人口増加の陰に潜む課題
東京西部の多摩地域(三多摩)の代表的な都市といえば、立川市が必ず挙げられる。近年、その注目度はますます高まっている。
【画像】「えぇぇぇぇぇ!」 これが35年前の「立川駅」周辺です! 画像で見る(計19枚)
リクルートの「SUUMO住みたい街ランキング2025 首都圏版」で、立川は15位にランクインした。2021年の25位から、わずか4年で10ランクも上昇したことになる。現在、立川市は首都圏のベッドタウンとして知られる流山おおたかの森(16位)よりも上位にあり、都心の中目黒(20位)、表参道(29位)よりも人気の街になっている。2025年3月4日放送の『マツコの知らない世界』(TBS系)でも、取り上げられた。番組では、
「立川の奴ってインタビューすると『もう新宿には出なくて十分なんです』とかいうのよ」
と紹介された。立川市の人口は約18万5000人に達し、現在では多摩地域の中核都市としての地位を確立している。市制を施行した1940年(当時4万1070人)からは、想像もつかないほどの発展を遂げた。
過去の人口予測では、立川市は2015(平成27)年をピークに人口が緩やかに減少すると思われていた。しかし、その予測は大きく外れ、現在も人口は増加している。
とはいえ、その発展にもブレーキがかかりそうだ。新たな予測では、少子化にともない、東京圏外からの転入者が減少し、都心部への転出が増えるなどの要因で、大幅な人口増加は見込めないとされている。
2024年2月に立川市総合戦略・SDGs推進委員会が配布した資料によると、2028年には18万6390人で人口のピークを迎え、その後は減少に転じると予測されている。
住みたい街の上位にランクインしているとはいえ、立川市が安泰であるわけではない。では、立川市は中核都市としての地位を維持するために、どのような戦略を取るべきか。これまでの立川市の発展を振り返りながら考えていく必要がある。
鉄道開通から軍都へ
立川市の発展は、1889(明治22)年に甲武鉄道(現在のJR中央線)が新宿と立川間に開通したことから始まった。当時は神奈川県だったが、1893年に三多摩地域が東京都に移管された。その後、1894年に青梅鉄道が開通し、立川市(当時は立川村、1923年に町制施行)は交通の要衝としての地位を確立した。
本格的な発展は軍都としての面が大きかった。第一次世界大戦後、飛行機の重要性に着目した軍部は帝都防衛のため飛行場の整備を進めた。立川市は、帝都に近く、鉄道が通っており、十分な土地も確保できるため、飛行場建設の好立地とされた。こうして1922(大正11)年に陸軍飛行第五大隊の基地として立川飛行場が設立された。以降、地域には航空工廠や研究所、石川島飛行機製作所(後の立川飛行機、現在の立飛ホールディングスが所有地を運営)などが集まり、一大軍事都市を形成した。
立川飛行場は民間企業も利用するようになり、東京の空の玄関としての役割も果たすようになった。昭和に入ると、中央線の電化により利便性が向上し、立川は「空都」と呼ばれるほど賑わった。1930(昭和5)年に発表された『立川小唄』は、サビの部分で常に「空の都よ、立川よ」と歌われている。この歌詞には、次の一節がある。
「東京ばかりか浅川青梅 五日市から一走り」
「汽車だ電車だ川崎からも 空の都よ、立川よ」
この頃、立川の交通利便性のよさは地元の誇りとなっていた。その後、空襲の被害を受け、戦後の立川市は「基地の街」として繁栄を迎えた。
「基地の町」からの脱却
終戦後、立川飛行場は米軍に接収され、立川基地となった。これにより、米兵相手の夜の店が増え、風紀が乱れた。しかし、立川市では基地の恩恵を受け、経済的に繁栄した。
一方、立川市が米軍の恩恵を受けるなか、周辺自治体では基地への反発が強かった。そのため、1960年代から米軍は横田基地への移転を始め、1977(昭和52)年に全ての敷地が返還された。
返還された広大な跡地を利用する際、立川市は単なる土地利用計画にとどまらず、都市のアイデンティティーを変える大胆なまちづくりを構想した。旧基地のイメージを払拭し、立川を「基地の町」から
「自立した商業都市」
へと変える意志が込められていた。市の基本構想には「中核都市立川にふさわしい中心市街地の形成」が掲げられ、駅前開発と既成市街地の整備が同時に進められた。
その第一歩として、1982年に立川駅ビル「ウィル」(後のルミネ)が開業し、近代的な駅前商業空間が登場した。1994(平成6)年には「ファーレ立川」が完成した。これは商業・業務複合施設のインテリジェントビル群で、109点のパブリックアートが街区全体に配置されるという革新的な都市設計が行われた。
ファーレ立川の登場は、物理的な再開発にとどまらず、立川という都市の精神的な変貌を象徴する出来事となった。
