ロードレース界でプロライダーとして名を馳せた青木拓磨。1998年のテスト走行中の事故で下半身不随となり車椅子の生活となった。
しかし彼は舞台を四輪レースに移して奇跡の復活。2021年8月に行われたル・マン24時間に出場し、無事完走を果たした。
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ル・マン24時間を終えた後、時間をいただいて行ったインタビューをお届けする。
文/段 純恵、写真/@takuma-gp/yoshiakiaoyama
【画像ギャラリー】モータースポーツは究極のバリアフリー!! レーサー青木拓磨が誰にでも平等に過酷なル・マン24時間を完走!!
■ライダーからドライバーに!! 青木拓磨のル・マン 挑戦
動かない下半身を補って余りある腕の太さに注目してほしい。青木は腹直筋、背筋が効かないので、使うのは必然的に腕の力のみとなる
初めての24時間レースということで、事前にシミュレーターで走り込みましたし実際にレースでも80周ほど走りましたが、コースに慣れるまではいかなかったですね。一緒に走ったドライバーのひとり、マチュー・ライエがル・マン4回出場の経験者でとても心強かったです。
僕ともう一人の車椅子ドライバー、ナイジェル・ベイリーは一昨年のル・マンカップでサルト・サーキットを経験してはいましたが、昼間に12、13周しか走ってなかったので、マチューがセッションが終わるごとに、どこのコーナーをどう詰めて走ればいい、夜はこう走った方がいい、雨が降った時はどこが危険だということをブリーフィングしてくれて、本当に有り難かったです。
僕が参加したチームSRT41はイノベーティブクラス、つまり革新的な技術をもった車両のクラスという位置づけでした。マシンはLMP2のオレカ07に手動装置を入れたもので、ブレーキとシフトダウンは右側にあるレバーで、アクセルとシフトアップとクラッチはステアリング裏のパドルを左手で操作します。
ずっとハンドルを掴みながらパドルを動かすので、手は痺れてくるし関節や手首の付け根の骨がハンドルに当たって痛い。右手で2時間近く60kgとか65kgの力でレバーを押すのだけど、僕は腹直筋、背筋が効かないので使うのは腕の力だけです。
腹直筋、背筋がきかないので、ブレーキング時に身体ごと全部前に持って行かれるんですよ。だからシートベルトもものすごくキツく締められて、がんじがらめの状態で走ってました。
手動装置ですが重さが20kgくらいあって、それだけでも重量1トンほどのマシンではなかなかのハンデです。
しかもブレーキの踏力が、足で踏むブレーキの最高値が85バールだとすると僕らの手動ブレーキは65バールしかない。当然かなり手前からブレーキングすることになるから、このLMP2マシン本来の速さや性能を出せません。
最初のテストから踏力が足りないことは指摘してたのだけど、そもそも僕らドライバーのコメントを入れて作られたマシンではなく、オレカからドン!とでてきたマシンをそのままの状態で走るしかなかった。
僕はレーサーだから走るならみんなと同じレベルで走りたい、それより速く走りたいという気持ちが強いのだけど、チームのオーダーは『まず完走。タイムについては無視してくれ』でした。
■チームオーダーは「まずは完走を」……過酷なル・マンを走る
車椅子からマシンに乗り移る。乗り込む時にも腕の力は重要だ。ここからさらに過酷なレースへと飛び出していく
それももっともな話で、ル・マンは24時間をふつうに走りきることがまず大変です。41号車で出場していたロベルト・クビサが言ってました。去年も出たけど完走できなかったから今年は淡々と行くんだって。彼、スタートドライバーなのにわざわざマシンから降りて『頑張ろう!』と握手しにきてくれたんです。
彼とは鈴鹿で対談して以来の友人なんです。彼もラリーの事故で右手を大ケガし握力がないから、僕らと共通するものがあるんでしょうね。彼のマシンはスタートからずっとLMP2のトップを走ってたんだけど、最後の最後に止まってしまって……。
そんな誰にとっても厳しいル・マンで、最終目標である完走、総合32位ゴールを達成したことは、チームとイノベーティブクラスの実績になったと思います。
