当時の最高水準といえる技術を得たMPH
現代の自動車は、徹底的な市場調査を経て開発が進められる。だが1世紀前は違っていた。特に英国のライレーは、「作れば売れる」という哲学で経営されていた。
【画像】技術はワークスマシン並み ライレーMPH 同時期の2シータースポーツ アルファ8Cも 全103枚
今回ご紹介するライレーMPHの生産数は、1934年から1935年までの1年間だけだったとはいえ、僅か15台。当時でも、少し自信過剰な考えだったことがうかがえる。
それでも、当時の最高水準といえる技術が盛り込まれた、容姿の整ったスポーツカーだった。1934年のル・マン24時間レースを、総合2位と3位でフィニッシュしている。英国版アルファ・ロメオ8C-2300と表現しても、筆者は過言ではなかったと思う。
その価値が認められ、状態の良いファクトリー・レーサーの落札額は、約75万ポンド(約1億4625万円)に達する。希少なだけでなく、運転のしやすさと140km/hに迫った高性能が、筋金入りのマニアを惹き付けている。
MPHは、ライレーによる約10年間のモータースポーツ活動の集大成といえた。1926年に登場した、先代に当たるライレー・ナインが積んだのは、オーバーヘッドバルブを採用した1087cc 4気筒エンジン。シンプルな設計で、高回転型のユニットだった。
その完成度は非常に高く、MPHに搭載された直列6気筒エンジンへ派生している。1938年に経営者へ就いたウィリアム・リチャード・モリス氏は、1957年まで、ほぼすべての自社製ユニットの原型として採用し続けたほど。
公道用のパワフルなスポーツカー:シックス
ナインは、モータースポーツでの戦績も見事。1920年代後半から1930年代前半にかけて、大恐慌が世界を襲う中、ライレーのブランド力を保つことに繋がった。
ワークスチームが用意したブルックランズ・ナインは、1929年から1931年まで、アイルランドで開催されたRAC(ロイヤル・オートモービル・クラブ)アーズTTレースで連続クラス優勝。1932年には総合優勝を掴んでいる。
同時にその頃、創業者の1人、ビクター・ライリー氏は公道用のパワフルなスポーツカーを求めた。そこで誕生したのが、ライレー・シックス。ナインの4気筒へ2本のシリンダーを追加し、1.5L直列6気筒エンジンを開発。1500cc以下のクラスに適合した。
ところがシャシーの基本設計は6年前といえ、ナインほど走行性能は高くなかった。英国のMGが、より小型・安価なモデルを提供し、ライレーの市場を脅かしてもいた。
販売を上向かせるべく、構造材がフロントアクスルの上を交わしリアアクスルの下へ潜る、新しいシャシーを開発。ホイールベースは短縮され、車高は低められた。
サスペンションは、前後に半楕円のリーフスプリングを採用。デュプレックス・ハートフォード社製のフリクション・ダンパーが組まれ、ケーブルで制御されたブレーキは15インチのアルミ製ドラム。ボディの形状も、丸みを帯びたものに置換された。
ワークスマシンと同等のメカニズム
1933年のRACアーズTTには、改良版のワークス・シックスを、モデル名を隠した状態で4台エントリー。ブレーキトラブルで3台が早々にリタイヤするものの、生き残った1台はクラス優勝を遂げている。総合でも8位に食い込んだ。
1934年のRACラリーにも、2台のワークスマシンが参戦。スタイリッシュなアルミニウム製ボディは、イタリアのカロッツエリアによる仕事をイメージさせた。だが1934年5月号のAUTOCARは、これがライレーの新しいMPHシックスだと報じている。
正式名称はシンプルにMPHへ決まり、量産仕様がラインオフしたのは1934年の夏から。ナインの4気筒から派生した、1459ccか1633cc、1726ccという3種類の6気筒エンジンが当初から選択できた。
MPHはボディ以外、基本的に1933年のRACアーズTTを戦ったマシンと同等といえた。発売時のキャッチコピーは、「日常のどんな場面にも最適な、最高品質の英国車」だ。
ドラムブレーキには、アルミではなくスチールを採用。当時のセミATといえる、プリセレクター4速マニュアルも、オプションとして用意された。今回ご登場願った1台は、そのトランスミッションを積んでいる。
プロペラシャフトは、強化のためのトルクチューブ内を貫通し、リアアクスルへパワーが伝えられた。トップギアで5500rpm時の最高速度は、140.2km/h。これは、1930年代の量産スポーツカーとして、不満のない速さといえた。
市場を食い合った同郷のライバル
その頃のAUTOCARも、仕上がりを称えている。「スポーツ志向でオープンエア・ドライブを好むドライバーにとって、ライレーMPHは極めて魅力的に映るでしょう」
しかし、最大の弱点になったのが550ポンドという価格。直列6気筒エンジンを積んだ競合、MG Nタイプ・マグネットは、ほぼ同等の速さを備え、実用性も高く、200ポンド以上も安かったのだ。
加えてMPHは、キャビンが狭かった。燃料タンクとスペアタイヤでボディの余地は埋まり、荷物を置ける場所はほぼなかった。
同郷のライバルとして市場を食い合ったのが、1934年のライレー・ナイン・インプ。1.1L 4気筒エンジンで動力性能は及ばなかったが、車重は軽く、価格は325ポンドと遥かにお手頃だった。結果として、MPHの生産は2台の試作車を含めて15台で終了した。
今回ご登場願ったMPHは、最も詳しい記録が残されている1台。シャシー番号は44T 2278で、1935年2月16日にグレートブリテン島中東部、ラトランドでFP 2831のナンバーで登録されている。
最初のオーナーは、ジョン・セシル・ノエル氏。彼はライレーのファンで、アルミボディのナイン・モナコと、サルーンのナイン・ファルコンも所有していた。1934年のル・マン24時間レースへ、アストン マーティン・インターナショナルで参戦してもいる。
この続きは、ライレーMPH(2)にて。
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
世界最強の戦闘機「F-22」ステルス性なくなったら弱いんでしょ?「←メチャ強いです」 断言できる理由とは
バイクでの「すり抜け」は法律違反じゃないって知ってた? すり抜けが違反になってしまう条件とは
爆売れ「シエンタ」に対抗!? 日産「新型セレナ“ミニ”」登場に期待大! 売れ筋「コンパクトミニバン」導入が急務な理由とは
空自の「世界で1機しかない異形機」その詳細が判明! “くちばし”の中身とは? 使い方も丁寧に教えてくれました
約272万円で買える! 日産の最新“8人乗り”「セレナ X」に反響集まる! “めちゃ便利なドア”に「子供がいると本当に助かる」「荷物を入れるのがラク」の声も! 最安モデルに熱視線!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?