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業界ニュース 2018.12.23

東欧を代表する自動車メーカー「タトラ」戦後のモデルと終焉まで

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共産体制の影響を大きく受けたタトラT600からT700までを振り返る

 前回は、典型的なタトラ(チェコの自動車メーカー)としてリアに空冷の水平対向エンジンを搭載し、空気抵抗を低減した…結果的には甲虫のようなルックスとなったモデルのうち、第二次世界大戦前のモデルを取り上げて紹介【過去記事:チェコが生み出した傑作と悲しき運命】したが、今回は戦後に登場したタトラ、戦前に登場した大型乗用車をより正常進化させたモデルたちを紹介しよう。 ちなみに、同社で戦前に開発の指揮を執ってきたハンス・レドヴィンカは戦後、共産主義国家として再出発したチェコスロバキア共和国において、戦時中にヒトラー=ナチに協力した戦犯として1951年まで抑留されていた。そのためレドヴィンカに薫陶を受けた部下たちが、彼の設計哲学を継承し、戦後モデルを開発していったのだ。

    タトラとシュコダを堪能する「創業から第一次世界大戦前後のタトラ」

 ただし、タトラとシュコダ、そしてプラーガというチェコの3大自動車メーカーが、戦後はすべて国営企業化。シュコダは小型乗用車、プラーガはトラックの専業メーカーとされ、タトラも中大型乗用車を生産するのみと活動が制限されることになった。そしてタトラは戦前からあったT87の製造を再開しながら、戦後モデルが登場する。

 タトラにとって初の戦後モデルとなったのは、1947年に登場した「T600」。戦前とは異なる新しい命名法では100番台がトラック、300番台が鉄道車両、500番台がバスとなり、乗用車は600番台とされたが、そのトップバッターとして登場したのが“タトラプラン”の愛称を持つ大型の4ドアセダンだった。

 各所に手が加えられ、見慣れたせいもあって幾分はコンサバにもなっていたが、基本的なエクステリア=スタイリングは戦前のタトラT77に端を発するストリームラインを継承したもの。エンジンカウルにはやっとリアウインドウも設けられたが“背びれ”は残されていた。 シャシーはもちろん、フロアパネルと一体化されたセンタートンネルを主構造材とするバックボーン・フレームで、その後端に空冷の水平対向4気筒エンジンを搭載するのはT97から継承されたパッケージだった。ただし新エンジンの排気量は2リットル。1.8リットルのT97より幾分引き上げられたのだ。

【Tatra T600 Tatraplan】

「T600“タトラプラン”」。このタトラ初の戦後モデルは、戦前のT87と、ヒトラーから生産中止を命じられて戦前に姿を消していたT97の中間にという立ち位置で開発。エンジン形式(レイアウト配置)や排気量を考えると、メカニズム的にはT97後継と呼ぶべきかもしれない存在だ。これはT87の戦後モデルでも採用されていたが、フロントにダミーグリルが追加された結果、フロント・エンジン車的にも映る。フロントのウインドウは左右セパレートの2枚式だが、センター部分にピラーはなく、ゴム製のウェザーストリップで繋がれている。また、リアビューではエンジンカウルにウインドウが設けられたのが大きな特徴。エンジンルームの直前、リアのバルクヘッドにも窓が設けられているのは従来通りだ。随分と控え目にはなったが、それでもリアの“垂直尾翼”が、T77を源流とする、その出自をアピールするかのように思えてならない。コプジブニツェのタトラ技術博物館で撮影。

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タトラ T603「パッケージを一新したT600の後継」

 開発陣が力を注ぎ、周囲からも期待をもって迎えられたT600“タトラプラン”だったが、10年足らずのうちに本命モデルが1955年に登場する。「T603」と命名された次期モデルは、流線型のモチーフを持ったリアエンジンの4ドアセダンという基本コンセプトは継承したものの、ボディ、デザインからシャシーのパッケージング、そしてエンジンの基本レイアウトまで、すべてにおいて一新された。

 先ずはエクステリアデザイン。T77からT87、T97、そしてT600“タトラプラン”と引き継がれてきた“流線型”は、T603でも踏襲されたが、全体的にはコンサバなデザインへと変化。ただし、空気抵抗を低減するためか、ヘッドライト(しかも3連装)を1枚のガラスでカバーしたフロントビューなどは、どう見ても”タトラ”なポイントだった。 そのヘッドライトは寄り目の4灯式、通常の4灯式と次々に変化。リアも、これまで大きなエンジンカウルが覆っていたが、大きなウインドウがボディ固定式となり、エンジンカウルは通常のリッドに改められた。

 次にエンジン。空冷式は踏襲されたが、T600“タトラプラン”の水平対向4気筒から、T87以来となるV8に変更。排気量も2リットルから2.5リットルへと拡大された。もう少し詳しく解説すると、当初2545ccの”タイプ603F”が搭載したが、モータースポーツを戦う上でより有利になるよう、排気量区分一杯の2472ccの”タイプ603G”へとコンバートされている。 そんなモータースポーツでの活躍ぶりは、また改めて紹介することにしよう。一方、サスペンションはフロントがストラット式、リアがスイングアクスル式の4輪独立懸架。スイングアクスル式の独立懸架を信奉していたレドヴィンカの哲学に沿ったものとなっていた。