障害のあるドライバーを集めてル・マンに挑戦するという、フレデリック・ソーサ氏が立ち上げたこのSRT41プロジェクトに出会ったことで僕も夢を実現できました。
23年前、事故でケガしてすぐ「うん、四輪だな。ル・マンだな」って思ったんです。その時はみんな笑ってましたけどね。『何言ってんの? 車椅子で出られるワケないじゃん』て。
でもその時すでに事故で半身不随になっていた元F1ドライバーのクレイ・レガッツォーニ氏が耐久レースに出ていた。彼が出られてなんで俺が出られないの? って単純に思ったんです。
フレデリックは本当にスゴい人です。見ればわかりますけど、彼は四肢欠損で手足がない。でも話をしていると、この人本当に障害者かな?と思うくらいバイタリティにあふれている。
今回の僕らに比べると、彼が初めてル・マンに出場した'16年のほうがいろいろ厳しかったと思います。万が一の場合マシンからの脱出をどうするんだ?という話から始まって本当にいろいろと。
でも彼はそれを見事に跳ね返し、説き伏せていった。今回も僕らの耳に入ってくる雑音もありましたが、実質的なやりとりはフレデリックが抑えてくれていたので問題なく参戦できました。
フランスって『自由・平等・友愛』のフィロソフィーの中で特に平等に重きをおいているところがあって、障害があろうがなかろうが『はい! やりたいです!』と主張しないと埋もれていく国なんですよ。
逆に言うと、手を上げれば机上に乗って議論の場に入る。フレデリックも本当にすごい批判やバッシングがあったと思います。そんな身体になってまで何を考えてるんだ?って。でも強い意志を持って彼は乗り越えてきた。
でも日本では障害を負っていることで机上にすら乗らないことが多い。無理でしょうって、優しい差別がある。そこが一番大きな差かなと思います。
■コロナの影響がない100%のル・マンを走りたい
チームSRT41のマシンにチェッカーが振られる。ル・マンは完走すること自体が難しい。レーサーにとって誇らしい瞬間だ
モータースポーツは道具を使うスポーツなわけで、言ってみれば究極のバリアフリースポーツだと思います。足でやることを手に置き換えれば、身障者と健常者が一緒に競争できるんですから。
3カ年計画のこのプロジェクトは今回でいったん終わりますが、これが4年5年と時間があったならもっとちゃんとした成績が出せたかなとも思います。手動装置にしても、オレカと一緒にマシンのスペックをちゃんと発揮できるものを作れば、もっともっと速く走れると思うんです。
何かに挑戦して壁にぶつかった時、何かのせいにするのって楽ですよね。でも、それをやり遂げるにはいろんな人の協力が必要で、自分ひとりではできない。
この24時間レースも、ドライバーと一緒にマシンを走らせてくれるメカニックたちがいて、レースをディレクションしてくれるFIAやACOの人たち、もっといえば24時間支えてくれるオフィシャルたちがいてくれるから我々が安全にレースを出来ている。誰一人欠けてもこの24時間レースは成り立たないんです。
この一年に一回しか現れない、本当に夢のような神聖なサーキットを走れただけでも良かったと思います。でも今年はコロナでいろいろ制限があり、本来の100%のル・マンではなかった。やはりちゃんとした100%のル・マンに出たい、ここに帰ってきたいという思いは強くなりました。
そのためには協力してくれるスポンサーを見つけ、バジェットを集める必要がある。それもレーサーという生業に必要なことです。残念だけど日本では、誰かがツィートしていたように『五輪はいいけど四輪はダメ』というのが現実です。
五輪のように行政をしっかり絡めることで、文化は180度違うものになる。アレックス・ザナルディは、F1ドライバーとかインディドライバーになるより、パラリンピックでハンドサイクルの金メダリストになるほうが彼自身の『格』が上がったわけです。
なので、社会的地位を獲得する上でも、僕も3年後のパリのパラリンピックを目指そうと思ってます。ハンドサイクルは僕もトレーニングの一貫でやっているんです。パラリンピックを目指しながらル・マンにも出ると。その時はザナルディと一緒に出たいですね。
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みんなのコメント
と、曲が浮かんだ。