『ブレイキング・バッド』の製作総指揮を務めたヴィンス・ギリガンが手掛けるドラマ『プルリブス』がApple TVにて配信中だ。現代社会を痛烈に皮肉ったSF作品は、最高に面白いと同時に背筋がゾッとする怖さも秘めている。本作の見どころを解説する。
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また、アルバカーキに帰ってきた。映画やドラマを熱心に追いかけているファンにとって、ニューメキシコ州のアルバカーキは特別な場所だ。2010年代、「ピークTV」と呼ばれたドラマ黄金期を代表する作品のひとつ『ブレイキング・バッド』(2008–2013)、その前日譚と後日譚を描く『ベター・コール・ソウル』(2015–2022)、そして主要人物のその後を追った映画『エルカミーノ』(2019)。これらはその舞台の名を冠し、「アルバカーキ・サーガ」として伝説化している。
「伝説」と言った理由は、作品の完成度の高さだけではなく、全125話と映画1本という長大なナラティブを育む「土壌」が、テレビからもストリーミングからも失われ、さらには視聴者の視聴習慣すらも変化してしまった現在において、このようなシリーズが再び作られることは、おそらく二度とないからだ。時代のあらゆる偶然が重なり、奇跡的に誕生した幸福な作品として、その評価は今後も揺らぐことがないだろう。
これらを手がけたスタッフと、ショーランナーのヴィンス・ギリガンがApple TVに集結し、再びアルバカーキを舞台に描いた新しいドラマシリーズが『プルリブス』だ。「アルバカーキ・サーガ」をIPとして延命させることもできたにもかかわらず、それを放棄してヴィンス・ギリガンは今一度、新作シリーズに挑戦し、我々の期待をやすやすと超えてしまった。そう、『プルリブス』はたまらなく面白いのだ。
優れた作家は、自分のクリエイティブに何が必要かを熟知している。ソニー・ピクチャーズとの盤石な制作体制、アルバカーキのロケーション、そして『ベター・コール・ソウル』で見事な演技を披露したレイ・シーホーン。これらに加え、今回、「2020年代の悪」を描くために彼が選んだのはSFの物語形式だった。SFの想像力は、いつだって社会の有り様を、祈りとともに映し出す鏡だ。最高のチームと稀代のショーランナーが贈る新たな興奮を、ぜひチェックしてほしい。
複製芸術とパンデミック
1話の冒頭、画面に映し出されるのは宇宙からの信号をキャッチする巨大なアンテナ。その足元でキャッチボールをしながら二人の人物が会話をしている。話題は、ボイジャー号とともに宇宙へ旅立ったゴールデンレコードについて。複製技術の発展は、音楽にレコードという形を与え、アメリカの思想をポップカルチャーとして世界中へ、ついには宇宙にまで拡散させた。これはアメリカのフロンティアスピリットと、複製芸術による「文化の覇権」、その傲慢さを象徴するエピソードとも言える。はたして、チャック・ベリーのJohnny B. Goodeは、異星人にどう聴こえただろうか。この冒頭の何気ないシーンは、本作を読み解く上で重要な補助線となる。
一方、そんな巨大アンテナのことなどつゆ知らず、新作のブックツアーに奔走しているのが、本作の主人公キャロルだ。彼女はロマンティックファンタジー小説『ワイカロの風』シリーズの作者として熱狂的な人気を博している。「本」という形式もまた、15世紀の活版印刷以降、複製可能な芸術として確立されたメディアだ。それは翻訳の力も相まって世界各地へと拡散し、影響力を強めてきた。劇中では、キャロルが本を媒介にファンと交流を深める様子が描かれる。しかし、その光景とカットバックで映し出されるのは、研究所で「謎のウイルス」が生成され、パンデミックに発展するまでのプロセスなのだ。
ここで言語とウイルス、複製芸術の拡散とパンデミックが、同等のものとして提示される。キャロルは英語というもっとも感染力の高い言語を駆使し、遠く離れた読者たちを「ひとつ」にしてきた。しかし、1話のラスト、キャロルの自宅のアンテナがキャッチした電波は、テレビに恐るべき映像を流す。なんと、地球上の人類は全員ウイルスの力で「ひとつ」になってしまったらしい。キャロルたったひとりをのぞいて。
ひとつになった人類
人類はウイルスによる「一体化」、劇中で「Joining」と呼ばれる過程を経て、ハイブマインド(集合精神)を共有する存在となる。それぞれの身体は個別のままだが、過去の記憶や知識、リアルタイムの知覚はすべて共有され、内面は完全に均一化されている。
5話の「病院のシーン」を見てみよう。廊下の奥から手前へと進む人物を、カメラが後退しながらワンカットで捉えていく。そこで医療器具を運んでいるのはあどけない子どもや、ラフな服装でタトゥーが目立つ女性だ。人類全員があらゆる特殊技能に精通したがゆえの合理的配置なのだが、その光景は、不自然に現実を模倣するAI生成動画のようだ。
SFの歴史において、「人間の中身が乗っ取られる」という設定は定番だ。そのことはジャック・フィニイの小説『盗まれた街』(1955)が、ドン・シーゲル監督『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956)を皮切りに何度もリメイクされていることからもわかる。リメイク版『遊星からの物体X』(1982)や『ゼイリブ』(1988)にも顕著なように、この設定には、その時々の時代に対する潜在的な恐怖、マッカーシズムや冷戦下における隣人への不信、パラノイア、あるいは広告とプロパガンダに支配された消費社会へのアンチテーゼなどが反映されてきた。
それが『プルリブス』においては、AIの進化や、スマートフォンと常時接続による「監視社会」のアナロジーとして描かれている。誰もが見た目以外は無個性となり、淡々とシステム運営のためだけに最適化された行動をとる世界。この光景を「気味が悪い」と感じるのは、残念ながら感染しなかった「旧人類」のキャロルだけなのだ。
これが理想の世界?
