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奇跡の”一発大逆転グルマ”と逆転を成し遂げた秘策とは

 今年の箱根駅伝で駒澤大学が最終10区の残り約2km地点で創価大学を抜き去るという大逆転劇で、13年ぶりの総合優勝を飾ったことは記憶に新しい。クルマにもそれまでパッとしなかったのにフルモデルチェンジやマイナーチェンジなどで大逆転し、成功を収めた、“一発大逆転グルマ”がある。

 さて、一発大逆転グルマとは、どんなクルマなのか? どんな理由で逆転を成し遂げたのか、モータージャーナリストの永田恵一氏が解説する。

アル/ヴェルの「格差」8倍!!? ホンダ登録車販売で2位に! ほか新車投入&クルマ界最新情報

文/永田恵一
写真/トヨタ 日産 ホンダ スズキ

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最終型スターレット→初代ヴィッツ

1995年登場の5代目スターレット

1999年、スターレットの後継車として初代ヴィッツが登場。車名をヤリスに変えた現在も日本を代表するコンパクトカーとなっている

 トヨタのコンパクトカーだったスターレットとしては最終型となった5代目モデル(1995年登場)はエアバッグ、ABS、衝突時にシートベルトを締め上げて乗員を拘束するシートベルトプリテンショナーの標準装備化など、エントリーカーながら安全装備を充実させた点が大きな特徴だった。

 しかし、スタイルに魅力が薄かったことが原因だったのか、いまいちパッとせず、全体的に堅実な点を理由に当時のコンパクトカーではよく売れていた2代目マーチの牙城を崩せなかった。

 スターレットは1999年登場の初代ヴィッツを後継車に半車格上のカローラII三兄弟ともに絶版となった。

 初代ヴィッツはマーチがイギリスでも生産されたのと同様のフランスでも生産される国際戦略車となったこともあり、塊感あるスタイルやインテリアではデジタルセンターメーターの採用などによるモダンさ、燃費のよさなどを理由に月間販売台数ではしばしば1位になるほどの人気車に躍進。

 ヴィッツは2010年登場の3代目モデルで低迷した時期もあったものの、2019年のフルモデルチェンジを期に車名を海外仕様で使われていたヤリスに変え、再び日本のコンパクトカーを代表する存在となっている。

グランビア→初代アルファード

1995年登場のグランビア

2002年、2.4L、直4エンジンを搭載した初代アルファードがデビュー。ライバルのエルグランドと異なり、こちらはFF

 グランビアはフロントエンジンのFRとなる高級ラージミニバンとして1995年に登場した。

 グランビアはミニバンのクラウン的な存在だったのだが、フロントマスクが高級ラージミニバンに求めたい押し出しに欠けるものだったことや、当時ドン底だった日産がグランビア以上に高級ラージミニバンとして抑えるべきところを抑えた初代エルグランドをリリースしたこともあり、兄弟車のグランドハイエースを追加しても初代エルグランドには歯が立たなかった。

 グランビアの後継として2002年に登場した初代アルファードは高級ラージミニバンらしい押し出し感あるスタイルや豪華なインテリアに加え、FRのまま同時期に2代目モデルとなったエルグランドに対しFF化による低いフロアや価格の安い2.4L、直4エンジンの設定(2代目エルグランドの初期モデルは3.5L、V6のみ)といったアドバンテージを持ち、2代目エルグランドに圧勝。

 アルファードは正常進化を続け、今では一強となる高級ラージミニバンに成長したのに加え、クラウンに変わる高級車としても存在感を高めている。

初代シエンタ 2010年8月販売終了→2011年5月再販売

2003年、ホンダモビリオの後追いとして登場した初代シエンタ

2011年5月に復活したシエンタは角目のDICEも追加設定した(右)

 コンパクトミニバンの先駆車だったホンダモビリオのフォロワー(後追い)として2003年に登場した初代シエンタは成功を収めたモデルだったが、2008年にダイハツ主導で開発されたパッソセッテ&ブーンルミナスを後継車に絶版となる予定だった。

 しかしパッソセッテ&ブーンルミナスはヒンジドアだった点や当時始まったエコカー減税の対象ならなかったことなどを原因に、販売が軌道に乗らなかった。

 という背景もあり、初代シエンタの販売は延長され、半年ほどの販売中断後の2011年5月にはマイナーチェンジされたうえで販売を再開。シエンタは2015年には2代目モデルにフルモデルチェンジされ、2019年には月間販売台数ランキングで2回1位になるほどの人気車になった。

2代目ハリアー 2012年9月国内販売終了→3代目ハリアー 2013年12月に国内専売モデルとして復活

2003年~2012年に販売された2代目ハリアー

ハリアーは2013年に国内専用車としてフルモデルチェンジ。2020年に発売された4代目も人気車となった

 2代目ハリアーはもともと海外でレクサスRXとして販売され、その日本仕様だったハリアーも2代目モデル(2003年登場)だった2009年にレクサスRXが日本に投入されたのを理由に絶版となる予定だった。

 しかし、2代目ハリアーはブランドイメージが高い割にリーズナブルだったのを理由に堅調に売れ続けたため、絶版から一転し2013年に日本専用のゴーズジャスなミドルSUVとなる3代目にフルモデルチェンジされた。

 まさかの絶版から一発逆転の国内専用モデル発売にこぎつけた。スタイリッシュなエクステリアと手頃な価格、そしてなんといってもハリアーというブランド力もあり、大ヒット。

 けっして2代目ハリアーが売れていなかったわけではなく、販売不振からの一発逆転というわけではないが、発売当時は、ハリアーの国内販売終了を惜しむ声が多く、国内専用の3代目が発売した際には反響が大きかったのを覚えている。