このように、米軍基地によって繁栄したネガティブなイメージから脱却することが、「住みたい街」としての繁栄の礎となった。過去の依存を否定することなく、依存から脱却して都市として自立した稀有な成功例である。
行政・研究機関集中で発展
立川市が他に類を見ない都市とされる大きな理由のひとつは、国の行政機関や研究機関が集中している点だ。これは偶然ではなく、広大な基地跡地を活用し、国から
「首都圏の業務核都市」
として明確に位置づけられた結果だ。立川基地の全面返還後、その跡地には自治大学校、国立国語研究所、国文学研究資料館、国立極地研究所、統計数理研究所など、国の中枢的な研究・研修機関が次々と移転してきた。これらの施設は国家レベルで高度な知的生産活動を担っており、単なる行政機能が集まっただけでなく、都市の知的水準と社会的信頼性を大きく向上させた。
さらに、東京地方裁判所立川支部をはじめとする合同庁舎や立川市役所の新庁舎が同地区に集まり、立川広域防災基地が設けられた。これにより、首都直下型地震などの大規模災害時には中核的な役割を果たす体制が整備され、多摩地域の公共・行政拠点としての性格が強まった。
また、立川市の地位を決定づけたのは交通インフラの整備だ。1998(平成10)年に多摩都市モノレール線が一部開業し、2000年には全線が開通した。これにより、立川市は多摩地域の南北方向の交通の要衝としての機能が強化された。
立川市の発展は、基地の全面返還によって生まれた広大で平坦な土地という、他都市にはない貴重な資源を活かして実現したといえる。
多様性が生む立川の独自性
立川駅北口は、ルミネや伊勢丹、ビッグカメラ、IKEA、ららぽーとなどが集積する洗練されたエリアになっている。一方、もともとの繁華街だった南口はパチンコ屋だらけといった批判もある。
確かに、南口は北口のような整備された都市空間とは異なり、ウインズ立川やパチンコ店、居酒屋が並ぶ歓楽街の雰囲気が強い。また、駅直結のグランデュオを除けば、大型商業施設は少ない。しかし、この違いこそが立川という都市の懐の深さを表している。
北口が再開発で生まれた整備された都市空間であるのに対し、南口は昭和の面影を残す生活者の町として、歓楽・庶民文化・雑多さといった都市のもうひとつの魅力が凝縮されている。このような住み分けが機能しているのは、単に発展が偏っているわけではなく、都市としてのバランスと多様性が保たれているからだ。
むしろ、すべてが均一に整備されるよりも、北口と南口で異なる空気が流れていることが、一般的な再開発された街と一線を画し、人気を集めている要因ではないだろうか。
転入超過1000人でも漂う不安
立川市は住みたい街として注目されているが、明るい見通しがあるわけではない。立川市は今後、若年層の減少の影響を大きく受けることになる。立川市が公表している『統計年報(令和5年版・第59号)』の人口データを見てみよう。「人口動態の推移」を見ると、2019年と2022年の数値は次の通りだ。
●2019年
・出生数:1388人
・死亡数:1746人
→自然減:△358人
・転入数:1万592人
・転出数:1万385人
→社会増:+207人
●2022年
・出生数:1170人
・死亡数:1984人
→自然減:△814人
・転入数:1万1106人
・転出数:1万107人
→社会増:+999人
このデータから、立川市では出生数が大きく減少し、死亡数が増加していることがわかる。2019年の自然減は358人だったが、2022年にはその倍以上の814人に増加しており、わずか3年で自然減が急激に拡大している。
一方で、社会動態では2022年に転入超過が999人となっている。これだけ見ると、立川は依然として魅力的な都市であることを示しているが、人口全体の維持という観点では安心できる数字ではない。つまり、立川市は発展中の都市ではあるものの、人が生まれず、引っ越してきても人口が減少していく都市へと移行しつつある。
次に「年少、生産年齢、老年人口の推移」を見てみよう。
●2018年
・総人口:18万2658人
・年少人口(0~14歳):2万2479人(12.3%)
・生産年齢人口(15~64歳):11万6264人(63.7%)
・老年人口(65歳以上):4万3915人(24.0%)
●2023年
・総人口:18万5483人
・年少人口(0~14歳):2万1481人(11.6%)
・生産年齢人口(15~64歳):11万8062人(63.7%)
・老年人口(65歳以上):4万5940人(24.8%)
この5年間で総人口は微増したが、年少人口は約1000人減少し、老年人口は約2000人増加した。こうした年齢構成の変化は、働き手の縮小と福祉支出の拡大リスクを示している。
現時点では、立川は消費・交通・行政機能が揃った利便性の高い都市であり、大型商業施設も充実している。都心に出なくても生活が完結できる環境は整っている。しかし、この利便性が今後も人が住み続ける都市としての
「持続力」