本作では時折タイムカウンターが挿入され、「Joining」の瞬間まではゼロに向かうカウントダウン、そして発生後は、ゼロから1秒ずつ時を刻むカウントアップへと反転する。これは、B.C.(Before Christ)のように、人類史が「Joining」を起点として、暦が新たに更新されたことを示唆している。
「新時代」の住人たちは、7日と経たずして、旧人類の社会システムを一新してしまう。彼らは個体の生命維持に必要な最低限の物資しか求めないため、所有の概念とともに資本主義は消滅、貧富の差は解消される。生産と流通も極限まで最適化され、長期的には気候変動も改善に向かうだろう。さらに、彼らはとてもやさしい。動物や植物を含む、あらゆる生命体に危害を加えることができない性質を持っているため、地球規模で見れば生態系は回復していくはずだ。
これらの描写は、2020年のパンデミックによるロックダウンで経済活動が停止した際、世界中の都市でスモッグが消え、空が青く澄み渡ったエピソードを彷彿とさせる。もし、あのCOVID-19を経て、私たちの精神が変わり、社会システムが激変していたら?そんなイメージが本作には反映されているのだ。
西部劇としてのプルリブス
しかし、旧人類の生き残りであるキャロルにとって、こんな全体主義的な状況はまったく面白くない。「彼ら(ハイブマインド)」はつねに友好的で、彼女の望むことを何でも叶えてくれる。その振る舞いは、プロンプト次第で最適解を返すAIそのものだが、彼女はそんな彼らに強い拒否感を抱き、結果として、孤独な生活を送ることになる。
このキャロルの孤独が、『プルリブス』の西部劇としての側面を浮かび上がらせる。「アルバカーキ・サーガ」でも見られた現代西部劇の演出が、本作でもっとも顕著に現れるのが、シーズン1(全9話)の折り返し地点にあたる第5話「ミルク飲んでる?」だ。西部開拓時代、牛乳が貴重だった歴史的背景を踏まえると、このタイトルはいかにも皮肉が効いている。
キャロル以外、誰もいなくなったアルバカーキの街。その上に広がる空が、ジョン・フォードの西部劇との連続性を画面に与えている。自宅の庭でゴミを漁るコヨーテと、そのゴミを片付けるために飛んでくるドローン。キャロルは路上に放置されたパトカーに乗り込み、「Joining」の過程で命を落としたパートナーの墓を作るために、車を走らせる。
弔いの最中、横長のシネマスコープサイズの画面が焼け付くようなオレンジ色の夕日に染まる。逆光の中、黒いシルエットとなって佇む彼女の姿は、ここが2020年代であることを忘れさせ、時間を一気に開拓時代へ巻き戻す。このSF設定があるからこそ成立する、あまりにも美しい西部劇のショット。ハイブマインドのアルゴリズムに支配された世界で、彼女だけが、かつての人間らしい「痛み」と「喪失」を抱えて立っている。ここに新しいものは何一つ生まれない。過去のヒットソングを口ずさみながら、ただ夜が来て、また朝が来る。彼女は、たったひとりなのだ。
彼らはまだ人間なのか?