 先代となる3代目と昨年登場した現行型4代目ハリアーは全盛期のマークII三兄弟のような人気車となり、現在も長い納車待ちが続いている。

3代目RAV4 2016年8月国内販売終了→5代目 2019年4月国内発売復活

2016年8月に販売を終了した3代目RAV4

2019年4月、RAV4は5代目となって日本にカムバック。SUVブームに乗って大ヒットをたたき出した

 1994年5月に登場した初代RAV4は、5ナンバーサイズの小型SUVで、愛らしいデザインがウケて日本でもヒットしたが、その後は代を重ねるごとにボディサイズが大きくなり、国内販売台数は減り続けていた。

 4代目にいたって、ついに事実上の姉妹車であるハリアーが発売されたこともあり、国内導入見送り。2016年8月にいったん消滅となった。4代目の全幅は1845mmに達し、当時の日本はSUVブームと言えるほどではなく、販売が見込めないと判断されたのだ。

 ところがその後、SUVブームが日本にも波及。海外ほどではないにせよ、かなりの台数が売れるようになった。国産SUVの大型化も進み、ハリアーはもちろんのこと、全幅1820mmのエクストレイル、1840mmのCX-5が、特段の抵抗なく売れていた。

 こういう状況になれば、RAV4も売れる可能性がある。そう判断したトヨタは、5代目の登場とともに国内でもRAV4を2019年4月に復活させた。ただし月間販売目標台数は3000台/月と控え目。実際にはその約2倍も売れているから、復活は大成功だった。

 RAV4が復活できたのは、日本でも徐々にSUVブームが盛り上がってきたことと、日本人の全幅に関するこだわりが薄れてきたこと。

 そして新型のデザインが日本人が好む直線基調になり、顔つきもランクル的ないかついものに変わって、「これなら日本でも売れるかも」となったからだろう。加えて、RAV4は4WD機構がより本物志向になっていたので、その点でもアピールできると考えたのかもしれない。

2代目ノート 2012年9月発売→2016年11月にe-POWERを追加し販売NO.1に

マイナーチェンジ前の2代目ノート。2012年9月に登場した

2016年11月、マイナーチェンジとともにe-POWERを設定。2019年まで3年連続コンパクトカーNo.1の販売台数を誇った

 ノートは歴代キャビンやラゲッジスペースの広さも売りとしており、その意味ではホンダフィットに近いコンパクトカーだ。2012年登場の2代目ノートはよくまとまったクルマだったが、ハイブリッドがなかった点を理由に先代フィットやアクアなどに水を開けられていたのは否めなかった。

 しかし、2016年に追加されたノートe-POWERはエンジンを発電専用に使う2モーターのシリーズハイブリッドということもあり、アクセルを踏んだ際のレスポンスのよさや鋭い加速といった電気自動車のようなフィーリングを理由に大人気となり、日産車としては6代目サニー以来30年ぶりに月間販売台数ランキング1位に輝いた。

 販売台数はその後も堅調に推移し、2018年には13万6324台と乗用車(軽自動車除く)ブランド通称名別新車販売台数で首位となった。ちなみに2位は12万6561台のアクア、3位は11万5462台のプリウスだった。

 e-POWERは現在日産の基幹技術に1つに成長し、最近3代目モデルにフルモデルチェンジされたノートにも大きな期待が集まっている。

ロゴ→初代フィット

シティの後継として1996年に登場したロゴ

2001年にデビューした初代フィットは居住性・燃費・安さで大ヒットした

 3ハッチバックのコンパクトカーだったシティの後継車として1996年に登場したロゴは「扱いやすい実用的なコンパクトカー」というコンセプトは悪くないものだったのだが、スタイルなど如何せん「欲しくなる魅力」に欠けていたため成功せず、一代で絶版となった。

 ロゴの後継車として2001年に登場した初代フィットはロゴとは対照的な明るい雰囲気を持つ内外装、センタータンクレイアウトの採用による広いキャビンとラゲッジスペース、燃費のよさ、量販グレードで114万5000円(消費税抜き)という価格の安さを理由に大ヒット車となった。

 初代フィットのコンセプトの確かさは現行型4代目フィットまで変わっていないことが証明しており、フィットは今ではホンダの基幹車種の1台に成長している。

初代スイフト→2代目スイフト

初代スイフト。軽自動車Keiのボディをコンパクトカー用に広げたようなフォルム

2代目スイフトは走行性能を入念に鍛え上げ、まるで別物のように生まれ変わった

 2000年代半ばまでスズキのコンパクトカーは軽自動車のボディを拡大し、エンジンを1.3L、直4にしたというものが多かった。2000年登場の初代スイフトもその流れを踏襲した軽自動車のKeiをコンパクトカーに仕立て直したもので、魅力は価格の安さと1.5Lエンジンを搭載したスポーツの存在だけだった。

 2004年登場の2代目スイフトは世界戦略車ということもあり、コンパクトカー用のプラットホームを新たに開発するなど、コンパクトカーに相応しいクルマのキャパシティ(容量)を得た。

 さらに走行実験も入念に行われたこともあり、スイフト(英語で俊敏なという意味)の車名に相応しいハンドリングを持つなど、簡単に言えば「同じなのは車名だけとなる別のクルマ」に生まれ変わった。

 またスイフトは2代目モデル以降もスイフトスポーツを継続しており、歴代スイフトスポーツは完成度の高さに加え、価格もリーズナブルと、今では運転好きにとっての「FFのマツダロードスター」のような存在に成長している。

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