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業界ニュース 2019.3.12

【星野一義】1960年代から70年代「下積み時代を乗り越え、フォーミュラの世界へ」【日本一速い男の半生記(2)】

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「日本一速い男」と呼ばれ、かの元F1ドライバーE・アーバインをして「日本にはホシノがいる」と言わしめた「星野一義」。通算133勝、21の4輪タイトルを獲得した稀代のレーシングドライバーの50有余年に渡る闘魂の軌跡を追う。
(「星野一義 FANBOOK」より。文:小松信夫/写真:日産自動車、SAN’S、モーターマガジン社)

フォーミュラレースでデビューウインを飾る!
日産から離れることになった星野は、1974年は大森チームの先輩、鈴木誠一率いる東名自動車から、フォーミュラカーのFJ1300に出場することになる。

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FJ1300は、ヨーロッパで開催されていたF3相当のシャシーに、市販1.6リッターエンジンを搭載して始まった日本独自のカテゴリーで、当時、国内最高峰のF2000(F2に相当)の下に位置した。

東名自動車がFJ1300用の日産Aエンジンのチューニングを手がけていたこともあり、その開発を兼ねての参戦だ。ただし、そのエンジンを搭載するシャシーの代金の半分、135万円を負担することが条件だったため、星野は母親から資金を借りて初めてのフォーミュラカーでのレースに挑んだ。

FJ1300マシンは車重も軽くフォーミュラらしくハンドリングはクイックで、しかもエンジンは東名チューンのパワフルなもの。しかし、前年まで星野が走らせていた乗りにくいチェリーで戦うことを思えば、天と地ほどの差があった。

5月に開催された最初のレース、鈴鹿フォーミュラの予選で、星野はそれまでのレコードを6秒あまり縮めるFJ1300クラスのトップタイムをマーク。F2000と混走の決勝レースでも、2位の長谷見昌弘を15秒も引き離す独走を見せ、FJ1300デビュー戦を優勝で飾る。

さらに8月の富士GCインター200マイルでは、決勝はリタイアしたものの予選3位。11月のJAF鈴鹿GPで旧型のサーティーズTS15・BDAを借り出して初参戦したF2000では予選5位・決勝3位と健闘する。

当時27歳の星野は国内トップカテゴリーを舞台に、強さを見せつけてトップドライバーとしての地位を瞬く間に確立した。

日本初開催のF1で世界にアピール
翌75年はFJ1300にマーチ733・日産、F2000には最新マシンのマーチ742・BMWでフルエントリー。FJ1300では2勝してシリーズ3位、そしてF2000でも2勝して何とチャンピオンを獲得。フォーミュラに乗り始めて2年、本格参戦1年で国内最高峰クラスを制するという快挙を達成する。

76年には名門・ヒーローズレーシングに移籍してF2000に参戦、5戦2勝するが残り3戦はリタイア、リタイア、DNS(スタートしたがゴールできず)でシリーズ4位に留まるも、引き続き東名からエントリーしたFJ1300では、やはり2勝してチャンピオンを獲得している。

その勢いに乗って、この年、日本で初めて富士スピードウェイで開催されたF1グランプリにもヒーローズレーシングから参戦する。当時はプライベートチームでもF1マシンを購入してスポット参戦が可能だったため、前年モデルのティレル007・DFVで出走したのだ。

予選こそ21位と振るわなかったが、決勝ではブリヂストンのレインタイヤの助けもあって、雨の中で鬼神のごとき激走を見せてJ・シェクターらF1トップドライバーたちをブチ抜き、一時は3位にまで浮上。世界への扉を開くかと思わせた。

しかし、無情にも雨は上がってしまう。タイヤ交換のためピットインするもスペアホイールがなく、無念のリタイアに終わる。

翌年の富士F1グランプリにも、国産マシンのKE009・DFVでエントリーしたが、マシンのセッテイングが出ず、予選・決勝とも11位。この時29歳、星野のF1グランプリはこれで終りを迎えることになった。(次回に続く)

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(Webモーターマガジン Webモーターマガジン編集部)

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みんなのコメント

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  • nan*****|2019/03/12 13:34

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    やや説明不足が見られる。東名時代も星野は車両テストをやっていて、テストが上手く行けば全開走行を許されていた。鈴木誠一に気に入られる様にしなければならなかったらしく相変わらず悩みは尽きなかった。初フォーミュラの参戦資金が足りず、母親から資金を借りて参戦。苦しい状況では有ったがフォーミュラに乗り頭角を表す。
    例の富士F1では、シェクターから「抜かれる時は抜かれたい方の手を上げろ」と暴言を放たれたが、決勝ではシェクターを抜いている。「この○○野郎!」と思ったと話している。しかしながらレインタイヤの在庫がなくなってしまい惜しくもリタイア。
    逆境を跳ね除けて来た星野らしいエピソードが随所に見られる、それは後年も続くが続きは次回に。

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