東海北陸道の各務原トンネルで“解除”
「トンネル内のセンターラインを黄色の実線から白色の破線に変更しました。トンネル内の車線変更が可能となりますが、引き続き安全にご走行ください」
NEXCO中日本名古屋支社が2023年10月20日、公式X(旧Twitter)でこのような発信を行い、東海北陸道の「各務原(かかみがはら)トンネル」で、センターラインの黄色の実線を消す作業や、白の破線になった後の姿などを公開しました。
同トンネルは上り線3050m、下り線3015mという長さですが、従来その内部は前後区間とともに、車線変更が禁止されていました。2019年3月までは、ひとつ南の権現山トンネル(上り線1465m、下り線1430m)も同様で、6km以上にわたり車線変更が禁止となっていました。
このようにトンネルとその前後で車線変更を規制している区間は全国的に見られ、それが解除されたのも、あまり例を聞きません。各務原トンネルや権現山トンネルは、なぜ車線変更が規制され、それが解除に至ったのか、岐阜県警の高速隊に聞きました。
「トンネルは閉鎖空間であり、車線変更により壁に衝突するなどの事故が起これば、トンネル火災など重大事故につながる恐れがあります。車線変更をしなければリスクは下がる――そうした観点から、この区間(岐阜各務原IC 関IC)は1986(昭和61)年に開通した当初から、車線変更を禁止にしていました」
約3kmの各務原トンネルは、当時としては長いほうであり、車線変更禁止規制はできる限りの安全対策であったといいます。なお、権現山トンネルについては、内部でゆるいカーブを描いていること、各務原トンネルと連続する区間であることから、合わせて規制をしていたそうです。
規制解除の“意外なきっかけ”
東海北陸道の車線変更禁止区間は、暫定2車線の対面通行区間である飛騨トンネル(1万712m)を除けば、この各務原トンネルのみとなっていました。車線変更禁止の解除には利用者からの要望もあったそうです。
NEXCO中日本名古屋支社は、各務原トンネルでの規制解除のきっかけについて、トンネル火災などの際に反対側のトンネルへ退避できる「避難連絡坑」の増設が完了したため、と話していました。
岐阜県警によると、「道路管理者と安全対策を協議するなかで、トンネル照明のLED化、避難誘導対策の強化などがなされたことを受け、規制解除となりました」といいます。この避難誘導対策の強化が、すなわち避難連絡坑の整備完了というわけです。なお、各務原トンネルより短い権現山トンネルは、トンネル照明のLED化を受け、先行して規制を解除していたといいます。
各務原トンネルの避難連絡坑の整備は、トンネルの防災機能強化やリニューアル工事の一環として、車線規制を伴いながら約2年をかけて完成しました。岐阜県警の高速隊は、「(トンネルが開通した1980年代から)時代が変わって、いろいろな設備が整ってきた」と振り返ります。
他の高速道路においても、こうしたリニューアル工事が進められるなかで、既存の交通規制の見直しも行われるかもしれません。
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みんなのコメント
車線変更による自動車同士の衝突だったということで、
ちょっと長めのトンネルは判で捺したように車線変更禁止になった。
そうやって安全を確保しますよ、って触れ込みだった。
だけど、トンネル内で必要以上に速度を落とす先行車がいる場面で、
車線変更禁止を頑な守ろうとすると車間が詰まって
却って危険になることは素人目にも明らかなので、
40年以上たってようやく「車線変更を認めた方が安全だ」と
認識が改められてこうなった、って顛末。
「安全を確保するために車線変更しました」なんて言い訳しても、
後方で獲物を狙ってるケーサツ屋さんには通用しないし。
当時と今と大きく状況が違うとすると、近視矯正手術の普及。
その手術をやると「必要以上に速度を落とす」確率が高くなりがち。