3歳にして戸籍筆頭者、言わば天涯孤独の身であった富田。それゆえだろうか、歳上の経営者や成功者には不思議とよく可愛がられた。
そのなかのひとりに、大臣を平気で連れ回すような60歳を超えた怪紳士がいた。富田とは年齢や社会的立場の違いを超えて、夜を徹しクルマのことを語り合う仲だった。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
その紳士から富田は「デ・トマソ パンテーラにGT4という高性能仕様があるらしいんだけれど、それを買ってきてくれないか?」、と頼まれる。生意気盛りだった富田はこうきり返した。「そんなレーシングカーみたいなクルマ、絶対無理ですよ。パワーもあるし、クラッチも重いし、エンジン掛けるのも大変です。でも、どうしても乗りたいというなら、まずノーマルのパンテーラを1万キロ以上乗ってからにしてください」
件の紳士はその場で新車のGTSを購入。1年かけて1万kmをクリアした。富田もまた約束を果たすべく、デ・トマソ本社へと赴く。
「できるだけ早く作ってあげるよ」
遠く日本からやってきた富田を歓待したデ・トマソ。テストドライバーの駆るGT4の助手席に乗せられ、田舎道を200km/h以上でかっ飛ばされた。
「対向車が来たらどうするの?」、と富田が問う。
「畑に突っ込めばいいだけさ」
数々の修羅場をくぐり抜けた富田にとっても、三本の指に入る怖い思い出だという。
ランボルギーニ車販売の西日本総代理店となっていたトミタオート。その記念に、と富田は自分の名前でランボルギーニ ウラッコの日本1号車を買い付けている。
イタリア買い付けツアーのごく初期の段階で、ランボルギーニ社を訪れていた。そこで開発し終えたばかりのウラッコを見せられヒトメボレしていたのだった。
ウラッコは2.5リットルのV8エンジンをミッドに積む2+2のスポーツカーで、デザインはカウンタックと同じくマルチェロ・ガンディーニ、ライバルはポルシェ911、という話を本社の人間から聞かされていた富田は、日本でもそれなりの数を売るべく、まずはデモカーとして日本初号機を買い付けたのだった。
富田のウラッコはワインレッドだった。早速、ナンバーを付けて毎日乗り回した。けれども、10日ほど経つと急に熱が冷めてしまった。12気筒と比べてパワーはないし、シフトチェンジのフィールもそれほど楽しいわけじゃない。けれども、そんな性能面に飽きたわけではどうやらないらしい。
富田はウラッコを眺めて、ふいに悟った。直線基調にみえるスーパーカーは自分の趣味ではなかったのだ、と。もっと丸みを帯びて愛嬌のあるデザインが自分の好みであることに今さら気づいたのだった。
女性と同じでじっくり長く付き合えるデザインは、丸みを帯びていなければならない。この確信が、のちのちのオリジナルカー製作に生かされることになる。
70年代後半に巻き起こっていたスーパーカーブーム。実はヨーロッパやアメリカでも当時、スーパーカーというカテゴリーは非常に注目されていた。子供たちを巻き込んで、というのは日本独特の展開だったが、フェラーリやランボルギーニといったブランドが競い合うようにして派手な新型車を出していたのだから、目立たぬわけがない。
こんなこともあった。本業がクルマ屋だというのに、ブームだからといって売買よりも貸出しの方が増えていた。そんな状況に嫌気が指していた頃、トミタオートのショールームに、ほとんど新車に近いフェラーリBBの在庫があった。そのBBを西ドイツの友人が欲しいと言ってきたのだ。
日本はスーパーカーブームで価格が高騰している。割に合わないのでは? と返すと、採算は取れるという。ヨーロッパでもスーパーカーが注目されていたという証であろう。富田はBBを売却した。
BBが1カ月半かけて西ドイツに到着するかどうかという段になって、とある日本人が同じBBを求めてショールームにやってきた。彼は何度もそのBBを下見に来ていたらしいのだが、決心がつかずにずるずると購入を先延ばしにしていたらしい。そうこうするうちにショールームからBBがいなくなってしまった!
貸出しか何かでいないだけだろう、と高をくくっていたら、待てど暮らせど戻ってこない。慌てて買う決心をして富田の元に現れたのだった。
インターネットのない時代。在庫確認は雑誌広告が全てだった。
富田は彼の熱意にほだされ、BBを西ドイツから買い戻した。
“西の仕掛人”として一躍ブームの寵児となった富田だったが、彼の心のなかでは終始、違和感があったという。好きなクルマを懸命に探し、見つけてはリスクを負って仕入れ、愛情をこめて売る。それがカービジネスの本質だと思っていた。
ところが、ブームというものは様々に波及し、ビジネスのチャンスを拡げていく。勢いカービジネスの本筋とはずいぶんと離れたところで、さらに大きなビジネスが栄えていった。社会現象となったスーパーカーブームたる所以でもあった。
このままではスーパーカーの魅力が誤ったカタチで伝わってしまうかもしれない。自分は子供だましの“見せ物”としてスーパーカーを日本に紹介したかったわけじゃない。
20代の頃にイタリアのカロッツェリアを巡った経験のある富田には、夢を描いてカタチにするという当時のスーパーカーの本質を日本人にも知ってほしいという願いがあった。本物のスーパーカー文化を伝えたかったのだ。
富田は『ラ・カロッツェリア・イタリアーナ』という伝説のカーイベントを仕掛けている。ピニンファリーナやザガート、イタルデザイン、ミケロッティ、ベルトーネといった有名カロッツゼリアがこぞって参画し、珠玉の名車たちを晴海にあった国際見本市会場に並べた。1977年のことである。
【次回予告】
富田が扱ったのはド派手なスーパーカーばかりではない。ジャガーやメルセデス、モーガンなど欧州ブランドはもちろん、アメ車にもよく乗った。なかにはシェルビーコブラ・デイトナクーペのような、今となっては数億円の価値がある名車もあった。世界中のスポーツカーを乗り尽くしたことで、富田の進むべき次のステップが見えてきたのだった。
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