モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは全日本GT選手権を戦っていた『RGSミラージュGT1』です。
* * * * * *
『ロータス・エスプリスポーツ300』GT復活元年を彩った英国名門の旗艦マシン【忘れがたき銘車たち】
今からおよそ50年前の1970年代。イタリアのスポーツカーメーカー、ランボルギーニは不朽の名作『カウンタック』を世に送り出した。
その登場とほぼ同時期に起きたスーパーカーブームの代名詞とも言えるような車種のひとつであったこともあり、『カウンタック』の名は日本でもよく知られるようになる。ただし、スポーツカー/スーパーカーという立ち位置のカウンタックだったものの、1970~80年代は基本的にレーシングシーンに姿を見せることはなかった。
そして、全日本GT選手権(JGTC)が本格的にスタートした1994年、GT500クラスの前身であるGT1クラスにジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ(JLOC)が70年代の名車であるはずのカウンタックで参戦した。しかし、翌1995年からJLOCは、後継モデルであるディアブロをJGTCに投入したため、カウンタックは1年限りで再びレースシーンから姿を消すこととなった。
そこから5年後の2000年。再び、“カウンタック”がJGTCのGT500クラスにエントリーしたのだ。といっても現れたのはホンモノのカウンタックではない。その正体はレプリカの『RGSミラージュGT1』というマシンであった。
RGSミラージュはイギリスのミラージュ社が製作したカウンタックのハンドメイドレプリカで、リヤミッドにシボレー製5.7リッター自然吸気エンジンを積むマシンだ。レーシングカーが先に一台だけ製作され、その後、レースに出場するために必要な車両公認(ホモロゲーション)の条件を満たすためにロードカーが100台前後のみ作られたというエピソードを持つ。
その一台だけのレーシングカーは、1998年のイギリスGT選手権を戦っていたものの規定の変更によって出場不可となる。そして、1年を挟んで、スリランカ人のディランタ・マラガムワが主宰するチーム・スリランカによって、今度はJGTCへとやってきたのだ。
チームはRGSミラージュを2000年の第2戦富士スピードウェイラウンドにエントリーさせるも、この時は決勝前のフリー走行で火災を起こし、決勝レースは未出走に終わる。その後、数戦へ参戦するものの、結局決勝を走ることはなく、2000年を最後にJGTCから姿を消してしまった。
だが、これで終わりではなかった。撤退から3年後となる2003年、チーム・スリランカの車両を引き継いだチーム・レイジュンがRGSミラージュをJGTCに復活させた。GT500ではなく、GT300にクラスを変えての参戦だったものの、今度は決勝レースへ出走できた。
2レース制で開催された2003年の第4戦富士スピードウェイラウンド。その1レース目で24位となり初完走を果たしたRGSミラージュだったが、それが最初で最後となる。
RGSミラージュは、雨のなかで行われた2レース目でクラッシュしてマシン全損。その影響により、このマシンのGT参戦活動に幕が下ろされたのであった。
[オートスポーツweb 2025年07月24日]
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
だから「クラッシュしたら終わり」という、とてもじゃないけどレースに参戦する資格のない車であった、みたいな話がASだかR’onだかに乗ってた。