日本人は「世界で活躍する日本人」が大好きだ。日本も世界の一部なのだが、この場合の世界は日本以外のことを指す(断言)。やっぱり「世界で活躍」ってカッコいいし、憧れるもんなあ。
自動車デザイナーの世界でも同じ。日本人デザイナーが日本のメーカーで活躍するのはアタリマエだけど、日本車メーカー以外の世界のメーカーで活躍するのは、感覚的には10倍くらい凄い!
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ということで、そのなかでも大変な実績を残した4人の日本人カーデザイナーをモータージャーナリストの清水草一氏が解説する。
文/清水草一
写真/ベストカー編集部、OPEL、BMW、Pininfarina、kenokuyamadesign、SWdesign
■BMW E90型3シリーズ(2005年~)/永島穣二氏
オペル、ルノー、BMWを渡り歩いた永島氏の代表作は、2005年に発表されたBMW3シリーズ(5代目・E90)と言っていいのではないか。突飛な部分はどこにもないが、緻密でカタマリ感が強くて古さを感じさせず、今でも充分なプレミアム感を保っている。
永島氏は1955年生まれ。武蔵野美術大学を卒業後デトロイトに向かい、現地の州立大学デザイン科を卒業、GM傘下のオペルへ。4年後にルノーへ移籍。わずか3年間の在籍中に、サフラン(初代)がデザインコンペを勝ち抜いて採用された。
サフランはあまりフランスを感じさせないインターナショナルなデザインで、マニアからは批判されたが、不振にあえいでいた当時のルノーを立ち直らせるきっかけになった。
1988年にBMW入りしてからは、ずっとミュンヘンに住み続け、今もBMWのエクステリア・クリエイティブ・ディレクターを務めている。さすがに現在はデザインスケッチを描く立場ではないが、BMWでは5シリーズ(4代目・E39)、Z3ロードスターも手がけている。
BMWのデザインは制約が多い。ヘッドライトやグリルの形状や配置には決められた文法があり、変えることはできない。そんななか永島氏の作品を見ると、それほど強いインパクトはないものの、実に安定的な定番商品だ。Z3はスポーツカーだけにやや例外だが、Z3はもともとデザインスタディだったものが、あれよあれよという間に採用されてしまったとか。
永島氏がデザインで一番重視しているのは、時間的耐久性だという。「10年見ても飽きの来ない、噛むほどに味のでるようなものを作りたいですね」(自著『ヨーロッパ自動車人生活』より)。E90はまさにそれ。プレミアム商品には継続性が必要で、変えなさすぎるのも問題だが、変えすぎるのはもっとダメ、とも述べている。
BMWという、デザイン的に制約の多いメーカーにあえて長く在籍しているのは、自身の理想を実現するにはここが最適、と考えているからだろう。
■ピニンファリーナで辣腕を奮った/奥山清行氏
奥山氏は1959年生まれ。GMのチーフデザイナー、ポルシェのシニアデザイナーを経てピニンファリーナのデザインディレクターに。たった15分でフェラーリ・エンツォのデザインを描き上げてモンテゼモーロ会長にプレゼンし、採用されたというエピソードはあまりにも有名だ。
その他、フェラーリでは599、612スカリエッティ、458、カリフォルニアのデザイン・ディレクションを行ったと自ら語っている。ディレクションは監修といった意味合いなので、自らスケッチを描いたのはエンツォのみと考えるべきか?
が、奥山氏が世に送り出したなかで最も美しい自動車デザインは、2004年に発表されたマセラティ・クアトロポルテ(5代目)ではないだろうか。
クアトロポルテで特に印象的なのはフロントまわりの造形だ。波打つ流麗なサイドラインは、クラシカルな峰となって左右フロントに続き、その中央にはボラの口のような楕円形のグリルが突き出している。
これは、初代クアトロポルテ(1963年~)のモチーフを生かしたものだが、微妙な造形の違和感に惹き込まれ、いつのまにか虜になってしまう。凡百の想像をはるかに超えたアンバランス感の中で、見事に調和を描き出しているとでも申しましょうか? 意味不明でスイマセン。
奥山氏は2006年にピニンファリーナを退社。独立してKEN OKUYAMA DESIGNを設立してからは、少量生産スポーツカー、kode7、kode8、kode9、kode57、kode oを発表。
また農機(ヤンマーの社外取締役でもある)や鉄道(JR東日本の新型車両等を手掛ける)の分野で輝きを見せている。自動車デザインは、もはや社外デザイナーに頼らない時代になってしまったことが大きいだろう。
■エンツォ・フェラーリのデザインを15分で描いたというエピソード
ピニンファリーナ時代、奥山氏は、エンツォ・フェラーリのデザインを請け負っていたが、ついにそのデザイン画を見せる時が来た。2年間かけて作ったエンツォ・フェラーリのデザイン画をヘリコプターでやってきてエンジンを止めないで降りてきたモンテゼモロ・フェラーリ会長に見せた。
ところがそのデザイン画を見た途端、「ああ、もうだめだと言ってそのままヘリコプターに乗って帰ろうとした。
