2025年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、世界三大映画祭を制した史上4人目の監督となったイラン出身のジャファル・パナヒ。これまで拘束や逮捕をされ、現在もイラン裁判所から懲役1年を言い渡されているにも関わらず「イランで映画を撮り続ける以外に考えられない」と語る、その理由を尋ねた。
第78回カンヌ国際映画祭で最高賞に輝き、アカデミー賞では2部門にノミネートされたジャファル・パナヒ監督の新作『シンプル・アクシデント/偶然』。かつて不当に投獄され拷問を受けたワヒドは、ある偶然から、自分を痛めつけた当事者と思われる義足の男に出会う。しかし拷問中に目隠しをされていた彼は、男の顔を見たことがない。疑うきっかけとなったのは男が義足を引きずる音だった。咄嗟に誘拐するものの疑念が生じたワヒドは、同じく拷問を受けたことのある仲間たちに声をかける。
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ドラマ、サスペンス、アクション、さらに時折ユーモアが混ざり観客を引きずり込む手腕はみごとだ。カンヌ以降、海外でプロモーションを行っていたパナヒ監督は、2025年12月、イランで行われた欠席裁判で1年の禁固刑を受けた。戻れば当然、刑に服さなければならないはずだが、今年のアカデミー賞授賞式に出席後、国内の状況が悪化するなか、ついにイランの家族の元に戻ったという。
本稿は2025年のカンヌ映画祭と、その後オンラインで取材した際の監督のインタビューだ。
──本作のアイデアは、あなたが刑務所で体験したことから生まれたと聞きました。どのような状況だったか、聞かせていただけますか。
わたしはいわゆる社会派の監督で、映画のインスピレーションを自分の周りの環境から得ます。刑務所に居たとき、受刑者たちからさまざまな話を聞きました。べつに映画を撮るという頭があったわけではなく、ただ時間を一緒に過ごすなかで彼らの話に耳を傾け、その物語を聞くことで、自分の置かれた状況に耐えようとしていたとも言えます。ですからこの映画はわたし自身の経験だけでなく、集団的な経験の結果でもあるのです。
刑務所では誰もがワヒドのような経験をしています。尋問のときに目隠しをされ、壁の前に座らせられるので、唯一頼れる感覚は聴覚だけになるのです。背後には質問をし、こちらの話しに注意深く耳を傾けている男がいる。ですから尋問をされているとき、わたしたちはその男のことを想像するのです。何歳か、どんな顔か、もしどこかで彼に再び出逢ったらわかるだろうか、など。そこからこの映画のアイデアが浮かびました。もし彼らの生き方や世界との関わりを描きたいと思ったら、音にすべてを集中させる必要がある。それによって映画のサウンドを考案し、ストーリーの根幹を成すことになったのです。
──誘拐して砂漠に連れ出すものの、男は気絶し、そこから仲間内で議論になり、一体どうなるのかというサスペンスが加速していきます。そこには観客にもモラルを問いかける狙いがありましたか?
そうですね。まず待たされることから生まれる緊張と宙吊りの時間を、観客にも共有して欲しいと思いました。ある者は怒りに任せて殺すべきだと言い、ある者はもっと男に尋問を続けるべきだと言う。観客は彼らの言い分を聞きながら、彼らがそれぞれどんな過去を背負ってきたかを知ると同時に、その疑念を理解する。その過程でおのずと自分のモラルに問いかけることになるのです。
──本作でもうひとつ驚くのは、ユーモアがあることです。彼らが相談しあっているシビアな状況のときでさえ、どこか可笑しく感じられる瞬間があります。
人間はどこにいても、どんな状況にあっても、悲しい瞬間でさえも、笑顔になるときはあるでしょう。それがリアルな人生なのです。観客が現実をより深く感じ、信じることができるように、映画にもそれが反映されるべきだと思います。だから映画の最後の20分以外はユーモアを入れました。そしてラスト20分に静寂の時間をもうけ、観客が劇場を出てからも映画のことを考え続けるようなトーンにしたいと思いました。もし映画全体がラストの20分のようにシリアスな展開だったら、単調だと感じて、最後に衝撃を受けることはなかったでしょう。ラストで鮮烈な感動を与えたかったのです。
──あなたはこれまでどんな弾圧を受けてもイランに留まり、困難な状況下で映画を撮り続けてきました。その闘志はどこからくるのでしょうか?
