1991年シーズンのF1では、実に18ものチームから34台のマシンがエントリーリストに名を連ねた。しかし決勝のグリッドに並べるのは26台。戦闘力、資金力に乏しい下位チームにとって、決勝進出のハードルは高かった。
まず最初のハードルとなるのが金曜午前に設けられた予備予選。事前に参加を義務付けられている8台のマシンがまだ冷たく汚れた路面の上を走り、タイム上位の4台が予選を戦う権利を得る。ただ30台で競われる予選でも4台のマシンが脱落するため、予選に進んだからといって決勝に出られるという保証はない。そして何とか予備予選・予選を突破したとしても、当時決勝でポイントを獲得できるのはわずか6台だったのだ。
■F1の奇妙なスポンサー2:怪しすぎるオーナーの下、チームは活躍「マネートロン」
そんな競争の激しい1991年シーズンにおいて、最終的に6つのチームがポイントを獲得できずに1年を終えた。今回はその6つのチームにスポットライトを当て、知られざる物語を紹介していく。
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みんなのコメント
あの頃の決勝の6位争いは今の10位争いよりはるかにエキサイティングだったなぁ…
せめて半分の3チーム紹介ぐらいしようよ。
無得点というと、リジェ/モデナ/AGS/フォンドメタル/フットワーク(アロウズ)/コローニ
辺りでしょうか?
鈴鹿でコローニが個人名びっしり書かれたマシン走らせてたのは覚えてる。