これで帰してしまったら、もうフェラーリの仕事ができないと奥山氏の上司はモンテゼモロ会長に15分だけ、待っていだだけませんかと懇願し、奥山氏には「奥山、15分やるからスタジオに戻って絵を描いてこい、あるだろ、例の絵が」っとニタッと笑い、語りかけた。
実は奥山氏はこの時、何か納得がいかないと、万が一のために、見せたデザイン画のほかに、絵を描いていた。でも時間がなく、最後まで仕上げていなかった。
プレゼンテーションルームからスタジオまで走って戻り、描きかけの絵に色を塗って紙に貼って仕上げた。
この間、モンテゼモロ会長にサンドイッチを出して待ってもらっていた。でもさすがに食べ飽きて外に出てきていこうとする廊下で、その絵を見せた。
そうしたらモンテゼモロ会長は「なんだ、おまえらできているじゃないか。やりなさいよ、これ。来週の水曜日に見に来るから、クルマのモデル作って仕上げといてね」と言ってモンテゼモロ会長はヘリコプターで帰っていった。
15分でエンツォ・フェラーリの絵を描いたといわれるエピソードがこれである。
■オペルで活躍した日本人デザイナーの草分け/児玉英雄氏
長年オペルでデザイナーとして活躍した児玉氏は、海外メーカーで実績を残した日本人デザイナーの草分けだ。なにせ、児玉氏がオペル入りしたのは1966年。まだ日本の自動車メーカーでは、デザイン部門の形すらあいまいだった。
そんななか、雑誌などのわずかな情報から独学で自動車デザインを学んだ児玉氏は、自らのスケッチをGM(オペルの親会社)本社に送り、それだけで採用通知が来たというから驚くしかない。
おそらく、児玉氏の描くスケッチの素晴らしさが決め手になったのではないか。『NAVI』誌に長年連載されていた氏のスケッチを見ても、とってもカッコよくてオシャレさん。ステキな生活が予感されるのである。
児玉氏が入ったアダム・オペルは、ヨーロッパの大衆車メーカー。派手なモデルはほとんどなく、生活に根付いた実直なデザインが持ち味だが、児玉氏がかかわったモデルも、コルサやアストラなど、地味で堅実なモデルがほとんどだ。インタビューでも、「誰もが買えて使えるようなクルマをデザインするほうが熱が入ります」と語っている。
児玉氏は結局、2004年に退社するまで、オペルに約38年間も在籍した。座右の銘は「自然体」。まさに自然体なデザイナー人生だった。
児玉氏の代表作は、2代目コルサということになるだろうか。日本では「ヴィータ」という名前でヤナセで販売されたが、丸っこいフォルムは親しみやすく、ドイツ的な重々しさはない。どちらかというと日本車的と言ってもいいかもしれない。
■今につながるアウディのシングルフレームを確立/和田 智氏
日産からアウディに移籍し、多くのモデルのデザインを手がけた和田 智氏。最大の業績は、3代目アウディA6での「シングルフレームグリル」の採用だ。
シングルフレームグリルは、グリルをバンパーの下部まで大きく広げたもので、当初は見る者にかなりの違和感を抱かせたが、それまで衛生的過ぎてインパクトに欠けたアウディのエクステリアに、強烈な個性を与ることに成功した。
正直なところ3代目A6の大きなグリルは、全体のフォルムになじみ切っていないようにも見えるが、その後シングルフレームグリルは洗練を重ね、アウディのアイコンとして定着した。
和田氏はこのグリルの着想を、1936年のアウトウニオン(アウディの前身)のレーシングカー、タイプCから得たという。自動車デザインは新しさを追うばかりでなく、常にその遺産を振り返るべきとの考えからだ。
エクステリア全体の完成度としては、2007年のA5(2ドアクーペ)が、和田デザインの最高傑作だろう。A5はまったく隙のない超絶精緻なクーペデザインで、デビュー当初から高く評価されている。直線基調の端正なフォルムだが、単純な直線はどこにもなく、サイドを貫く鋭いエッジは、波のように静かにうねってフォルムに力感を与えている。
和田氏はその他に、「アバンティッシモ」(2001年)や「パイクスピーククワトロ」(2003年)といったコンセプトカーも手がけているが、2009年にアウディを退社し独立、デザインスタジオSWdesignを設立している。現行アルトのデザインは彼の手によるといわれるが、スズキ側は公表していない。
ちなみに和田氏は、日産時代にはセフィーロ(1988年)、プレセア(1990年)、ブルーバード(1996年)などを手がけたが、アウディ時代の輝きと比べると、どれも凡庸だ。もちろん、和田氏がこれらのデザインにどこまでかかわったかは定かではないが……。
今回、取り上げた4人のデザイナーは、すでに大きな実績を上げたベテランばかりで、最年少でも和田氏の1961年生まれだ。
しかし海外メーカーのデザイン部門には、今後、名を上げるであろう日本人デザイナーが数多くいる。きっと近い将来、我々の前に美しいデザインのクルマを披露してくれるに違いない。
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