ポップカルチャーが育んだファントム
ロールス・ロイス「ファントム」は2025年に100周年を迎えます。同社のデザイナーたちは、この100周年を記念して、8点のアートワークを生み出しました。本企画第2回目はその着想のベースとなったジョン・レノンとエルヴィス・プレスリーのファントム、そして2本の映画で主役を飾ったモデルを紹介します。
ロールス・ロイス「ファントム」100周年を記念してアートワークを製作!王室のために作られた特別な18台とは?<1>
ジョン・レノン、黒のファントムを注文
1964年12月、ジョン・レノンはビートルズのアルバム「ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night)」の成功を祝って、専用のロールス・ロイス「ファントムV」を注文した。彼はその内外装をすべて黒にするという、破天荒な仕様を指定した。(ただし、ロールス・ロイスの要求により、パンテオン・グリルとスピリット・オブ・エクスタシーのエンブレムは、従来の明るい仕上げを維持した)。これはイギリスで初めて黒く塗りつぶされた窓を採用した車両のひとつで、暗く反射するトリプレックス・ディープライトガラスを使用していた。
1965年に『ローリング・ストーン』誌のインタビューで、レノンはこれらはプライバシーのためだけではないと語った。
「夜遅くに帰宅するときにも役立つんだ。帰宅時に日が昇っていても、車内は暗いままだ。窓を全部閉めれば、まだクラブにいるような気分になれるからね」
と語った。
ファントムがサイケデリックに変貌
このファントムがもっとも有名になったのは、1967年5月であった。アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Pepper’s Lonely Hearts Club Band)」のリリースを数日後に控えていた頃、レノンの自宅近くにあるロマ風キャラバンからインスピレーションを得て、デザイン集団「The Fool」のアーティストのひとりであるマリエケ・コガーにカスタムを依頼した。
かつては黒だったファントムは、鮮やかな黄色に塗り替えられ、渦巻く花柄と干支のシンボルで覆われた。レノンは新しいデザインを実現するために地元のアーティストを起用した。その結果、その年のサマー・オブ・ラブの芸術的マニフェストともなる車両が誕生し、レノンのケンウッドの邸宅の前に誇らしげに停められていた。
しかし、誰もがこれを歓迎したわけではない。その夏、塗装したばかりのファントムがロンドンのピカデリー地区のプロムナードを走っていたところ、怒った英国人女性が「ロールス・ロイスに何てことをするんだ!」と叫び、傘で車両を襲撃したという。この出来事は、このモデルの伝説的な地位を確固たるものにした。
レノンのファントムは、1971年に彼とともにニューヨークに移り、マンハッタンのアッパー・ウエストサイドで親しまれる存在となった。1977年、彼はこの車両をクーパー・ヒューイット博物館に寄贈した。1985年にオークションにかけられたファントムは229万9000ドルで落札され、ロックの記念品としては世界最高額となった。1年後にはブリティッシュコロンビア州に贈られ、ロイヤル・ブリティッシュ・コロンビア博物館で保管されている。
1964年にファントムが主役を飾る
サイレント映画は、トーキーの登場により1927年に事実上その幕を閉じた。この変革的な芸術形式のパイオニアのひとりであるワーナー・ブラザーズの共同創設者、ジャック・L・ワーナーは、ファントムを自分への報酬として購入した。その後ファントムは映画に何度も登場することになった。その奇跡の年は1964年で、ファントムはその年に公開された2本の映画で主役を演じた。
映画『ゴールドフィンガー』では、同名の悪役が、1937年製の黒と黄色のファントムIII セダンカ・デ・ヴィルを使って、フルカ峠を越えて山中の隠れ家に金を密輸するが、最終的にはその宿敵である優雅なスーパースパイ、ジェームズ・ボンドに阻止されてしまう。これは『007』シリーズにロールス・ロイスが12回登場することになった最初の作品だった。
また同年には、1931年製のファントムIIが主演した映画『黄色いロールス・ロイス』が公開された。3部構成のアンソロジー映画で、イギリスの貴族、シカゴのギャングスター、アメリカの社交界の女性という3人の異なるオーナーとともに、第二次世界大戦前の時代から戦時中にかけての自動車の冒険と、彼らの生活と愛を描いている。サウンドトラックの「Forget Domani」はゴールデングローブ賞を受賞、後にペリー・コモとフランク・シナトラもカバーした。シナトラもロールス・ロイスを所有していた。
エルヴィス・プレスリーが選んだファントムV
大衆文化のほかの巨匠たちも世界中で名声を高めていくにつれて、当然のことながらファントムに惹きつけられた。キングことエルヴィス・プレスリーは自動車が大好きで、1963年にジェームズ・ヤングがボディを製作したファントムVを購入した。ロックンロールにふさわしい追加装備としては、ハイファイのステレオシステム、ファイアストン製ホワイトウォールタイヤ、マイク、そしてメモ帳、鏡、洋服ブラシが収納されたリアアームレストがあった。
当初はミッドナイトブルーのボディにグレーの布張りのインテリアだったが、エルヴィスは母親の飼っていたニワトリが鏡のような光沢のボディに映る自分の姿を啄むようになったため、再塗装を依頼した。選ばれた明るいシルバーブルーは、塗装の傷が目立たない色だったと伝えられている。1968年、エルヴィスは自分のファントムを慈善団体に寄贈した。この行為は、後にレナード・コーエンおよびワズによる楽曲「Elvis’s Rolls-Royce」のインスピレーションとなった。
AMWノミカタ
このストーリーを読むと、ファントムが多くの著名なミュージシャンにも愛されていたことがわかる。ジョン・レノンの黄色いロールス・ロイスはあまりにも有名であるが、この車両に乗ってロンドンの街を走ったことは、ロックと高級車の融合を象徴するものとなった。彼が発信したサイケデリック・ムーブメントやカウンターカルチャーは後のアーティストにも影響を与えるとともに、サブカルチャーと伝統の衝突を象徴する文化的アイコンとして、今でも語り継がれている。
映画『007』シリーズでは悪人が乗るクルマとしてファントムは登場した。エルヴィスの髪型、服装、ダンスは、当時の保守的な価値観を持つ親世代には非常に衝撃的であり、不道徳や不良的なものとして受け取られており、エルヴィスがカスタムした派手なファントムに乗ることは決してブランドにとって好ましい見え方ではなかったであろう。しかし結果的には保守的と思われたブランドが時代の最先端の異端児に評価され、人々を熱狂させる新しいカルチャー創造の架け橋にもなった。それはこのモデルが単なる車両ではなく贅沢、威厳、ステータス、そして卓越性の象徴としてそのような異端児たちにも一目置かれていたことの証だったからであろう。
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