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業界ニュース 2019.2.18

第4回:“小さな巨人”──「BMCミニ」

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現在、世界中のコンパクトカーの主流となっているのは「横置きエンジン前輪駆動の2ボックス」レイアウトである。そして、そのすべての源流となったのは1台の「小さな巨人」であった。もはや言うまでもあるまい。自動車史に燦然と輝く金字塔、今では「クラシック・ミニ」と呼ばれる一連の元祖ミニの開祖、BMCミニである。

第2次大戦前から英国民族系資本を代表してきた2大自動車コングロマリットの「オースティン」と「ナッフィールド・オーガニゼーション(モーリス/MGなど)」の合併によって1952年に誕生したのが、「BMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)」。BMCは、1956年に発生したスエズ動乱に端を発する第2次中東戦争、そして、その後の石油危機に対応して、同社の傑作大衆車である「モーリス・マイナー(1948~1971年に生産)」よりもさらに小型で燃費の良いクルマの必要性を強く感じていた。

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そこでBMC会長のレナード・ロード卿は、マイナーを成功させながらも、直後に高級車メーカー「アルヴィス」へと転職していたエンジニア、すなわち、のちに「サー」の称号を得ることになるアレック・イシゴニスを同社のエンジニアリング部門の実質的責任者として呼び戻し、新時代の小型車の設計を命じる。そしてイシゴニスは、旧モーリス時代から暖めていた計画を実行に移し、自らボディデザインまで手がけ、全長305cm×全幅141cm×全高135cmという極端に小さな、しかし偉大なクルマを創造することになるのだ。

開発コード「ADO15」と名づけられた新型車の概要は、横置きエンジンによる前輪駆動という画期的なもの。しかもロード会長の命によりエンジンの新規開発は行われず、オースティンA30やモーリス・マイナーに使われていた名機「Aタイプ」、すなわち水冷直列4気筒OHVユニットを流用した。生産型では排気量を803ccから848ccにスケールアップすることで、生産コストの高騰を回避しつつ新時代の小型車を提案したのであった。

加えてスペース効率の向上のため、エンジンの真下にトランスミッションとデフを置く、その名も「イシゴニス方式」と呼ばれた画期的な駆動系が考案されたことや、サスペンションにも円錐型のゴムを用いたスプリングである「ラバーコーン」を採用したことなど、このクルマはまさに革新的アイデアの塊だった。。そして、約2年という、その画期的な内容を思えば非常に短い開発期間を経た1959年8月26日に、「モーリス・ミニ・マイナー」および「オースティン・セヴン」の名称で最初のミニが正式発表されることになったのである。

しかしBMC首脳陣とイシゴニスの期待にもかかわらず、発売直後のミニの販売は予想外の不振に見舞われる。ターゲットであった英国の大衆にとって、ミニはあまりにも革新的にすぎたのである。しかし、ミニ生来の革新性やフレッシュさに着目したのは富裕層や芸能・文化人などのセレブレティだった。彼らはミニを、ファッションアイテムとして続々と購入したのである。そうして、ミニ人気に火が点いたのである。さらにビートルズのメンバーや、エリザベス2世などの国民的なインフルエンサーたちもミニのオーナーとなり、このミニマムな英国車は「国民車」としての地位を手に入れることになった。

翌1960年4月には、ホイールベースを延長した商用バンが追加され、さらに9月には乗用エステートワゴンの「カントリーマン(オースティン)」および「トラヴェラー(モーリス)」も追加設定された。また、同年10月には、テールを延長して独立したトランクと革張りのインテリアを与えた高級版の「ライレー・エルフ」/「ウーズレー・ホーネット」も追加されるなど、ミニ一族は着々と勢力を伸ばしてゆくのだけれど、特記すべきはやはり10月に発売された高性能版の「ミニ・クーパー」である。

順調にセールスを伸ばしていたミニは、1964年になると、サスペンションをそれまでのラバーコーンに替えて、上級モデルに当たるモーリス1100やオースティン1100、あるいはヴァンデン・プラ・プリンセスなどの「ADO16」シリーズで実績のあった前後関連懸架の「ハイドロラスティック」へと進化させる。そして1967年10月には、モーリス/オースティン・ミニともども、グリルやテールランプ、リアウインドウなどを刷新、1000ccエンジンを最上級版に据えた「マークII」に発展する。

また1969年には、それまで露出していたドア・ヒンジを内蔵するなどのモダナイズが施された「マークIII」へと進化したのち、BMCと「レイランド」グループとの合併によって設立された「BLMC(ブリティッシュ・レイランド)」の屋台骨として、ミニの生産は継続されてゆくことになった。

その一方で、マークIII登場と同じ69年には、ノーズを70s風のスクウェアなスタイルに変更した「ミニ・クラブマン」と「ミニ1275GT」もデビューする。特に 1275 GT は旧ミニ・クーパーSの後継に当たる高性能バージョンとして計画されたものだった。また、カントリーマン/トラヴェラーの後継としてクラブマン・エステートが発売されることとなったのだが、ブリティッシュ・レイランドでは旧態化が進んでいたはずの1960年代デザインのミニの生産も、継続して行われていた。結果として、これは賢明な判断であったと言わねばなるまい。なぜならクラブマンとその係累たちは、ほぼあらゆる方面で酷評され、マーケットの販売成績も惨憺たるもので、早々に消滅を余儀なくされたからである。

1980年には、こんどこそミニの後継車とすることを目的として開発した完全新設計の近代的なコンパクトカー「ミニ・メトロ」が登場する。ワールドプレミアでは時の英国首相、故マーガレット・サッチャー氏がプレゼンターを務めるなど、まさしく全英の期待を集めたが、こちらもふたを開けてみると「まずまず」というていどの人気でしかなかった。のちに「ローバー100」シリーズへと移行され、旧き良きミニに引導を渡すまでには至らなかったのである。

さらに1986年になると、ブリティッシュ・レイランドから発展したオースティン・ローバー・グループが「ローバー・グループ」へと社名を変えたことから、’90年からはミニも新たに「ローバー・ミニ」と呼ばれることになる。そして、誕生からちょうど40年後、1999年まで生産が継続される超ロングセラーとして、世界中のファンの愛顧を一身に受け続けることになったのである。

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(GQ JAPAN 武田公実)

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みんなのコメント

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  • zoo*****|2019/02/18 21:46

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    このミニのルックスとサイズで近い将来EV作ってくれないかな。
    中年には懐かしく、若い人には新鮮なレトロデザインで売れると思うんだけどな。
  • nei*****|2019/02/18 23:55

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    走る棺桶とか言うヤツは来てないのか?www.
  • nan*****|2019/02/18 22:01

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    英フォードも国内最廉価のプリフェクトを発売したが、ミニは遥かに革新性を持っていた。
    開発者のアレック·イシゴニスはかつて母親と共に車で旅に出た事が有るらしく、その時の経験が「最小のサイズで最大の効率を」と言う開発理念の元になっているらしい。
    未だタックインの問題は解決出来てはいなかったが、その軽さでモータースポーツでは世界選手権ラリーやカメラマンの早川氏の運転で全日本でも活躍している。
    78年のモーターファン誌では野村利昭氏のミニが驚異的な400mタイムを記録しているので興味の有る方は探すと面白いかも知れない。
    因みにミニの最強仕様はクーパーよりも寧ろ「ミニ·スプリント」、あと初期はサスペンションにも特徴が有る事も書いて無いで(笑)。
    今日の様にFFや横置きエンジンが主流になるとは誰も思わなかった時代に確固たる思想の元に造られたの名車の中の名車と言える。

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