を保証するわけではない。子育て世代を引きつける住宅政策や、超高齢化に対応した都市設計、世代を超えた定住環境の整備には課題が残っている。
立川市が今後も選ばれ続ける都市となるためには、更なる戦略が求められる。
成熟都市に潜む転機
立川は今、都市としての完成度において、すでにある一定の頂点に達しているといっても過言ではない。JR中央線・南武線・多摩モノレールの交差による交通結節性、複数の大型商業施設と高度医療機関が揃う日常完結型の利便性、そして都心へのアクセスと広大な昭和記念公園という緑地空間――このような都市機能の組み合わせは、多摩地域のみならず、首都圏全体でも稀有である。
また、駅を境に南北でまったく異なる都市体験を提供する多層的な空間構造は、都市に奥行きと複眼的な魅力をもたらしている。南口では再開発の進行とともに現代的な利便性が演出され、北口には昭和的な猥雑さと都市の記憶が今も息づいている。この対比は、成熟都市であると同時に過渡期の都市としての色彩を残しており、多様な属性の来訪者や居住者を引きつける。
しかし、どれほど便利な都市であっても、将来的な持続可能性が約束されているわけではない。出生数の急減、高齢化の加速という全国的課題は、立川においてもすでに顕在化している。都市が提供する利便性が高いほど、反転するようにその裏側の「疲弊」が見えにくくなるというパラドックスもある。人口が漸減に転じた時、単なるベッドタウンや商業都市としての立川は、いずれ競争力を失っていくおそれがある。
日々の生活を快適に過ごせる街であることと、人生の節目に「この街で生きたい」と思わせる街であることは、まったく別の課題である。後者には、利便性では測れないストーリーや、住民が都市に関与する余地が必要だ。都市に住むとはどういう意味なのか。その問いを真正面から引き受けるフェーズに、立川は入っている。
知を媒介する都市構造
ここで注目すべきは、立川がすでに有している「知の中枢機能」である。市内には、国立国語研究所、国文学研究資料館、国立極地研究所、統計数理研究所といった国の研究機関が集積しており、これは他都市にない圧倒的なアセットである。これらは教育都市や文化都市という既存の枠組みにも収まりきらない独自性を帯びている。つまり、立川には行政都市でも学園都市でもない、“思考の都市”としての潜在力が存在しているのだ。
現時点では、こうした知的施設群が市民や都市空間と十分につながっているとはいい難い。筆者(昼間たかし、ルポライター)は国文学研究資料館をよく訪れるが、来館者の多くは専門家や研究者であり、市民的な利用は限定的である。これは構造的な損失であり、立川の次の都市像を描くうえで重要な接続の欠落を意味している。
必要なのは、これらの研究機関を単なる施設”として扱うのではなく、都市そのものを思考と探求の場として再設計することである。例えば、研究者による市民向けのレクチャーや公開実験、資料展示などを市街地で実施することで、まちなかに問いの回路を埋め込む。これによって、都市の価値が単なる消費や快適さではなく、情報の創造と共有というプロセスに移行していく。
このような都市設計が実現すれば、立川は単なる郊外の利便都市とは一線を画す存在になる。例えば、近隣の武蔵野市や国立市が文化や文教のイメージで語られるのに対し、立川は知と探求の都市としてポジションを取ることができるだろう。
消費を前提とした都市構造から、探求と参加を軸とした都市構造へ。これは単なる理念ではなく、縮小時代の都市が生き残るための経済的合理性にもとづいた戦略である。
知的資本活用の都市経営
加えて、都市の「スケールの妙」も活かしたい。立川は政令市や東京23区と違い、人口20万人規模の中核市である。この規模は、都市計画や文化政策において機動性があり、住民と行政との距離も比較的近い。官主導ではなく、民間・大学・研究機関・市民といった多様な主体が共に都市戦略を編み上げる“共同編集型の都市運営”が可能なスケールである。
そのためには、これまで以上に都市経営」の視点が必要だ。従来のように土地利用とインフラ整備を調整するだけでは、都市の魅力は保てない。むしろ、都市に蓄積されている目に見えにくい資本――文化資本や知的資本をどう経済価値に転換し、再循環させるかが問われている。
立川の未来像は、けっして拡張の延長にはない。むしろ、すでにあるもの――完成度の高い都市構造と、知的資産の集積という見えにくいアセットをどう接続し直すかにかかっている。商業施設の新設や観光施策を超えて、都市に住むことの意味を再定義する時期にきている。
立川は今、郊外都市の標準から一歩抜け出す可能性を持っている。そしてそのカギは、都市が内包する「知」と「問い」をどう扱うかにある。問いを持つ都市は、時代を超えて選ばれる。
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