トヨタが世界ラリー選手権(WRC)で頂点を極める礎を築いた伝説のマシン「セリカGT-FOUR(ST165型)」。1987年からのグループA規定において、圧倒的な強さを誇る欧州勢に挑み、1990年には日本車初のドライバーズ・タイトルを獲得する歴史的快挙を成し遂げたマシンだ。「流面形ボディ」に2.0Lターボとフルタイム4WDを搭載したこのマシンは、初期の深刻な熱問題などを不屈の精神で乗り越え、過酷な環境を走破する純粋な「戦闘機」へと進化を遂げたのだった。
【写真】→「日本車初のWRCドライバーズ・タイトルを獲得する歴史的快挙を成し遂げたマシン」4代目セリカ(ST165)
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
1984年サファリラリー(1984年)
―― 1984年から86年にかけてサファリラリー3連覇を果たしたセリカツインカムターボ(TA64型)。既に4WD時代になっていたが、FRのセリカは耐久性を武器に過酷なレースを制す。
ランサーやインプに先駆け欧州のラリーフィールドを席巻したフルタイム4WD
1950~1960年代のトヨタの海外ラリーに対する態度は、比較的醒めたものだった。1958年にダットサン(日産)がAクラス優勝、総合25位の健闘を見せたオーストラリア一周ラリーには、前年に初代クラウンで参戦しているが、総合47位のリザルトはほとんど話題にならなかった。
当時のクラウンは初めて北米に輸出されたものの、酷評されてばかり。競技参加以前に、市場で通用するクルマ作りが急務と考えていたのかもしれない。むしろ目が向いていたのはサーキットレース。かのトヨタ2000GTも、F1に挑んだホンダに対して、ル・マン24時間レースへの挑戦を念頭に企画されていた。
そんなトヨタが初めて欧州のラリーを経験したのは、1968年のこと。コロナHTでモンテカルロラリーに出走するプライベートドライバーに対する、部品などのサポートだった。翌年も続いたその挑戦は結果こそ残せなかったが、トヨタ社内に小さな種火を残した。
1987年IMSAシリーズ(1987年)
―― T160型は1987年のIMSAのGTOクラスに投入され、この年のクラスメーカーチャンピオンを獲得する。セリカは日本車で初めて米国IMSAシリーズを制覇した。
欧州のモータースポーツの拠点、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)設立
1970年には初のワークスチームを組み、最初にサポートしたドライバーをふくむ2台のマークIIGSSでモンテに挑戦するのだ。さらに1972年になると、ルノーアルピーヌのワークスドライバーだったスウェーデン人のオベ・アンダーソンをスポットで初代セリカに乗せ、RACラリーでクラス優勝。ここで始まったアンダーソンとの縁が、彼を監督に据えてドイツにおける欧州のモータースポーツ拠点、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)へとつながる。
オイルショックでワークスモータースポーツ活動を自粛した1973~1974年シーズンも、アンダーソンのチームをサポートする形で活動は続き、1975年になると、ハンヌ・ミッコラがTE27型カローラレビンでフィンランドの1000湖ラリーを制覇。ビッグイベント初勝利を遂げる。
一方、セリカが表舞台で本格的に活躍するのは、1984年からのサファリだ。アンダーソン監督率いるTTEチームのセリカは、ビョルン・ワルデガルドのマシンが初挑戦初優勝を達成。
1985年のユハ・カンクネン、1986年のワルデガルドと、サファリを三連覇する。さらにWRCのトップカテゴリーがグループBのモンスターマシンから量産車に近いグループAに変わった1987年から、4代目セリカGT-FOURを投入。1995年に痛恨のレギュレーション違反で退場を喫するまで、セリカはタイトル争いの常連となった。
流麗なスペシャリティカーのセリカは、その時ばかりはグラベルを駆ける荒武者となったのだ。
WRC1000湖ラリー(1989年)
―― 1989年のWRC1000湖ラリーでのセリカGT-FOUR。この年トヨタはユハ・カンクネン、ビョルン・ワルデガルドにカルロス・サインツという強力なドライバーを揃え、チャンピオンを目指す体制が整った。オーストラリアラリーでカンクネンがGT-FOURの初勝利を挙げる。
セリカGT-FOUR(ST165)
―― 圧倒的な強さを見せたアウディ・クワトロを追い、ランチアやプジョーも4WDのモンスターマシンをWRCに投入。FRでは太刀打ちできなくなったセリカも1988年コルシカラリーでGT-FOURをデビューさせる。
―― 3S-GTE型 2.0L 直列4気筒 DOHC ターボ+フルタイム4WDで武装した。
―― ベースは日本仕様のセリカだが、ワークスマシンはドイツのケルンに本拠地を置く「TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)」で製作されたため、基本的に左ハンドル仕様となる。トランク内には、金属製タンクの代わりに、航空機などにも使われる特殊ゴム製の安全タンクが設置された。
―― 主要諸元 ●全長×全幅×全高:4365mm×1710mm×1300mm●ホイールベース:2525mm●車両重量:1100kg以上●エンジン(3S-GTE改):直列4気筒16バルブDOHC+インタークーラー付きターボ1998cc●最高出力:295PS/6000rpm●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式/マクファーソンストラット
TOYOTAの世界ラリー戦記(1957~1999)
―― 1957年(昭和32年)・トヨペットクラウンでオーストラリア1周レースに出場、総合47位。1970年(昭和45年)・マークIIGSSでモンテカルロラリーに参戦、クラッチトラブルでリタイヤ。トヨタはプライベーターの援助というかたちで1968年から同ラリーに関わっていたが、ワークスとしてはこれが初参戦だった。1972年(昭和47年)・初代セリカGTでRACラリーに参戦、総合9位となる。ドライバーはオベ・アンダーソン。1975年(昭和50年)・オベ・アンダーソンのプライベートチームをトヨタがサポート、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)となる。・TTEがカローラレビン(TE27)でWRCに参戦を開始。・1000湖ラリーでWRC初優勝を飾る。1979年(昭和54年)・出場マシンをカローラレビンからセリカ(RA40)に変更。1983年(昭和58年)・WRCのトップカテゴリーがグループ4からグループBに変更される。1984年(昭和59年)・セリカツインカムターボ(TA64型)でトヨタ初のサファリラリー制覇。1987年(昭和62年)・WRCのトップカテゴリーがグループBからグループAに変更される。1989年(平成元年)・セリカGT-FOUR(T165)グループAカーがWRC初優勝。ドライバーはユハ・カンクネン。1990年(平成2年)・カルロス・サインツがドライバーズタイトルを獲得。1992年(平成4年)・カルロス・サインツが2度目のドライバーズタイトルを獲得。1993年(平成5年)・セリカGT-FOUR(T185)で初のWRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ユハ・カンクネンのドライバーズタイトルとあわせWタイトル獲得。1994年(平成6年)・2年連続のWタイトル獲得。ドライバーズタイトルはティディエ・オリオール。1995年(平成7年)・セリカST205で参戦もエアリストリクターの違反により失格となり、1年間の出場停止となる。1997年(平成9年)・WRCのトップカテゴリーがグループAからワールドラリーカー(WRカー)に変更される。1998年(平成10年)・カローラWRCがモンテカルロラリーで優勝。ドライバーはカルロス・サインツ。1999年(平成11年)・カローラWRCで3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。・この年をもってWRCからの一時撤退を決定。
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みんなのコメント
Gr.BからGr.Aへの移行タイミングの説明ないのでST165でたタイミングがよくわからん。灰色歴史のGr.AスープラなのかGr.Bセリカなのかもよくわからんし。
歴史は変わっていたかも!?