歴史あるイベントへ日の目を当てた映画
真鍮製のラジエターキャップから、圧力が高まった蒸気が漏れ始める。2気筒エンジンは、メトロノームのように一定の間隔ボディを揺らし続ける。御年119歳というビンテージカーにとって、筆者の体重は少々重荷だったらしい。
【画像】ベテランカー・ランの功績車 ダラック10/12HP スパイカー12/16HP 同時期のビアンキ 現行のスパイカーC8も 全55枚
1953年の英国アカデミー賞を受賞した映画、「ジュヌヴィエーヴ」で主演級の活躍を披露したダラック10/12HPと、共演したスパイカー12/16HP ダブルフェートンの再会が叶うまで、70年の時間が必要だった。冷却液が落ち着くまで、じっくり待つとしよう。
2023年は、映画の公開から80周年という節目。それを記念し、ロンドンから南岸のブライトンを目指す恒例イベント、第88回「ベテランカー・ラン」への参加が予定されている。この記事が読まれる頃には、約80kmのルートを走り終えているはずだ。
ジュヌヴィエーヴが成功したことで、ベテランカー・ランという世界で最も歴史ある自動車イベントの1つへ、日の目が当たることになった。クラシックカーを嗜むという魅力を、多くの人へ伝えることにも繋がった。
こうしてAUTOCARでダラックとスパイカーの記事をお伝えできるのも、映画があってこそ。今回は、実際に撮影へ使われた2台をご紹介したい。
朽ちた2台を組み合わせ走れる状態に
ジュヌヴィエーヴと呼ばれることになるダラックは、1945年に管財人のビル・ベイリー氏によって発見された。ロンドン北東部にあった建設業者の資材置き場に、15台のクラシックカーと一緒に放置されていたという。
ベイリーは友人でカーコレクターだったビル・ピーコック氏とジャック・ワズワース氏へ連絡。丸ごと45ポンドで買い取る、という契約が結ばれた。
そこには、1904年から1905年に作られた2台の10/12HPが含まれていた。1台は部品が剥ぎ取られた状態ではあったが、フレームは綺麗だった。他方は見た目が悪くなかったものの、フレームは朽ちていた。
2人は引き取り手を探し、25ポンドで購入したのがロンドンの北に住むピーター・ヴェニング氏。2台を組み合わせ、走行可能な1台が作られた。失われていたフロントホイールは、フォード・モデルT用のものが流用されたようだ。
しかし、ハートフォードシャー州で農場を営むヴェニングには、レストアを仕上げる予算がなかった。最終的に、モータースポーツ誌の売買枠へ35ポンドで売りに出された。
救いの手を差し伸べたのが、フォードのディーラーを営んでいたノーマン・リーブス氏。高性能なダラック・フライング・フィフティーンへ準じたラジエーターを復刻することで、不満なく走れる状態が目指された。
ボディの高い位置に載るベンチシートは延長され、トランクも追加。使いやすさも改善された。彼は、完成したダラックで1950年のベテランカー・ランへ参戦。完走を記念するメダルの1枚が与えられた。
主演はダラック10/12HP 助演はスパイカー12/16HP
他方、スパイカー12/16HPが発見されたのは、ロンドン西部のスクラップヤードだった。1952年より前に、フランク・リース氏によって丁寧なレストアを受けている。
遡ること1905年、ネザーランドの工場でパワートレインを載せた12/16HPのシャシーがラインオフ。ロンドンの代理店へ届けられ、美しいダブルフェートン・ボディが架装されている。
この2台を結びつけたのが、南アフリカの映画プロデューサーで監督、ヘンリー・コーネリアス氏。1952年に、ベテランカー・ランを舞台にしたコメディ映画の製作を、主催する英国ベテランカー・クラブ(VCC)へ持ちかけた。
内容が理解され、撮影の承諾は得られたものの、英国ブランドのクルマを中心的に扱うという計画は実現に至らなかった。最終的に、リーブスのダラック10/12HPが主演のクルマに選ばれ、リースのスパイカー12/16HPは助演へ決まったらしい。
この2台で撮影されたのが、映画「ジュヌヴィエーヴ」だ。ダラックには、メーカーの発祥の地、パリへちなんだ名称として、作品のタイトルでもあるジュヌヴィエーヴという愛称が付けられた。
ストーリーは、俳優のジョン・グレッグソン氏とケネス・モア氏が演じる、2人の自動車マニアの交友と、お互いの妻との運命を描いたもの。ロンドンからブライトンまでのレースが展開の軸となるが、喜劇的なライバル関係も見どころの1つだろう。
映画のヒットでベテランカー・ランも人気に
製作費は非常に限定的で、撮影は10日間でこなされた。ベテランカー・ランのシーンには、スタート地点のロンドン・ハイドパークと、ゴール地点のブライトン・マデイラ・ドライブで、1日づつしか割かれていなかった。
それ以外の撮影はロンドンの西に現存する撮影所、パインウッド・スタジオと、その周辺でまかなわれた。それでもコーネリアスは、グリーンバックによる合成は避けた。クルマのレプリカを制作し、低い台車へ載せて走行シーンがカメラに収められた。
撮影に関わったクリストファー・チャリス氏によると、俳優のグレッグソンは運転免許を持っていなかったらしい。そもそも、運転の方法すら知らなかったという。
果たして、映画は英国で大ヒット。先出の通り1953年の英国アカデミー賞で最優秀映画賞を受賞する。映画音楽を手掛けたラリー・アドラー氏も、陽気なサウンドトラックが評価され、オスカー候補へノミネートされた。
ただし、コメディ的な要素にイベントを主催するVCC側は皮肉的なコメントを発表している。「映画に描かれた立ち居振る舞いと、実際のクラブメンバーとの類似性があったとしても、クラブ側はそれを否定します」。と。
映画の公開から5か月後、1953年のベテランカー・ランには、その影響が如実に現れた。優れない天候の中、実際に走るダラックとスパイカーを目撃しようと、前例にない大観衆が沿道へ参集。イベントが長期的に継続される、きっかけを作ったといえる。
この続きは、ダラック10/12HP スパイカー12/16HP ベテランカー・ランの功績車(2)にて。
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
みんなのコメント
この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?