が施されていったことにより、ヌォーヴァ500とその改良モデルたちは真の名車としての地位を確立してゆくことになるのだ。
ヌォーヴァ・チンクエチェントこと2代目フィアット500は、1957年から75年まで生産された。つまり、18年もの長きに亘ってイタリア大衆の足として愛されたロングセラーなのだが、実は時代を追って目まぐるしくアップ・トゥ・デートされている。
1957年7月にデビューした当初は、わずか13.5psを発生するにすぎない直列2気筒479ccエンジンを搭載。装備も最小限に抑えられていたが、あまりの簡素な内外装に、当時のマーケットの反応は少々冷淡だったとも言われている。そこで同年秋には15psにパワーアップ。内外装を少しだけ豪華に設えた「ノルマーレ」が追加。イタリア大衆の自動車に懸ける憧れをくすぐったのか、ようやくヒット街道を歩み始めることになる。
また翌’58年には、こちらも伝説的なチューニングメーカー「アバルト&C.」社の協力のもと、エンジンの排気量を499.5ccに拡大。21.5psのパワーで初めて100km/h超の最高速度を獲得した500「スポルト(スポーツ)」も追加した。
そして2年後の1960年には、500スポルト専用だった499.5ccの排気量を標準化(出力は18psに抑制)した新シリーズ「500D」に進化。また1965年モデルからは、それまでドアのヒンジ(蝶番)がリアフェンダー側にあったのが、安全基準の改正から現代のクルマと同じ前ヒンジに改められた「500F」系へと発展してゆく。そして1968年には、500Fの内外装を少しだけ豪華に仕立てた「500L」も追加設定されることになる。
1972年秋には、それまでイタリア大衆の足として愛されてきたフィアット500シリーズの後継車として、より近代的なボディと594ccのエンジンを持つフィアット「126」がデビュー。しかし、誕生から既に15年を経ていた500系の人気は衰えることはなかった。そこで誕生したのが「500R」。126と同じ594ccエンジンを搭載したこのファイナルバージョンは、1975年まで生産されたのだ。
そして、これらの歴代バージョンたちに加えて、エンジンをわざわざ横倒しにして荷室容積を稼いだワゴンタイプの「ジャルディニエッタ」などのバリエーションモデルも設定されたフィアット500は、イタリアのみならずヨーロッパ各国の大衆にモータリゼーションの歓びをもたらした名作として、今なお世界中のファンから敬愛されている。
また自動車としての商業的成功に加えて、イタリア大衆文化の歴史的アイコンともなったことも特筆すべき事実。誕生当時から60年を経た現代に至るまで、ある種のファッションアイテムとしてもスポットライトを浴び続けたほか、リュック・ベッソン監督の出世作「グラン・ブルー(Le Grand Bleu:仏伊合作1988年公開)」などの映画に出演し、素晴らしい存在感を示したことでも知られる。さらには人気コミック/アニメーション「ルパン三世」シリーズにも登場。今や日本のみならず、母国イタリアを含む全世界で主人公の愛車として認知されているなど、時代を超えたアイドルとして寵愛を受け続けているのである。
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