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業界ニュース 2018.11.20

第2回:世界最速の前輪駆動車を目指したシトロエン SM

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1955年にセンセーショナルなデビューを果たしたシトロエン「DS」シリーズは、アヴァンギャルドの極みのようなクルマながら、同時代のヨーロッパを代表する大ヒット作でもあった。

そんなDSの弱点は、エンジンだった。搭載されたパワーユニットは直列4気筒のOHVで、ハイスペック版の2.3リッター燃料噴射版でも130psでしかなく、メルセデス・ベンツやBMWなどのライバルたちに比べればいささか大人しいスペックだった。

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そのため、1950~60年代にドイツの「アウトバーン」からフランスの「オートルート」、さらにイタリアの「アウトストラーダ」までと、高速道路網が急速に発展したヨーロッパ大陸では、年を追うごとにDSのアンダーパワーが目立ち始めた。

DSはデビュー当初こそ「オートルートの女王」と、呼ばれたが、いずれこの地位から陥落してしまうことは、火を見るより明らかだった。

そこでDSや2CVの生みの親であるシトロエン社技術陣トップのアンドレ・ルフェーブル氏は、部下であるジャック・ネ技師とともに、高性能・高級モデルの開発に着手した。DSのデビュー翌年、1956年から早くも立ち上がったこのプロジェクトは、後輪駆動も含めたあらゆる可能性を模索したそうであるが、最終的には当時の市販車では初の「200km/hオーバーを可能とする前輪駆動車」を目標とし、開発が進められた。

ネ技師は、DS用シャシー/ボディを短縮した試作車で開発をスタートした。「ハイドロニューマティック」による完全油圧作動のサスペンションとブレーキシステムはDSと共通。サスペンション形式もDSと同じだったが、パワーアシスト付きのステアリングは、クイックなギア比ながらも高速走行での安定性をより高めるべく、高度な油圧制御を行う速度可変式に進化した。また、舵角を油圧で常に中立に戻そうとする「セルフセンタリング」機構も採用された。

しかし性能向上のためには、心臓部のレベルアップが必須である。そこで、2CV用エンジンの開発も指揮したヴァルテル・ヴェッキア技師は、まずDS用の直列4気筒OHVエンジンに16バルブ+4キャブのDOHCヘッドを組み合わせた高度な試作エンジン「15N」を1961年に開発した。社内で「モデルS」と呼ばれていた試作車に搭載し、テスト走行では180km/hの最高速をマークした、と言われる。

ところが、それでも満足には至らなかったシトロエン首脳陣は、イタリアの名門スポーツカーメーカー「マセラティ」と資本提携を締結。マセラティに高性能エンジンを開発させるという、まさに「掟破り」の方策に打って出たのだ。

マセラティとの提携契約が結ばれたのは1967年。こののちマセラティ社の主任設計者ジュリオ・アルフェエーリ氏は、完成を急ぐシトロエンの要請に応えて、既存のV型8気筒エンジンから2気筒を削った、新しい2.7リッターV型6気筒DOHC 4カムシャフトエンジンの設計を、わずか3週間で仕上げたそうだ。初期の生産型では3基のキャブレターを組み合わせて170psを発揮した。

新開発のエンジンは、流麗なクーペボディに搭載された。ボディデザインは戦前以来のフランス製高級ツーリングカー、ドライエやタルボ・ラーゴに代表される「グラン・ルティエ」の伝統をも髣髴させる優雅なものであった。

このクーペボディのデザインは、開発スタート時こそ2CVやDSをはじめとする戦後シトロエンの傑作すべてを手がけた名匠にして、モダンアートの造形作家としても活躍していたフラミニオ・ベルトーニ氏が担当する予定だった。

ところが1964年にベルトーニ氏が逝去してしまったため、シムカ社からシトロエンに移籍した直後のロベール・オプロン氏がベルトーニ氏の原案を引き継ぎ、彼を中心とした社内スタッフによって完成に至ったとされている。

ゴージャスなスタイリングを誇りつつも、リアに実用的なテールゲートを備えたこのクーペボディにおける大きな特徴は、そのヘッドライト。油圧によって、内側一対のヘッドライトがステアリングの操舵方向と同じ向きを照射する新たなシステムを搭載した。

かくして試作車モデル「S」に、マセラティの「M」が組み合わされたとも言われるネーミングが与えられたシトロエンSMは、1970年春のジュネーヴ・ショーにて発表され、大きな反響を得るに至る。

1972年には、178psにパワーアップした電子燃料噴射仕様を追加、さらに翌1973年には主として北米マーケット向けに、エンジン供給元のマセラティが自社の「メラク」に搭載していた3.0リッター+キャブレターのV型6気筒エンジンを搭載したモデルもくわわった。しかも、この3.0リッターモデルには3速オートマティック・トランスミッションも用意されたのであった。

ところが1970年代中盤に入ると、石油ショックに伴うガソリン価格の高騰、受動安全対策や排ガス対策などへの対応がメーカーに突き付けられ、時代の機運は高性能スポーツモデルに厳しくなっていく。しかも3.0リッター版が追加された翌1974年、経営状況が急速に悪化していたシトロエン社がプジョー・グループ傘下に収まり、経営の合理化が求められたため、セールス状況が芳しくなかったSMは1975年、1万2920台を作り終えた段階で生産終了を余儀なくされてしまったのである。

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(GQ JAPAN 武田公実)

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  • nan*****|2018/11/20 23:16

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    確か写真一枚目の六灯ライト車がオリジナルの筈、なんやけど日本では規制の関係で丸目四灯だった筈。
    70年代のシトロエンは他にもCXやDX等々、これからの車はこんな形になると言わんばかりの未来感有る内外装だった。
    ハイドロニューマチック車は停車時はかなり車高が低くなり、エンジンを掛けると車高が上がる!ので驚いた方もおられたはず。
    しかしながら当時のシトロエンを手掛けたデザイナーさんは今日の車に見られる巨大グリル+ツリ目ライト車をどう思うのか(笑)。

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