コンディションのいい砂漠地帯の廃車
米国アリゾナ州サッチャーのジャンクヤード『バレー・オート・レッキング(Valley Auto Wrecking)』を訪れたのは数年前のことだ。
【画像】欧米で人気を集めた上品な2ドア・クーペ【オペル・マンタAを詳しく見る】 全20枚
以前にも何度か電話で問い合わせたことがあり、その度に質と量の両方に感銘を受けていた。このヤードは1967年に創業し、コンディションの素晴らしいクルマを数多く取り扱ってきた。しかし、前回の訪問直前に、オーナーが大量のクラシックカーを処分したため、空きスペースが目立つようになった。幸いなことに、ここで紹介する写真からもわかるように、良質な車両の一部は破砕機によるスクラップを免れた。
ヤードは今も営業しているが、古い車両がどれだけ残っているかは保証できない。ネット上でもほとんど情報を確認できないのだ。とはいえ、筆者は錆の少ない車両をたくさん撮影させていただき、大いに楽しんだ。皆さんにも写真を通して楽しんでほしい。
ナッシュ(1936年)
この古びたナッシュは、アリゾナ州のバレー・オート・レッキングを前回訪れた際に見つけた中で最も古い車両だった。1936年式と思われるが、この年は「ベッド・イン・ア・カー」機能が投入された年だ。後部座席を折りたたむことで、2人がトランクに足を伸ばして寝られる、実質的なダブルベッドを形成できた。残念ながら、この個体の内装は残っていない。
パッカード・クリッパー(1955年)
幸運にも生き残っていた1955年式パッカード・クリッパーだ。筆者の訪問の数か月前に売却されたと聞いたが、新オーナーは急いで修復するつもりはないようだ。
1955年のパッカードは比較的好調で、5万5247台が売れた。しかし、クリッパーはわずか8309台しか生産されず、まさに希少車と言える。
シボレー・デラックス(1951年)
ジャンクヤードが車両を破砕処分する理由はいくつかある。高騰するスクラップ金属の売却益を狙う場合もあれば、単純にスペース不足の場合もある。また、対象車両があまりに不人気で、今後誰からも部品を求められそうにない場合や、すでに有用な部品をすべて取り出されている場合も処分の理由となる。残念ながら、この1951年式シボレー・デラックスは後者に該当し、スクラップになるまでの猶予は残り少ないと思われる。
AMCコンコード
こちらの2台も、まもなく破砕機にかけられる運命にある。ステーションワゴンのフォード・トーラスは米国の道路から急速に姿を消しつつあるが、その上にある黄色いAMCコンコードはもっと希少だ。
コンコードは、ホーネットの後継車として1978年から1983年にかけて生産され、当初は好調な売れ行きを見せた。しかし、この個体が生産ラインを離れた1980年代初頭には、年間販売台数は5万台前後で低迷していた。現存率は高くなく、今日路上を走る個体は比較的少ない。
ポンティアック・カタリナ(1970年)
筆者は30年以上ジャンクヤードを巡ってきたが、バレー・オート・レッキング以外で車両をこのように保管しているところは記憶にない。湿気の多い気候なら車体を湿った地面から守るという利点があるのは理解できるが、このヤードは砂漠地帯にある。
ここでバランス芸を披露しているのは、人気の1970年式ポンティアック・カタリナ400クーペだ。6.5L V8エンジンを搭載したこの2ドア・ハードトップは約7万台生産された。
シボレー・コルヴェア(1963年)
地面から持ち上げるのは確かに下回りを点検する良い方法だが、この1963年式シボレー・コルヴェアの下に潜り込むには、かなり度胸がいるだろう。くしゃみ1つで転げ落ちてしまいそうだ。社会活動家ラルフ・ネーダー氏はかつてコルヴェアに関連して「どんな速度でも自動車は危険だ」という有名な言葉を残したが、この個体は停車中でも危なそうだ……。
フォード・ファルコン(1960年)
1960年から1970年まで生産されたフォード・ファルコンは、デトロイトのビッグスリーから生まれた初のコンパクトカーだ。ギャラクシーの小型版で、米国市場でシェアを拡大しつつあった欧州車や日本車の進出に対抗した。
フォードの他のモデルよりかなり小型だが、リア部分をほとんど失ったこの1960年式の個体ほどコンパクトではなかったはずだ。
AMCマーリン(1965年)
わずか3年間(1965年から1967年)で1万7414台しか販売されなかったにもかかわらず、驚くほど多くのマーリンをジャンクヤードで見かける。この個体は1965年に生産された1万327台のうちの1台で、マーリンが最も好調だった年である。
327立方インチ(5358cc)V8エンジン搭載モデルは、0-97km/h加速7.1秒を誇った。6気筒モデルはそれほど刺激的ではなかったが、性能の不足をスタイルで補っていた。
カイザー(1951年)
このクルマがどのメーカーのものかは一目瞭然だ。ハート型のフロントガラスがカイザーであることを明確に物語っている。デラックス仕様の4ドア・セダンで、1951年に生産された。この年のカイザーは圧倒的に好調だった。13万9452台を売り上げ、ハドソン、キャデラック、デソート、パッカードを上回り、米国12位の国内自動車メーカーとなった。
さらに、ヘンリーJブランドでは8万2000台が追加で売れた。しかし、結局ビッグスリーには太刀打ちできず、1953年に生産終了となった。
オペル・マンタ
1970年代、フォードとゼネラルモーターズ(GM)はどちらも欧州子会社のクルマを輸入していた。フォードがマーキュリー販売店を通じてカプリを販売する一方、GMはドイツ製初代オペル・マンタを輸入し、ビュイック販売店を通じて販売していた。
当初は好調な売れ行きを見せたが、為替相場の変動に伴う価格の高騰により1970年代半ばに急激に減退した。GMは代わりに日本製のいすゞ車を輸入し始め、米国でのオペル販売を打ち切った。初期のマンタは欧州で非常に人気が高く、なぜもっと多くの車両が故郷に戻されないのか不思議だ。
(翻訳者注:この記事は「後編」に続きます。)
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント