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業界ニュース 2018.12.17

【自動車博物館へ行こう】ニッサンのサーキットでのレース活動はフェアレディ1500から始まった

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国際ラリーへの挑戦から始まった日産の本格的なモータースポーツ活動は、1963年の第1回日本GPをきっかけにサーキットでのレースに広がっていく。その第1回日本GPに参戦したのが「フェアレディ1500」。日産ヘリテージコレクションには、正真正銘、その時のレースに参戦した車両が展示されている。(Motor Magazine 2017年3月号より)

第1回日本GP優勝のフェアレディ1500を展示

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本格的な日本のレースは、1963年に鈴鹿サーキットで行われた第1回日本GPから始まった。当時はまだ市販車をチューニングした“箱”レースが主流で、第1回日本GPでは排気量やボディ形態などにより細分化され、2日間で11レースが組まれていた。それぞれのレースごとに優勝車が決まるので、各メーカーはレースで勝てば「優勝」を掲げ、広告で優秀性をアピールすることができた。

日産ヘリテージコレクションに展示されているフェアレディ1500は、その第1回日本GPのB-IIレース(1300~2500ccのスポーツカー)に出場し、英国のスポーツカー、MGBやトライアンフTR4といった強豪を抑えて優勝した車両。

フェアレディ1500(SP310)は英国のスポーツカーに範をとって誕生したモデルで、北米市場用に開発されたS211を元に1962年に登場。第1回日本GPで優勝したことにより人気が高まり、後に、フェアレディ1600(SP311)、フェアレディ2000(SR311)へと進化した。

フェアレディは310ブルーバードのシャシにセドリック用1.5Lエンジンを搭載した3座オープンスポーツで、当時のポルシェの3分の1の価格で販売され、スポーツキットが豊富に用意されたこともありアマチュアモータースポーツの世界で大活躍、北米を中心に好調な販売を見せた。

フェアレディ1500(1963年 日本GP優勝車両)

●全長×全幅×全高=3910×1495×全高1275mm
●エンジン= 直列4気筒OHV(G型)
●排気量=1488cc
●最高出力=80ps/5600rpm
●最大トルク=12.0kgm/4000rpm
●車両重量=835kg

日産ヘリテージコレクション

日産自動車の80年あまりの歴史を見ることができるスペース。新型車の開発、試作、設計製作を行う日産の生産技術の拠点である座間事業所内に併設され、1930年代の生産車から歴代のレースカーまで、日産のオンロード、オフロード両面の歴史を物語る車両など約400台の記念車を所蔵し、うち常時約300台を展示している。日産自動車の座間事業所内に併設されているということもあって、公式サイトから応募フォームにより事前申し込みが必要だが、入場料はなんと無料。アクセスはあまり良くないが、行ってみる価値ありだ。

●住所:神奈川県座間市広野台2-10-1
●入館料:無料(応募フォームにより事前申し込みが必要)
●開館日:申し込みカレンダーにて確認 
●駐車場:あり
●問い合わせ先:☎046-298-4355(受付時間:月~金10:00~16:00※ただし12:30~13:30は除く)http://nissan-heritage-collection.com/
●電車でのアクセス:小田急江ノ島線南林間駅から神奈川中央交通バス「日産」「相武台前駅」「小田急相模原駅」行、「ひばりヶ丘1丁目(または小松原)」下車、徒歩7分。または相鉄本線さがみ野駅から相鉄バス「南林間駅」行「ひばりが丘1丁目(または口機入口)下車、徒歩7分
●クルマでのアクセス:東名高速道路「横浜町田インター」から国道16号線を八王子方面へ。国道246号線を左折、東原4丁目交差点を右折、2つめの信号を左折、1つめの信号(正門前専用信号)前が座間事業所2地区正門、約30分
●展示車両は入れ替えあり

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(Webモーターマガジン Motor Magazine編集部)

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  • nan*****|2018/12/17 09:12

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    「英国のスポーツカー、MGBやトライアンフTR4といった強豪を抑えて優勝した車両」
       ↑
    と言うか当フェアレディはエンジン等はワークスチューンでドライバーも田原源一郎やからね。
    事実上日産ワークスとしてのエントリーだから速くて当然、寧ろ機械的には殆どノーマルのヨーロッパ勢が未だ未だ性能は高かった事がわかる。
    但し、特筆すべきはこの頃のフェアレディの成り立ち。市販車のフレームにスポーツカーボディは安いコストで開発/販売出来たので少なくともアメリカではメーカー/顧客双方にメリットが有った筈。
    二人乗りより乗車定員でも有利に、との判断から横置きの後部座席を設け三人乗りにしたのは時代も有ろうが、安くて楽しめるスポーツカーをと考えた日産開発陣の知恵を感じさせる。
  • whe*****|2018/12/17 09:26

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    ようやく日本のモータゼリーションの夜明けといったところか。
    ヨーロッパ辺りでは自動車が生産され始めた頃からレースは行われていた。
    各メーカーがしのきを削っていたわけだが、日本は随分遅れていた。
    サーキットが実験場。
    これはなにもホンダが始めた訳ではない。
    ヨーロッパでは当時から普通の風習だった。
    何よりマーケティングを拡げるには良い成績。
    そこにようやく追い付いた。
    当時のフェアレデイがほぼ日産ワークスで固められ、思った以上の成績をおさめてはいるが、当のヨーロッパ車は日本人が持ち込んだ、ほぼノーマルな車体。
    決してフェアレデイがだけが飛び抜けていた訳ではない。
    ただ、これをきっかけに各メーカーが本気になり、これ以降しのぎを削る闘いが始まったのは言うまでもない。
    フェアレデイはこの後、次第に排気量を上げ、SR311で2000となり、完成形を見せた。
    フェアレデイの名はS30の登場にも受け継がれ、現在にいたる。
  • che*****|2018/12/17 12:17

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    フェアレディが輸出用のSUツインキャブを付けたワークスチューンと知らずに、日本車ごときが英国車に勝てるはずがない!と信じてやまなかった徳大寺氏はまわりの人らに『フェアレディ なんてダメ!だってフロントがドラムブレーキだもん』とか言って高を括ってたのに、まさかのフェアレディ優勝で『お前は日本車はダメだって言ってたけど勝ったぞ⁉︎』って言われて立場がなくなったって言ってた。

    とりあえず『まぁーあれはたまたま速かったなぁー』って誤魔化すしかなかったと(笑)

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