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業界ニュース 2018.6.30

2スト戦国時代へ ヤマハの秘策は市販レーサーと同時開発

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■2ストロークモデル「RZ」の長期政権は維持し続けたのか?

『2ストロークのヤマハ 「RZ」は熱狂的時代の象徴だった』と題した前回の記事では、RZ250が発売された頃の時代背景やその人気っぷりを振り返りました。80年代に巻き起こったレーサーレプリカブームのきっかけはRZ250の存在なしに語れないものの、ブームにはやがて終わりがあります。今回はそのあたりの話を中心にお届けしましょう。

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 1980年に発売されたRZ250のヒットにより、2ストロークに対して厳しくなりつつあった世論はどこへやら。その圧倒的な人気を他メーカーが無視できるはずもなく、まずはホンダが打倒ヤマハに名乗りを上げました。それが1983年2月に発表されたMVX250Fです。

 その車体に搭載された水冷V型3気筒エンジンは、当時のGPマシンと同じ形式だったこともあって騒然とし・・・・・・と言いたいところですが、実際はそうでもありませんでした。なぜならスタイリングにサーキットの雰囲気が感じられず、オイルや電装系のメカニカルトラブルも影響してわずか1年強の短命に終わったからです。

 一方、ヤマハはそれを横目にRZ250の進化版となるRZ250Rをリリース。これはダブルディスクやリンク式サスペンション、ビキニカウルを採用したスポーツ仕様で、RZ最強時代を揺るぎないものにするはずでした。

 ところがです。スズキにとんでもない隠し玉がありました。それが市販車初のアルミフレームを採用し、レーシングマシンさながらのカウルをまとって登場したRG250ガンマです。単体重量わずか7.6kgという超軽量フレームに、クラス最強の45psを誇る水冷並列2気筒エンジンを組み合わせたそのマシンは、1983年3月に発売されると年間3万台もの販売を記録。振り切れたそのスペックの前では、さしものRZも防戦を余儀なくされたのでした。

 ほどなくフルカウル&アルミフレーム&セパレートハンドルは、このクラスの必須アイテムになり、ヤマハもRZでは対抗しきれなくなります。

■他メーカーとの差別化は技術者の熱量と勢いから生まれた

「もう面倒くさいし、時間も掛けてらんないし、レーサーのまんま出しちまえ!」と、そんな風に誰かが言ったかどうかはさだかではありませんが、ヤマハは次期250ccレーサーレプリカのプロジェクトリーダーにYZR500(いわゆるファクトリーマシンです)のエンジニアを迎え、しかも市販レーサーTZ250と並行して開発することを決定。斬新というか、ド直球というか、効率的というか、ともかくそういう熱量と勢いの中で生み出されたマシンがTZR250でした。

 実際、1985年11月に発表されたそのマシンのメインフレームは市販レーサーと同じ型で作られるほどの近似性があり、そういう本気度にファンは熱狂。それでいて扱いやすく、「ハンドリングのヤマハ」という評価が一気に広がったのです。

 メーカー間の覇権争いはこのTZR250の登場をきっかけに本格的に激化。ホンダはMVX250Fの後にNS250 R(1984年)、NSR250R(1986年~)と矢継ぎ早にニューマシンを送り出し、そこにスズキRGV250ガンマ(1988年~)とカワサキKR-1(1988年~)が彩りを添える、というのが80年代後半の250ccクラスでした。

 そんな中、当初は純然たるレーサーレプリカとして存在していたRZはいつしかフレンドリーなスポーツバイクへと立ち位置を変え、1988年のRZ250Rを最終モデルとしてその役割を終えたのです。

 一方、TZR250はそれを見届けたかのように完全に独自の進化を遂げていきます。1989年になると、前年型の市販レーサーを追いかけるように前方吸気&後方排気の並列2気筒エンジンへと刷新。乾式クラッチを装備したSP仕様もラインナップするなど、レーシングマシンとしての純度を高めていったのです。

 そして1991年。この年ついにV型2気筒エンジンが搭載され、今度は市販レーサーというよりもファクトリーマシンYZR250のイメージがそこに与えられました。

 その後、幾度かのモデルチェンジを経て、1999年で生産を終了。ほぼ時を同じくして最大のライバルだったNSR250R(最後はSEグレードのみ販売)も生産を終え、このクラスにおけるレーサーレプリカブームにそっと幕が降ろされることになったのです。

■狂乱の時代は収束へ、ヤマハの2スト魂は未だ消えず

 RZに始まり、TZRで終わったヤマハの2ストロークマシンですが、そのDNAは様々なモデルへと派生していきました。あまりに破天荒なスタイルが話題を呼んだTDR250(1988年)はある意味アドベンチャーモデルのはしりと言えますし、RZのスタイルを新しく解釈し直したR1-Z(1990年)は、今で言うところのネオクラシックにカテゴライズしても差しつかえないかもしれません。

 また、排気量を少し下げても同様です。その過激さと軽さによって「峠最速」とも評されたRZ125は後にTZR125へ進化したに留まらず、そのエンジンをスケールアップすることによって、SDR(1987年)という斬新なモデルを生み出すことになりました。

 メッキが施された美しいトラスフレーム、1人乗りに割り切ったスリムなボディ、乾燥重量105kgの車体が生み出す俊敏なハンドリングなど、それらは現代でもまったく古さを感じさせず、独創性に富んだもの。

「デザインのヤマハ」、「ハンドリングのヤマハ」、「2ストロークのヤマハ」のすべてが詰まった忘れ難きマシンとして、今なお熱狂的なファンに支持されています。ビジネスとしては大きな成功を収められなかったものの、時が経つほど評価を高めることになった稀有な1台と言えるでしょう。

 現在、ヤマハは一部の競技用マシン(YZシリーズ)にのみ2ストロークをラインナップしていますが、これはなんとか生き長らえさせている、といった消極的な姿勢ではありません。

 パワーとトルクを両立したフレキシブルなエンジン特性、軽さを活かした一体感の高いハンドリング、ランニングコストの低さ。そういうメリットに十分な価値があるからこそ、開発を継続してくれているのです。

 かつてのRZがそうだったように、なんらかのきっかけがあれば公道用の2ストロークモデルが送り出される可能性もゼロではないでしょう。海外では、すでにいくつかのメーカー2ストロークのインジェクション化と、それにともなう排ガスの低減を実現していますからその復権に期待しています。

 今でも購入可能なヤマハの250cc 2ストローク車両「YZ250」の価格は、72万3600円(税込)です。YZ各シリーズは競技車両のため公道での走行は禁止されています。

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(くるまのニュース 伊丹孝裕)

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みんなのコメント

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  • pin*****|2018/06/30 17:04

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    SDRは今でも美しいと思う。
    チャンスがあったら欲しいが、今のオレには原付二種が限界。
  • cqd*****|2018/07/01 05:59

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    SDRが新型車として雑誌広告に載った、横から写した写真を見て「いいな」と思ったんだけど、実車に跨って見下ろしたとき、RZ50より貧相に見えて「イラネ」と思いました。人気も低く、いつのまにかカタログからは消えていましたっけ。その程度の人気だったのでホンダもお得意の後出しジャンケン車を出しませんでしたね。
    それもあってか、今でも遠くに停まっていても「あ、SDR」と見間違えることなく認識出来、そう思うと個性的じゃん、と今更のように思えて購入してしまいました。
    今、稼働させているのが購入3台目のSDR。

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