人手不足の陰に潜む年収低迷の構造
自動車整備士の人手不足が続いている。厚生労働省の職業安定業務統計によると、2025年度における自動車整備・修理工の有効求人倍率は5.46倍に達した。求職者ひとりに対して5件以上の求人がある計算となり、人材を求める側の需要が極めて強い。
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しかし転職市場に目を向けると、別の姿が浮かび上がる。人材紹介などを手がけるプレックス(東京都中央区)の「エッセンシャルワーカー採用研究所」がまとめた実態データによると、求人の73%は二級・三級自動車整備士資格を必須としている一方、転職による年収変化は前職年収500万円を境にマイナスへ転じてしまう。年齢別に見ても、45~54歳では0.5%の下落となっていた。
現場は人手不足であり、資格も求められている。それにもかかわらず、経験を積んだベテランほど転職による年収上昇を得にくい。一見すると相反するこの状況は、整備士の労働市場で何が評価され、何が評価されにくいのかを考える材料となる。
整備士は、物流を支えるトラックや生活インフラであるバス・タクシー、さらには自家用車の安全と環境性能を維持する
「現代社会に欠かせないエッセンシャルワーカー」
だ。とはいえ、社会インフラを支える仕事ほど他産業と比べて平均賃金が低く抑えられがちだという構造的な課題がある。ハローワークの求人統計データで自動車整備・修理工の求人賃金(月額)が全国平均で約26万円前後にとどまっている現状が、その一端を示している。
車両そのものも大きく変化した。衝突被害軽減ブレーキや車線中央維持支援、アダプティブ・クルーズ・コントロールといった先進運転支援システム(ADAS)の標準搭載が進み、故障診断などに求められる専門性は飛躍的に高まっている。国土交通省も自動車整備技術の高度化検討会を継続して開き、汎用スキャンツールの機能拡充や車載式故障診断装置(OBD)情報の取り扱いルールなど、現場の技術変化に対応するための検討を進めている。
専門性が増して需給も逼迫しているにもかかわらず、中途求人の提示年収中央値は347万円にとどまる。求職者が希望する年収の中央値は500万円であり、両者には153万円もの差があった。
ここから見えてくるのは、人手が足りないからといって一律に賃金が上がるわけではないという現実だ。整備士の市場では、求められる技術的負荷の上昇や人材不足の度合いと、実際の待遇水準が別々の動きをしている。
資格保有者が循環する閉鎖的な市場
その特徴を端的に示すのが資格要件である。
求人の73%が二級または三級自動車整備士資格を必須条件に掲げる。自動車整備士が道路運送車両法に基づく認証工場制度を支える必置資格としての性質を強く帯びているためだ。分解整備(特定整備)を行う事業所は一定数の有資格者を配置するよう法律で義務付けられており、資格を持たないと応募できる求人の選択肢は限られてしまう。
一方で転職希望者の前職を見ると、60%が整備・技術職を占める。事務・営業が10%、製造・生産と販売・サービスがそれぞれ8%、輸送・運転が4%で続く。
要するに、異業種から無資格者が大量に流れ込む市場ではない。すでに国家資格と実務経験を持つ若手や中堅が、同業他社間を循環しながら移籍し合う閉鎖的な環境が形成されている。
年齢構成にも特徴がある。20代以下が41%、30代が25%を占め、年齢中央値は33歳だった。日本全体で労働力人口の高齢化が進む中、求職者にこれだけ若い層が厚いことは対照的だ。
若手が多く、前職も同業であるという事実からは、資格を取得した人材が早い段階から転職市場を利用して動く姿が浮かんでくる。
だが、転職による年収変化を見ると、さらに明確な境目が現れる。
前職年収が400万円未満の層では、転職によって年収が18.2%から136.1%と大きく上昇した。ところが400万円台になると上昇幅は3.3%まで縮小する。そして500万円を境に、変化率はマイナスへと転じている。
ここで留意すべきは、資格の価値と年収の上昇が必ずしも一致しないという点である。
資格は求人への応募条件として強く機能する。73%の求人が二級・三級資格を求めている以上、資格を持つことは転職の入口を広げる強力な入場券となる。
しかし、転職でどれだけ年収が上がるかは、直前の年収によって変わってくる。すでに高い給与を得ている人ほど、移籍先でさらに良い条件を提示されるとは限らない。
資格が求人に応募できることを裏付ける一方で、どれだけ高い給与を得られるかまで保証しているわけではない実態が浮かび上がる。
熟練の経験が報われにくい評価の壁
この傾向は年齢別に見るとさらに際立っている。
34歳以下では転職による年収変化が17.8%の上昇だったのに対し、35~44歳では6.7%の上昇にとどまる。そして45~54歳のベテラン層に至っては、0.5%の下落となっていた。
55歳以上では13.2%の上昇となったが、対象となる母数が小さいため参考値として見る必要がある。
少なくとも今回のデータからは、若い層ほど転職による年収上昇が大きく、45~54歳でその伸びが止まる傾向が確認できる。現場実務や後進指導を重ねてきた熟練整備士であっても、中途市場へ踏み出した途端に、経験に対するプレミアムが消えたり減額査定されたりすることがある。
もちろん、この数字だけで年齢が上がれば必ず待遇が悪化するとまではいい切れない。前述のデータはあくまで人材紹介サービスを通じて転職を検討した求職者が対象であり、現職に残る人や別の経路を使う人は含まれていないからだ。