キャロルの孤独は、ハイブマインドに取り込まれなかった他の人々との対話によって、よりいっそう際立つことになる。第2話の時点で、地球上にはキャロル以外にも非感染者が存在することが明かされる。
キャロルの提案で彼らは集まり、エアフォースワンの機内の中で話し合うこととなる。いかにもハリウッドのブロックバスター映画を思わせるシチュエーションの中で、キャロルは「ここにいるみんなで世界を救おう」と呼びかける。しかし、他の人々は乗り気ではない。なぜなら、彼らの認識ではハイブマインドのおかげで、世界はすでに救われているからだ。議論の中で、モーリタニア人のひとりはこう語る。「今の世界では肌の色で差別されることはない」と。そう、その場にいるのは白人であるキャロルを除けば、全員が有色人種なのだ。
このシーンに、グローバルサウスとBRICS経済圏が台頭する現代におけるアメリカの孤立、そして国際政治における「リーダー」としての存在感の希薄化を重ねることもできるだろう。キャロルが英語で高らかに宣言する「世界を救う」という言葉は、もはやかつてのような普遍性を持たないのだ。
そもそも、キャロルの言う「世界を救う」という行為が、「彼ら」の信条を否定し、無理やり元の状態へ戻すことを意味するなら、それは異教徒に「改宗」を迫る行為に近い。15世紀の大航海時代、西洋の宣教師たちが未開の地に赴き、「教化」の名の下に行った文化的暴力。キャロルの宣言は、無自覚にその歴史と重なって見えてしまう。
実際、シーズン1において、12人──この数字がキリストの十二使徒を想起させるのは偶然ではないだろう──の中で唯一、キャロルの考えに同調する人物のマヌッソスは、彼女から届いたビデオメッセージをまるで天啓を受けたように見つめる。彼はこの新しい世界において、システム自体が消滅しているにもかかわらず、資本主義の敬虔な信者として、所有権や金銭の授受にこだわり続ける。対価として金を支払い、人のものを奪うことは決してしない。そんな彼にとって、ハイヴマインドは、人間としての尊厳や財産を奪った許されざる略奪者なのだ。
西洋の植民地支配の根底には、つねに「他者の悪魔化」が存在する。たとえば、ハイブマインドを共有する「彼ら」の一人称は「We」であり、対するキャロルはあくまで「I」だ。両者の文化には決定的な隔たりがあり、相互理解がいかに難しいかわかる。だが、その理解を放棄し、彼らを人間ではなく「アリか何か」のように、非人間化した瞬間、歴史は最悪の形で繰り返されるだろう。ここで恐ろしいのは、誰も傷つけることができない「やさしい彼ら」に対し、暴力を行使できるのは、旧人類のキャロルだけということだ。
タイトルの『プルリブス』は、アメリカの紙幣にも刻まれている標語「エ・プルリブス・ウヌム(多数から一つへ)」に由来するが、そのロゴ表記をよく見ると「PLUR1BUS」と綴られている。この「1」が指すのはキャロルのことだろうか。彼女は救世主か、はたまた大虐殺者か。そのどちらの可能性も孕んだまま、シーズン1は幕を閉じる。
思えば、『ブレイキング・バッド』のウォルター・ホワイトも、『ベター・コール・ソウル』のソウル・グッドマンも、自らの「負け」を認められないがゆえに暴走し、状況を泥沼化させていったキャラクターだ。もし、キャロルもまた自身の敗北を受け入れず、「正義」を掲げて戦い続けるとしたら、そこには、彼らですら及ばなかったほどの悲劇が待ち受けているに違いない。
ウォルター・ホワイトは、自らを「ハイゼンベルク」と名乗り、裏社会のドラッグビジネスでのし上がっていった。そして、ニューメキシコはトリニティ実験が行われた場所でもある。ヴィンス・ギリガンの「悪」を見つめる視線は、本作でもまったくブレていない。たった「1」発の爆弾が世界の形を変えてしまったように、たった「1」人のエゴが世界を焼き尽くすかもしれない。「人間の中身が乗っ取られる」という定番のSF設定を入り口に、『プルリブス』はとてつもない到達点へと向かおうとしている。
シーズン2の展開も気になるところだが、シーズン1をすべて観終えた人は、ぜひもう一度、第1話を振り返ってみてほしい。まだかつての文明の暮らしが残っているエピソードを見返すと、頭がくらくらしてくるはずだ。人類が理性的存在であるかのように振る舞い、その野蛮さを社会システムによってなんとか隠蔽しながら生きる、その光景がいかに脆い幻想であるのか。そして、それがなぜ今日まで崩壊せずに保たれてきたのか。そのことさえ、もはやわからなくなってくるだろう。
Apple TV『プルリブス』文・島崎ひろき
編集・遠藤加奈(GQ)
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