世界の舞台で活躍する建築家、ビャルケ・インゲルス率いるBIGが日本で初めて完成させた建築「NOT A HOTEL SETOUCHI」がついに開業した。竣工を機に現地を訪れたビャルケ・インゲルスに設計の裏に隠されたストーリーを訊いた。
幻想的な瀬戸内の斜面に暮らす
日本最大の内海、瀬戸内。温暖な気候と美しい島々が人々を魅了するこの地に、2026年4月「NOT A HOTEL SETOUCHI」がオープンした。施設があるのは広島県三原市の芸予諸島の1つ、佐木島(さぎしま)。面積8.72平方キロメートル、周囲18.2km、人口600人足らずの小島は、周囲の島々や本土につながる橋が架かっていないこともあり、手付かずの自然が多く残る。
「水平線のなかに幾重にも重なる瀬戸内の島々の眺めは、まるでグラデーションを重ねた美しい水彩画のようで、漫画に出てきそうな幻想の世界を見ている気分になります。なかでも佐木島は海上に緑の塊がぽっかりと浮かんでいる姿が印象的で強く記憶に残っています」
佐木島を見た時の第一印象をこのように語るのは、NOT A HOTEL SETOUCHIの設計を担当したBIGの主宰、ビャルケ・インゲルスだ。施設のプランを立てるにあたり、彼が注目したのはその特徴的な地形だ。
佐木島は小さいながらも、中央に太平山と狗山という2つの山が連なるようにそびえていることから、海岸線から急勾配で一気に土地が傾斜している。「風光明媚な瀬戸内の景色と呼応しながら、この斜面のなかで暮らすような施設がつくれないだろうか」。そう感じたインゲルスが提案したのは、それぞれに独自の空間と過ごし方を演出する「180」「270」「360」という角度にインスパイアされた3つのヴィラだった。
「180」「270」「360」の3つのヴィラ敷地の北端、本土に向いて少し突き出た岬の突端にあるのが、1つ目のヴィラ「180」だ。岬の岸壁のアウトラインに沿うように湾曲したU字型の建屋からは瀬戸内の穏やかな水面からの距離も近く、まるで水面に漂っているような印象を受ける。すべての居室から瀬戸内の群島を眺めることができ、海に面したベッドルームの脇には、絶景を望めるプールをはじめ、サウナルーム、テラスさらに水風呂を完備。ひっそりとした中庭には苔むした日本風庭園を散策しながら、静かな時間を過ごすことができる。
半島の北東部、敷地の中腹にある緩くカーブした丘から瀬戸内の海を見渡す「270」は、開口のすべてが海景に包まれた空間。そして建物内部に大きな空間を設け、そこに屋外プールを設置した。プールの周囲にはファイヤープレイスや外気浴スペースが点在しており、広々としたリビングダイニングにいると周囲一帯を水の風景にそっと包まれているようにさえ感じる。
敷地を登った先の丘の頂上にあるのが「360」だ。土地の特徴を活かしたリング状のヴィラからは、ぐるり360度の眺望を独り占め。存分に絶景が堪能できるようにと、居室の開口は床から天井までの大きなガラス窓を採用した。さらに、インフィニティプールも設置し、日中は瀬戸内海の風景を、そして夜には満天の星空との一体になり、ゆったりとした時の流れを感じる空間になっている。中庭にはバーベキューや焚き火ができる設備も整っており、ヴィラのなかにいながらにして多様な体験も可能にしている。
非日常の空間で感じるマルチバース
「180」「270」「360」という名前から想像する通り、すべてのヴィラは建屋の前に広がる景観を角度で示したもの。
「ランドスケープに素直に沿うかたちで建築のあり方を考えた結果、生まれたかたち」と、微笑みながら話すインゲルスだが、より深く話を進めると世界のトップランナーとしての建築哲学がその裏にはしっかりと示されていた。
「瀬戸内の環境を眺めながら過ごしていると、大宇宙と小宇宙が融合した感覚が心のなかに広がります。雄大な自然に包まれ、その景色を見るうちに自己と向き合うようになる。過去でもなく、未来でもなく、いまという時間の流れを感じ取りながら、思いを巡らす。日常とは違う一瞬を感じ取ることは、マルチバースの概念にも似ています。だからこそ格別なのではないでしょうか」
