アバルト・レコードブレーカー
'60年代までのアバルトのカタログは4頁程度の簡素なものが主流ですが、レコードブレーカーには、立派な冊子がつくられています。
フィアット・アバルト131ラリー/ハコ好きにとって特別な存在である131アバルト【自動車型録美術館】第23回
レコードブレーカーの資料はいくつか存在しています。今回とりあげた資料はカラー印刷のものでページ数は22。同様の資料で白黒印刷のものもあり、そちらは32ページです。できるだけ内容を詳しく掲載したいので、白黒印刷のものは、またいずれ機会をあらためて紹介する予定です。白黒版よりもカラー版のページ数が少ない、この一事からも経済事情が窺えます。それでも22ページも割いている。その理由について、少しだけ考えてみました。多分、意気消沈しているイタリア国民を少しでも元気づけたい、そんな思いも手伝って、商業目的のカタログは簡易でも、こちらの冊子はページ数が多くなっているのではないか、と思いました。
第二次大戦後 第二次大戦で欧州も日本も大いに疲弊します。戦場にならなかった米国は例外ですが、欧州では戦勝国、戦敗国の別なく、苦しい日々が続いたようです。そのことは、当時のクルマを見れば容易に想像がつきます。
欧州では、日本の軽規格よりも小さいクルマのオンパレード。とにかく、排気量の小さい、吹けば飛ぶようなクルマが多く生産されていました。イタリアのイセッタをBMWがライセンス生産していたのは、その時代を象徴しているように思います。
アバルト イタリアのイソとドイツのBMWの繋がりから、思わずポルシェとアバルトの話に脱線したくなる気持をおさえて、愛するイタリアについて。戦後の暗い時期にもかかわらず、イタリア人は明るく、そして底抜けにクルマが好き、そう感じられるのがアバルトの存在です。アバルトには溢れんばかりのクルマ愛が感じられるのです。
冒頭にも記したとおり、黎明期のアバルトのカタログはどれも簡素なものばかり。しかも500ccや750ccという小さなエンジンで、どれだけ頑張れるか、そのため空気を味方にするにはどうしたらよいのか、真摯な試行錯誤を続ける姿が、今回の小冊子から伝わってくる気がします。イタリアに行くと、明るく陽気なだけではない、生真面目で一途な国民性を感じますが、それはこの冊子にも現れています。
クルマで夢を見ることができた頃の冊子です アバルトがベルトーネやピニンファリーナとともにモンツァ・サーキットで記録に挑戦していたのが1950年代中頃からのこと。それは、自信喪失、意気消沈のイタリア社会に夢を、との思いからではないか、と考えたのは、プリンス自動車の先達からたくさん話を聴いていたからです。
アバルトが記録挑戦を始めてから10年ほど後のことですが、プリンスもR380で世界記録に挑戦します。その時のエンジニア達の思い、意地や不屈の精神を裏打ちしていたのは、夢、もあったようです。自分たちの夢に社会の共感が得られる、エンジニアにとってこれ以上のよろこびはないかもしれません。
●サイズ(縦×横)149mm×209mm ●全22ページ
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