■2020年、ピニンファリーナは創業90周年
兄ジョヴァンニ・ファリーナが率いるカロッツェリア「スタビリメンティ・ファリーナ」社(1906年創業)で修行していたバッティスタ“ピニン”ファリーナが「ピニン・ファリーナ(のちに“ピニンファリーナ”へと改名される)」社を独立・創業したのは、1930年のこと。
Oh!モーレツ~、猛烈ダッシュしそうなピニンファリーナ製コンセプトカーって?
つまり2020年は、かつてイタリア・カロッツェリアの盟主ともいわれた名門ピニンファリーナにとって、創業90周年の節目となる。
そこで、2020年夏に開催される予定だった北米「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」では、ピニンファリーナがメインフィーチャーブランドとなるはずだったのが、新型コロナ禍によってコンクールは一年順延。
ほかのイベントでも、ピニンファリーナの至宝たちが主役を飾る機会が数多く期待されていたものの、その多くは来年への持ち越しとなったようだ。
そこでVAGUEでは、夢と消えたイベントたちのせめてもの代替えとして、ピニンファリーナ90年分の名作から特にエポックメイキングなモデルを選び出し、ここにご紹介させていただくことにした。
今回は、イタリア以外の国のメーカーから受けたリクエストに応じて、ピニンファリーナが手がけた名作3台をお届けしよう。
●1962年-1974年 BMC「AD16シリーズ」
かつてはイギリス最大の自動車メーカーとして、数多くの名門ブランドを保有し、ミニやMGBなどの名車を輩出してきたBMC(British Motor Company)が、1960年代に送り出したベストセラー「ADO16」シリーズは、同社とピニンファリーナの間に長らく培われてきたコラボ作品のなかでも、最高傑作といわれるモデルである。
1962年8月、まずは「モーリス1100」として登場したADO16シリーズは、そのコードナンバーが示すとおり、かの「ミニ(ADO15系)」に次ぐモデルである。
基本はミニのコンセプトを大型化したもので、ピニンファリーナのデザインによるコンパクトなボディ四隅に車輪を配するパッケージングにより、限られたサイズのなかに最大限の居住空間とトランクスペースを確保していた。
モーリス1100の発表に際して、BMC自ら「2リッター車の室内空間、1.5リッター級の性能、1100ccの燃費、アメリカ車の乗り心地とGTカーのハンドリング」とアピールしたADO16系だが、1960年代の技術水準からすれば、それは完全に達成されていたと断じてよい。
このモデルのメカニズムにおける最大のトピックは「ハイドラスティック・サスペンション」であろう。同時代のミニと同様の、ラバースプリングの一部に液体を封じ込めた前後輪関連懸架は、サイズを感じさせない乗り心地とハンドリングを実現していた。
一方デザイン上のトピックは、ランチア・フラミニアの成功以来、この時代のピニンファリーナに全世界の自動車デザインにおけるインフルエンサーの地位をもたらした「ファリーナスタイル」を、小さな車体で見事に体現したことであろう。
そして、モーリス1100のデビュー2か月後に当たる1962年10月に発売されたMG版を皮切りに、オースティン(1963年9月)や日本でも人気の高いヴァンデン・プラ(1963年10月)、ウーズレー(1965年9月)、ライレー・ケストレル(1965年9月)というBMC傘下6ブランドから、それぞれの伝統を体現した「1100」たちが、続々と誕生することになる。
また1967年には、ミニ・クーパーSと同じ1275ccエンジンを搭載した「1300」も、各モデルに暫時進化あるいは追加されていった。
ちなみに、ADO16シリーズはBMC各ブランドで作られたに留まらず、イタリアの「イノチェンティ」社でもライセンス生産がおこなわれていた。とくに最上級の「イノチェンティIM3」は、もともとピニンファリーナ作品であるADO16をベースに、創造主たるピニンファリーナ自らが、イタリア的なテイストを盛り込んだエレガントなディテールが与えられた、極めてユニークなモデルであった。