すべてのヴィラがカーブで表現されているのは、内と外の境界をリング状につなげることで、多様な価値観の存在や複数の視点を醸し出す多元性を示したいというインゲルスの思いの表れだ。
そのために曲面のガラス引き戸をポルトガルから特注で輸入したほか、「ラムドアース(版築・はんちく)」と呼ばれる型枠のなかに土を入れ、突き固めてレイヤー状に積み上げる伝統的な壁工法により、緩やかに円を描く廊下の壁を実現。また、一部のヴィラでは、テーブルやカウンターなどの什器も建屋の曲面に合わせた湾曲したかたちにするなど、ディテールにまでとことんこだわった。
自分と向き合う禅の精神ヴィラのかたちが曲線状に形成されているため、リビングにいると廊下の先にある空間が次第に裏側へと隠れていき、建物全体の様子を伺い知ることができないことがある。
無垢材の天井や石床など、昔ながらの自然素材を踏襲しつつ、曲線的要素を加えることで、静謐な空間のなかにこれまでにはない新しい見えがかりを作り出した。
「深い軒、長い縁側など、水平方向の広がりから生まれる直線的なラインから生まれる美意識と合理性。こうした日本の伝統建築のあり方は、デンマークの近代建築に多大なる影響を与えました。私はその感覚をより現代的に捉えることができないかと考えたのです」
さらにインゲルスは、自然の本質や宇宙の真理を抽象的に表現した「禅庭」の哲学をもこの建築のなかに取り込んでいるという。
「禅の庭は、石と砂というミニマムな素材を用いて、雄大な山河を表したもの。そこに求められるのは、庭と対峙しながら瞑想し、心のなかで世界を描き出す人の想像力なのです。敢えて見えない場所をつくることで、より無限の広がりを感じる。このNOT A HOTEL SETOUCHIは、そんな禅庭にも似た心のなかの意識と対話し、精神が静まる空間になれば嬉しいですね」
NOT A HOTEL SETOUCHIは、単に豪華で楽しいヴィラではない。世俗から離れ、自身と向き合い、精神を統一する。そんな奥深い時間をもつくりだしてくれる場所なのだ。
Bjarke Ingels/ビャルケ・インゲルス1974年デンマーク生まれ。PLOT Architectsを共同設立、OMAを経て、2005年自身のスタジオ、BIG(Bjarke Ingels Group)を設立。建築、都市計画、ランドスケープなどにおいて、既存の建築形式や固定概念を打ち破る革新的なプロジェクトを手がける。代表作に廃棄物エネルギープラント「CopenHill」(コペンハーゲン)や集合住宅「VIA 57 West」(ニューヨーク)、「8 House」(コペンハーゲン)など。ハーバード大学、イェール大学、コロンビア大学で教鞭を執る。
https://big.dk/
NOT A HOTEL SETOUCHI広島県三原市鷺浦町向田野浦2424-1 他
アクセス:広島県須波港近くの専用クルーザー乗り場から10分。
敷地面積:31,739.07平方メートル
延床面積: 360=370.46平方メートル、270=360.30平方メートル、180=337.81平方メートル
専有面積(屋内+テラス):360=785.53平方メートル、270=745.97平方メートル、180=707.61平方メートル
構造:鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)、地上1階建
総客室数:3戸
NOT A HOTEL「日本の価値を上げる」をミッションに、建築、テクノロジー、ホスピタリティを融合させた別荘を提供。世界的な建築家やクリエイターが手がける唯一無二の建築を中心に、専用ヘリコプターやクルーザーによるシームレスな移動、そして土地の魅力を味わうパーソナルなサービスを組み合わせた体験を届ける。BIGのほかに、藤本壮介(ISHIGAKI EARTH)、片山正通(KITAKARUIZAWA MASU)、SUPPOSE DESIGN(NASU)をはじめとした多数のプロジェクトを手掛けている。
https://notahotel.com/
写真・大町晃平(W)
文・猪飼尚司
編集・遠藤加奈(GQ)
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