わたしには映画を撮ることしかできないからです。妻に訊いていただければわかりますが、ランプ1つ交換できないのです(笑)。もちろん、どんな場所にも、その土地特有の問題や葛藤はあります。その土地で何が問題なのかを理解し解決するには、その土地にいなければなりません。そのような体制や権力は、外から見るととても恐ろしく、理解不能に思えます。しかし実際にその中で生きていると、自然と知恵がつき、作品を創作してプレッシャーから逃れる方法を見つけることができるのです。
アーティストがまず自らに対してやるべきことは、自分自身と向き合い、明確に問うことです。「わたしは誰なのか、何をどのように行いたいのか?」。わたしが思うに、映画監督は2種類に分けられます。ひとつは観客の現状や欲求を見つめ、観客の嗜好に合わせて映画を作ろうとするタイプ。もうひとつは自分が作りたいものを作るタイプ。世界中の監督の95パーセントは前者で、残りの5パーセントが後者です。監督自身がどちらのグループに属するかを決めたとき、最悪の状況下でも最善を尽くす解決策を見出すでしょう。もちろんそれには代償が伴います。政府や国家は、その監督が再び創作することを許さないかもしれない。状況はとても困難かもしれない。しかし彼らがそれを受け入れたとき、おのずと道が開けると思います。
──映画監督になろうと思った頃から、それは変わらない信念でしたか?
はい、最初からわたしは芸術としての映画に対して、絶対的な信念を持っていました。あるエピソードをお話ししましょう。学生時代、テレビ用の短編映画を制作する依頼を受けたことを覚えています。当時、わたしはヒッチコックが大好きで、映画と映画制作のすべてをヒッチコックから学びました。そして、その学びをもとに短編映画を作りました。しかし編集作業に入ると、理論上はすべて正しくても、作品に魂がないことに気づきました。わたしはこの映画は自分のフィルモグラフィーには入れられないし、自分の署名も入れられないと思った。当時はすべてネガフィルムだったので、わたしはラボに行き、映画のネガを盗んで外に持ち出し、切り刻んで破壊し、二度とフィルムが残らないようにしたのです。当時わたしのことを知っている人は誰もいませんでしたが、わたしは自分が絶対的に信じている映画の基準と神聖さに従いました。いまに至るまで、どんな状況でもその神聖さを踏みにじりたいとは思っていません。
──アカデミー賞の授賞式が終わったら、イランに帰ると宣言されています。イラン国外で映画を撮る可能性はないと思いますか?
なにごとも不可能ではないと思います。しかし国外で創作活動をおこなうには、その土地や文化への何らかの理解と認識が不可欠ですし、それは表面的なものであってはなりません。わたしはこれまで何度も海外の映画祭を訪れましたが、いつもインタビューを受けて帰ってくるだけで、これらの場所への理解を深めることはできませんでした。もしわたしが国外で映画を作ったとしても、おそらく私が望むような映画にはならないでしょう。自分が十分に理解しているテーマに焦点を当てない限りは。
わたしの目標はイランを永久に離れて国外で映画を作ることではありません。わたしがやりたいのはただ映画を作ることではなく、私が信じ、望む映画を作ることです。わたしはつねに自分が身を置く環境からインスパイアされた映画を作ってきました。ですからイランで映画を撮り続ける以外に考えられないのです。
ジャファル・パナヒ/Jaʻfar Panāhī1960年イラン生まれ。1995年、初長編映画『白い風船』で第48回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞) 、第8回東京国際映画祭ヤングシネマ・東京ゴールド賞を受賞。イランの女性の権利に焦点を当てた『チャドルと生きる』(2000)『オフサイド・ガールズ』(2006)がヴェネチア、ベルリンなどの映画祭で受賞するが、2作品ともイランでは上映禁止に。
2009年7月、大統領の再選をめぐる抗議活動で死亡したデモ参加者の追悼式に出席した後、逮捕され、86日間の拘束後に保釈。その後映画制作・メディア取材・国外退去の禁止を20年間命じられ、違反すれば6年の禁固刑が科されるとの判決を受ける。
こうした制限にもかかわらず、精力的に作品を作り続け、『閉ざされたカーテン』でベルリン国際映画祭で銀熊賞(脚本賞)、『人生タクシー』で金熊賞、『ある女優の不在』でカンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した。2022年7月に再び逮捕され、ハンガーストライキを経て翌年2月3日に釈放。同年、ヴェネチア国際映画祭で『熊は、いない』が審査員特別賞を受賞した。
2025年12月、イラン国外にいるパナヒ監督は、イラン裁判所より懲役1年と2年間の渡航禁止、そして政治団体・社会団体への参加禁止を言い渡された。パナヒ監督の弁護士はSNSで、この判決に対して必要な法的措置を取り、控訴すると発表している。
『シンプル・アクシデント/偶然』文・佐藤久理子
編集・遠藤加奈(GQ)
2025年、第78回カンヌ国際映画祭──瀬戸桃子監督の『Dandelion’s Odyssey』が批評家連盟賞を受賞! パルム・ドールはジャファル・パナヒ監督の『Un Simple Accident』に
ジャファル・パナヒ監督と審査委員長を務めたケイト・ブランシェットとジュリエット・ビノシュ。
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