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80年代にヒットした国産デートカー5選

1980年代に話題になった“デートカー”を小川フミオが振り返る。思い出の5台とは?

“デートカー”という言葉が生まれたのは、若者文化が花開いた1980年代。そんな時代のことを知らないというひとも多いとは思うものの、このとき評価されたスペシャルティクーペは、いまも乗りたくなるものが少なくない。

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スペシャルティクーペと銘打たれていただけあって、メーカーの気合いが入っていた。モデルによっては高性能、モデルによってはぜいたく、モデルによっては個性的なコンセプト……選択肢が豊富だったのも、”金余り”と言われたバブル経済期の、数すくないよい面だった。

スペシャルティクーペのメインターゲットはというと、幅広かった。でもとりわけ強く反応したのが若者だ。なぜかというと、乗れるクルマといえばたいていは、家にある家族で乗るための4ドアセダンだったのだけれど、生活臭ただようそういうクルマはデート向きではなかったからだ。伸びやかなスタイリングと、スポーティな走りをうたうクーペは憧れだった。

女子ウケがいい、という意味で使われだしたデートカー。たしかに、1990年代の前半まで、若き女性たちも、クルマにけっこう詳しかった。もっとも人気があったブランドのひとつがBMWだ。

背のびして手が届くか届かないかという価格だったものが、日本法人の設立とともに価格が下がり、バブル期には多くのひとが購入に走った。“六本木のカローラ”などと言われたのは有名な話。あのとき2代目3シリーズで運転の楽しさを知ったひとは、いまどんなクルマに乗っているだろう? と、ときどき思う。

このころの女子は、いろいろなことを”勉強”していた。おいしいレストラン、きれいな景色が見られる場所、バッグやシューズ、音楽、それにクルマなどが、当時の重要なサブカルチャーだったのだ。

スペシャルティクーペは、2プラス2のパッケージングのため、ふたりで乗るというある種の不便さが、特別感につながっていた。いまでも、欧米の富裕層は、それゆえ、スペシャルティクーペを好む。デートカー人気を支えた日本の女子は、けっこうな目利きだったのだ。

(1)トヨタ「ソアラ」(初代)

1981年登場の初代ソアラには大きなインパクトがあった。クラウンでつちかってきたぜいたくさを、2ドアクーペのかたちに集約したからだ。

スタイリングは、ややキャビン髙が高すぎて、プロポーション的に、当時トヨタが目標(競合?)としたメルセデス・ベンツ「SLC」や、BMW「6シリーズ」におよばなかった。これは私見だけれど。

それでも、ポルシェ「928」やジャガー「XJ-S」など、欧州メーカーが力を入れるスペシャルティクーペの世界に、日本車が入っていこうというのは、快挙と感じられた。

搭載するのは2.0リッターと2.8リッターの直列6気筒DOHCエンジン。全輪独立懸架、全輪ディスクブレーキ、パワーアシスト付きラック&ピニオン式ステアリング。車体の突起を極力減らすためのプレスドアも、空力デザインを謳って鳴り物入りで登場したアウディ「100」(1982年)に先んじていた。

このような自動車好きの視点と並行して、豪華で、高価で、エレクトロニクスを多用した計器類や操作類、それに空気による調節機能までついたレザーシートなど”ソアラの世界”に、一般のひとが強く反応した。

1981年の発表時点でトップ・モデルの2800GTは266.7万円の高価格であったため、若者にはそう簡単に手が出なかった。このときの憧れが、バブル経済期を迎え、ソアラを自分のものにしたい、という欲望を醸成していくのだ。

誰もが存在を知っている。でも、おいそれとは手が出ない。ブランドを形成する重要な要素を持っていたソアラ。それだけに、1986年の2代目とともに、当時は最強のデートカーの1台と言われたものだ。

とりわけ、初代のスタイリングは純粋にみると疑問も感じさせるとはいえ、キャラクターがたっている。いまも乗ってみたいと思わせる訴求力がある。意外なほど軽快に走るのではないだろうか。

(2)トヨタ「MR2」(初代)

1990年代まで日本でも、スポーツカーはスタイリッシュという価値観があった。トヨタ自動車が1984年に発表したミドエンジンのふたり乗り本格的スポーツカー「MR2」は、クルマ好きをターゲットにしたとてもいい企画だったと思う。

当初、トップモデル用に用意されていた1.6リッターエンジン(130馬力)は、同社のスポーツクーペである「レビン/トレノ」とおなじだった。ただし、驚くほどパワフルではなかったし、まわすとうんと楽しいということもなかった。

MR2は、どちらかというと、カーブが連続する道などでの運転を楽しむキャラクターだった。でもそれが、軽量スポーツカーの本道である。

なにはともあれ、ウェッジシェイプ(クサビ形)のボディスタイルは、日本車になかったものだし、存在感が強烈。そのため、男女ともに興味を示すひとも多かった。

デートカーとして最強かどうかは、ただし、微妙。エンジンが運転席背後にあるため、室内にバッグや買い物袋を置くスペースがなかったため、ややガマンも強いられたのは事実だ。訴求性は限定的だったかもしれない。