■ピニンファリーナが手掛けた美しいクーペとは
アパレルや時計だけでなく、自動車でも稀に見られるダブルネームだが、ここで紹介するダブルネームは別格である。
最高級車の代名詞ロールス・ロイスと、イタリアンデザインの盟主ピニンファリーナという至高のダブルネームのもと、1975年に誕生した「カマルグ」である。
●1975年-1992年 ロールス・ロイス「カマルグ」
1975年から1990年代初頭まで作られたロールス・ロイス「カマルグ」は、「コーニッシュ」をベースに、よりモダンなボディと豪華な内容が盛り込まれた超高級パーソナルクーペである。
V型8気筒OHV6.75リッターのエンジンや、GM製の3速オートマティック変速機、あるいはハイドロニューマティックを導入したサスペンション/ブレーキシステムなどのメカニズムは、コーニッシュや「シルヴァーシャドウ」とほぼ共通ながら、最大のトピックとして挙げるべきは、イタリアの名門ピニンファリーナが公式にボディデザインを手掛けたことだろう。
ロールス・ロイス側からピニンファリーナに通達されたリクエストは、「既存のシルヴァーシャドウ用プラットフォームとランニングギアを流用し、しかも最高級の名に相応しい威厳を保ちつつ、決して古臭くならないデザインを持つ4シータークーペ」だったとされている。
この要望に応えるべく、デザインワークを担当したスタイリストの名前は、創業以来のピニンファリーナの慣例に従って公表されていないのだが、当時のマネージメントデザイナーであったレオナルド・フィオラヴァンティの指揮のもと、パオロ・マルティンのスケッチが採用されたというのが定説となっている。
一方コーチワークについては、イタリア・トリノのピニンファリーナで用意されたボディパネルを英国に送り、ボディ/インテリア架装は英国ロンドン近郊のマリナー・パークウォードでおこなわれるという複雑な工程が採られたものの、コーニッシュの上位にランクされた最高級パーソナルクーペだけに、内外装のフィニッシュには最大の配慮が払われていた。
第1号車の日本導入当時、当時の総代理店コーンズ&カンパニー・リミテッドが設定した販売価格は3810万円。同じロールス・ロイスでも、リムジンの「ファントムVI」は完全オーダーメイドだったため、シリーズ生産車としては「世界一高価な乗用車」とも呼ばれた。
●1997年-2005年 プジョー「406クーペ」
フランスの老舗プジョーは、1960年にデビューした「404」以来、自社の4輪乗用車のデザインワークをピニンファリーナに事実上の完全委託し、自動車デザイン史に残る傑作の数々を生み出してきた。
しかし今世紀を迎えて、その素晴らしい伝統は幕を閉じることになる。その最終期の作品のひとつとなったのが、プジョーのセグメントDベルリーヌ「406」をベースに、ピニンファリーナが流麗なクーペボディをデザインおよび架装した「406クーペ」である。
2ドアのクーペボディは、406ベルリーヌ/ブレーク(ワゴン)とはまったくの別ものとなった。
このクルマの発表から4年後、白血病のため30歳の若さで逝去してしまったデザイナー、故ダヴィデ・アルカンジェーリが手掛けたスタイリングは素晴らしいプロポーションを誇り、デビュー当時には「世界一美しいクーペ」と称された。
日本市場には、デビュー翌年となる1998年1月から正式導入。スペックはPRV製3リッターV型6気筒24バルブエンジン+4速AT版のみだったが、EUマーケットでは2リッター(のちに2.2リッターに拡大)の直列4気筒エンジンや5速MTなども設定されていた。
2003年に、当時のプジョーの新デザイン言語にしたがってバンパーを一新するフェイスリフトが行われたのち、2005年にはプジョー社内デザインとなる407クーペに跡を譲るかたちで、惜しまれつつ生産を終えることになった。
そしてこの406クーペおよび、スライドドアを持つユニークなコンパクトカー「1007」を最後に、現在に至るまでピニンファリーナ・デザインによるプジョーは創られていないのである。
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