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業界ニュース 2019.1.22

【くるま問答】富士スピードウェイの「30度バンク」って、どんなものだったの?

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いまも富士スピードウェイにも残る、30度バンク。ショートコースの奥に壁のように残っていて、現在は「メモリアルパーク」として整備、保存されている。そんな30度バンクだが、いったいどんなものだったのか。レースやクルマの歴史に詳しい遠藤一満氏に聞いた。

肉体的にも、精神的にも、マシンにも過酷なコース
1966年にオープンした富士スピードウェイは、1.6kmを超えるホームストレートとそれに続く30度バンクを持つ、世界でも稀な超高速サーキットだった。とくにストレートから全開のまま進入するバンクは、ドライバーにとって壁に突っ込んでいくような精神力を、クルマにとっては横Gと縦Gの両方に耐える強靭さを要求された。

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さらに地形の関係から発生する下から吹き上げる横風も強く、30度バンクの攻略はドライバーにもクルマにも過酷な試練だったのだ。

開業当時はフラットだった路面はレースで酷使されるにつれ波打ち始め、そこに車両床面が接触して火花を散らす光景もバンク名物のひとつとなっていく。中でも大きなうねりは、後に「馬の背」と呼ばれて難しい攻略ポイントとなったことを覚えている人もいるだろう。

観衆は、1本しかないレコードラインを競ってアクセルペダルを踏み続け、サイドバイサイドで突っ込んでくるレースカーに目を釘付けにしたのだが、進入が難しいバンクだけに事故も何度か起こっている。

度重なる事故により、30度バンクは閉鎖された
最初の犠牲者は1966年5月。開業直後に開催された第3回日本GPで強い横風に煽られてコースアウトしたベレットGTの永井賢一氏だった。

1973年1月の富士GC(グランチャンピオンレース)最終戦ではシェブロンB32フォードを駆る中野雅晴氏が、スタート直後のダンゴ状態の中で起きた多重事故に巻き込まれて亡くなっている。翌1974年の富士GC第2戦(300km)は、前年の事故を教訓にローリングスタートとしたが、第2ヒートのスタート直後、バンクのレコードラインを争う前走車の接触事故に巻き込まれる形でシェブロンB26の風戸裕氏とローラT292の鈴木誠一氏が逝去する大惨事となった。
 
これを機に富士スピードウェイの名物でもあった30度バンクは閉鎖され、今は公園として過去の名勝負の跡を留めている。

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(Webモーターマガジン ホリデーオート編集部)

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みんなのコメント

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  • mar*****|2019/01/22 19:08

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    過去のモータースポーツは命をかけた駆け引きが感動を生んでいたと思う。
  • wvc*****|2019/01/22 19:15

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    イベントがあり愛車のラリーカーで走りました。
    30度バンクが閉鎖されてから歩いた事があります。
    歩いて登るのが無理なくらいのアスファルトの傾斜道です。
    この記事の写真では伝わりませんね。
    富士スピードウェイの30度バンクが懐かしい。
  • nan*****|2019/01/22 19:49

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    バンク後半、路面に大きな突起状の盛り上がりが有る。通常のバンクにはこうした突起は無いけど、これが富士の特殊な部分やった。往年の田中健二郎も路面に気付いたらしく、工事関係者に訪ねたところ杭が打たれていない旨の話を聞き、やがては路面の凹凸が激しくなると思ったらしい。
    実際バンクへのベストラインは一本しか無いらしく、これが例の事故の遠因の一つとなったと考える向きも有る。モータースポーツ発展の過程の中で出来た特異なバンクと言えるかも知れない。

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