それでも、資格と経験を積んだ層ほど年収上昇が小さくなる傾向は、キャリアを考えるうえで無視しにくい。背景には、日本型雇用慣行と外部労働市場の構造的な課題がある。
日本の企業は伝統的に、社内での長期勤続を前提とした年功賃金を採用してきた。同じ会社にいれば蓄積した経験は評価される。しかし、いざ外部の市場に出たとき、熟練工が持つ他社でも通用する能力を適正に値付けする仕組みが整っていない。
二級・三級の資格は、最低限の基準としては明確で分かりやすい。しかし資格の等級が大まかにしか設定されていないため、勤続20年で培われた高度なトラブルシューティング能力や電子制御への対応力、現場マネジメント力といった実務の深さを、外部へ向けて客観的に証明することが難しい。
結果として中途採用を行う企業は、ベテランに対しても、自社への貢献度が未知数な一人の有資格者として、標準的な賃金しか提示できない。これがベテラン層の年収上昇を阻む壁となっている。
希望額と提示額の間に広がる年収差
もうひとつ見逃せないのが、求職者と採用側の認識差である。
求職者の希望年収中央値は500万円だったのに対し、求人の提示年収中央値は347万円にとどまる。その差は153万円に達した。
働く側からすれば、資格と経験を積んできた以上、それに見合う条件を求めるのは自然なことだ。同時に、この「500万円」という希望額へのこだわりの裏には、現代のビジネスパーソン全体を覆う将来への強い不安も透けて見える。
AZWAY(東京都新宿区)が2026年6月に全国の20~60代男女300人を対象に行った調査(2026年9月1日発表)によれば、将来のお金に不安を感じる人は実に92.7%に上った(不安の1位は「年金だけで老後の生活が成り立つか」)。実際の貯蓄額の中央値は「100~299万円」の層にとどまり、全体の81.3%が「同年代より貯蓄が少ないと思う」と回答している。
注目すべきは、貯蓄が「500~999万円」ある層でさえ、半数が「同年代より少ない」と答えている点だ。物価上昇や「金利のある時代」への転換期にあって、お金への不安は金額の多寡だけでは容易に解消されない実態が浮き彫りになっている。整備士が希望年収500万円を掲げるのも、自らの技能に対する適正な評価を求めていることに加え、こうした見えにくい将来不安への切実な防衛本能の表れといえるだろう。
一方で採用側には、自社の給与体系や業界全体の水準を踏まえると、提示できる金額にどうしても上限がある。
厚生労働省の2025年賃金構造基本統計調査でも、自動車整備業の所定内給与額は月額31.8万円程度となっており、全産業平均の34.1万円程度をやや下回っていた。
つまり153万円の差は、企業と個人の希望が合わないという理由だけで生じたものではない。
・工場の利益率の低さ
・技術料の価格転嫁の難しさ
といった業界全体の収益構造が、賃金水準のベースラインを決めてしまっている側面がある。
では、整備士は何を理由に転職を考えているのだろうか。
今回の調査データでは労働条件が36%で最も多かった。次いで職場環境が17%、キャリアアップが14%、雇用・将来性が13%と続く。
労働条件と職場環境を合わせると過半数に達する。
ここから読み取れるのは、転職が年収アップだけを目的としているわけではないという事実だ。給与、勤務環境、将来のキャリアなど、複数の条件を比較して動いている。
とはいえ希望年収500万円に対して提示年収347万円という差がある以上、不満を抱えながらも移籍に踏み切れない求職者の滞留を生んでいるケースも考えられる。
人手不足の市場だからこそ、目先の採用数だけを追うべきではない。認証工場での適正な工賃体系への見直しを進め、どのような条件なら経験者が納得して動き、定着するのかという視点が欠かせない。
資格支援を超えた経験評価と定着策
現場の不足を補うため、国が主導して資格取得を後押しすることには一定の意味がある。
資格を持って応募できる求人が増えれば、未経験者や若手が職業として整備士を選ぶ余地も広がる。求人の73%が資格を求める現状では、資格取得が就業への欠かせない入口となるためだ。
しかし資格を取った後のキャリアまで見据えると、別の論点が立ち上がる。
調査が示すように、低年収層や若年層では転職による年収上昇が大きい一方で、年収500万円以上の層や45~54歳ではその恩恵が見られにくかった。
そのため人材を守る際には、資格を取得して新たに入ってもらう入口の対策と、経験を積んだ後も市場に残ってもらうための定着・評価の対策を分けて考える必要がある。
車両の技術変化も、この問題に直結する。
現代の自動車はミリ波レーダーや車載ネットワーク機器の塊となっており、業務は従来の機械的な分解や交換にとどまらない。スキャンツールを駆使した電子制御トラブルの診断や機能調整など、専門性の要求水準は上がる一方である。
長年の経験がそのまま新しいデジタル技術への対応力を意味するとは限らない。一方で新技術を学びながら、従来の高度な整備経験も併せ持つ人材には極めて高い価値が生まれるはずだ。
今後、整備士の評価を考えるうえでは、資格の有無だけを見るべきではない。どのような技術や業務に対応できるのか、その高度な実務能力を客観的に評価し、処遇へと還元する制度が必要になる。キャリアパスと給与体系の可視化を業界全体で進めることが、資格を取った後、その価値をどう長く活かしてもらうかという問いに対するひとつの答えとなるだろう。(清原研哉(考察ライター))
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