【Tatra T603】

コプジブニツェのタトラ技術博物館で撮影したシルバーの個体は、展示パネルでは1955年から1975年にかけて生産されたT603と、意外に大雑把な表記となっているが、ヘッドライトが通常の4灯式となった最終モデルで通称”タトラ3-603″と呼ばれるタイプ。一方、ヘッドライトが3灯式の黒い個体は、2014年に中国の大連老式汽車博物館で撮影したもの。タトラは中国では“太托拉”と表記されるようだ。リアビューとエンジンを曝した黒い個体はドイツ北部にあるメレ自動車博物館で2010年に撮影したもの。こちらもタトラ技術博物館の個体と同じく通常の4灯式ヘッドライトが採用されていてタトラ3-603と表記されるところだが、現地では”タトラ2-603″とされていた。調べたところ、タトラ本社の資料でも3-603を2-603とする資料もあるようだが…!? それはともかく、シュラウドでカバーされた強制空冷式エンジンは、メンテナンスが大変だったろうと推察される。

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タトラ T613「ヴィニャーレが描いた6ライト/4ドアセダン」

 T603でコンサバに仕立てられたが、その後継モデル「T613」ではさらにモダンなエクステリアを手に入れることになった。 チェコスロバキア共和国がまだ共産圏だった時代。それは今日考えるよりもはるかに画期的な出来事だったはずだが、タトラはT613のエクステリアデザインをイタリアの「カロッツェリア・ヴィニャーレ」に発注したのだ。出来上がってきたのは写真のようにクラシカルな印象は拭えないが、それでも半世紀近くも昔を思い起こせば充分すぎるほどモダンだったはずだ。

 パッケージは6ライトの4ドアセダン。リアビューでは、リアエンジン搭載車であることを主張するものではなく、リッド上のささやかなルーバーが、それを知らしめるくらいだ。注意深く観察していくとリアのオーバーハングがT603よりも大幅に短縮されていることが分かる。これはホイールベースが2980mmへとT603に比べて230mm伸ばされたことによるもので、オーバーハングが短くなったというよりもリアのホイールが後退したというべきだろう。結果的にエンジンの重心位置は、ほぼ後車軸上に前進し、リア・エンジンと言うよりミッドシップに近づいたと言えるだろう。 1974年に登場したT613は、各部の改良を重ねながら、1991年にベルリンの壁が崩壊、チェコスロバキア共和国も分離、今の新しいチェコ共和国が誕生する激動の時代を生き抜いて、1996年に後継モデルに後を託して引退となった。

【Tatra T613】いまとなっては、当時の風情を感じるが、まだ若かったヴィニャーレによって6ライト/4ドアセダンに仕上げられたT613のエクステリア。先代モデルのT603シリーズと比べてはるかモダンに生まれ変わり、3m近いロングホイールベースが、その存在感を一層強烈にアピールしている。一方、リアのオーバーハングは随分切り詰められ、T603シリーズの大きな特徴となっていたクーリングエアのダクトは廃止。言われなければリア・エンジン車であることに気付かないかもしれない。コプジブニツェのタトラ技術博物館で撮影。

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タトラ T700「さらなる大排気量化とその歴史の終焉」

 1996年、T613に代わってタトラで最後の乗用車となった「T700」がデビュー。実はT613のモデル中期以降、80年には発展モデルとも言うべきT623が登場したものの、96年にはT613と同時にT623も現役を退いた。このT623は、言わばメーカー公認のコンプリートカーで、T613に3.5リットル/3.8リットルのV8エンジンを搭載したモデルだった。

 1996年に登場したT700は、このT623にヒントを得てV8エンジンの排気量を3.5リットル/4.4リットルまで拡大したもの。もともとT613でも大柄だったがT700ではボディサイズも全長=5135mm×全幅=1800mm×全高=1480mmとなり、特に全長ではT613に対して115mmも延長されている。ホイールベースも3130mmとT613に比べて150mmも伸ばされているから、結果的にオーバーハングは少しだけ切り詰められたことになるのだが…。 これほどの偉丈夫でエンジンの排気量も大きく拡大されていたから、上級官僚などに愛されるプレステージカーとしてはともかく、レドヴィンカや彼のお弟子さんたちが目指していた『コンパクトで技術的にも斬新なクルマ』とはずいぶんかけ離れてしまったように映る。 レドヴィンカは抑留から解放された後、タトラに戻ることなくチェコを離れオーストリアに移り住んで技術コンサルタントとして活動。後にドイツのミュンヘンに移り住み、67年に交通事故で他界していたレドヴィンカは、泉下からその後のタトラをどのように見ていただろうか。

【Tatra T700】

さらにモダンに生まれ変わったT700だが、ヘッドライト周りのデザイン処理などにタトラらしさが息づいている、と感じるのは気のせいだろうか。T613と同様にリアのオーバーハングが切り詰められ(実はホイールベースが伸ばされ後輪が後退した)、結果、T613以上にリア・エンジンを感じさせるものがなくなった。6ライトのサイドウィンドウは大きく室内も伸びやかで、まさに上質の大型乗用車に進化を遂げたのは事実。ドイツ製のプレステージ・サルーンにも引けを取らないだけの存在感だ。コプジブニツェのタトラ技術博物館で撮影。

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(Auto Messe Web 『Auto Messe Web編集部』)

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みんなのコメント

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  • wiy*****|2018/12/23 19:23

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    リアにV8か!
    凄く重そうに見えるけど、飛行機のメーカーだから計算済みなんだろうなぁ。
    ビートルよりカブトムシらしいな~。
    ヘラクレスか?
  • bla*****|2018/12/23 19:10

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    クルテク…日本ではモグラのズボンやモグラの自動車と訳された共産圏時代のチェコの児童絵本に、タトラT600シリーズがデフォルメされて描かれている。
    子供心に、装飾のない甲虫のようなカタチに異文化を感じた覚えがある。
  • nur*****|2018/12/23 19:49

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    実際に拝見したことがないから、これは博物館等で是非とも見てみたい!!
    イビツな形にも意味があるのだから、共産国のチェコの礎を感じてみたい

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