室内も、色気には乏しかった。ドイツ車を強く意識していた当時のトヨタ自動車らしく、黒で質感を追求する、というドイツメーカーに準じたコンセプトを適用したのかもしれない。それでも、もうすこし華やかさがあってもよかっただろうに……と、思ったものだ。

MR2の遺伝子は、トヨタのガズーレーシングに引き継がれているのかもしれない。「GRスープラ」や「GRヤリス」などだ。こんなピュアなスポーツカーで、デートに出かけたいと考えるひとが(いまでも)沢山いることを期待したい。

(3)日産「シルビア」(5代目)

1988年といえば、バブル経済まっさかり。このとき日産自動車が発売した5代目「シルビア」が大ヒットしたのは、ぜいたくだったからではない(はず)。

むしろ、すっきりしたスタイルと、スポーティな走行性能などが評価された。ぜいたくさとか、豪華さはない。走りの楽しさとデザインで勝負なのだ。

金余りとまで言われた当時の経済状況の影響を受けてクルマの市場も大きくなっており、多様な価値観が許容され、それが購買に結びついていたから実現したのだろう。

大きな駅貼りのポスターに使われたキャッチコピーは「ART FORCE」。よく意味がわからなかった。雰囲気としては、日産自動車としても、無駄をそぎ落とした2ドアクーペスタイルの審美性に自信があったということかもしれない。

クルマじたいの出来もよかった。当初はスカイラインと共用の1.8リッターエンジンを搭載。それにビスカスカプリングを使ったリミテッドスリップデフを組み合わせることも出来た。駆動方式は後輪駆動で、サスペンションはリアマルチリンク。走りのために凝った内容だ。

じっさいに気持のいいドライブフィールが売り物で、運転好きにもつよくアピールし、人気は、生産終了後も続いた。デートカーとしては、シンプルでクリーンな内装の居心地のよさもおおいに貢献したはずだ。

本当にウケを狙うなら、同時に発売された「コンバーチブル」がよかった。とはいえ、「ターボK’s」が200万円台前半であったのに対して、369万円もした。

このクルマが「デートカーとして最強の1台」などと評されたのは、当時まだ日本に残っていた、正しいクーペ文化のたまものだ。いまでも、こういうクルマが欲しい。ただし日産はこのデザインに拘泥するあまり、続くモデルチェンジがうまくできなかった。むずかしいものだ。

(4)ホンダ「プレリュード」(2代目)

ホンダにとって、コンパクトなスペシャルティカーのコンセプトは1978年の初代プレリュードに端を発している。大きくブレイクしたのは1982年発売の2代目だ。

たしかに初代は「アコード」の2ドアクーペとでもいうような、マジメなデザインだった。実際にアコードと共用の部品も多かった。サイズが大きければ、主市場である米国でもじゅうぶん通用しただろうけれど、当時のホンダの工場の設計など制約があり、ホイールベース2320mm、全長は4090mmというのが、おそらく精一杯だった。

2代目はホンダの設備投資が功を奏して、2450mmのホイールベースに、全長4295mm、全幅1690mmのボディを載せることが出来た。全高は1295mmに抑えることで、低い車高で幅広の、スタイリッシュなクーペが出来上がった。

それまでの日本車にはなかなかなかったプロポーションと、トヨタ「ソアラ」や日産「レパード」より低い価格設定(ソアラの中心価格帯が250万円程度であるのに対し、プレリュードの最上級グレードの2.0XXで約180万円)による、買いやすさも奏功したのである。

当時のホンダ車らしく、技術も重要なセリングポイントだった。気筒あたり3バルブの直列4気筒エンジン(のちに4バルブ化する)、ダブルウィッシュボーンという凝った形式のフロントサスペンション、4輪ABS(アンチロックブレーキ)といったぐあいだ。

1987年の3代目はさらに大型化。ホイールベースは2565mmに伸び、全長は4460mmに。それでも全高を1295mmにとどめたのはホンダのこだわりだろう。

前席を強調した小さめのキャビンを持つボディに、継続して使用された格納式ヘッドランプの組合せ。バブル経済まっさかりということもあり、2代目のいきおいでもって、3代目もよく売れた。

エンジンラインナップでは1.8リッターが落とされ、2.0リッターに1本化された。ただしSOHC12バルブとDOHC16バルブと、2本立てだったのがホンダのこだわり。後輪操舵システムも用意され、技術で(も)売る、という方針は継続された。

(5)ユーノス「ロードスター」(初代)

1989年に発表されて一大ブームを巻き起こしたのは、ご存知のとおり。このふたり乗りのスポーツカー購入のため、予約会には行列ができた。いまならちょっと信じられない。SUVばかりに眼がいっている昨今とくらべると、当時のほうが、私たちの趣味は洗練されていたのかも。

スタイリングは当時のクルマ好きには、ちょっとレトロすぎて、どうかなぁと思われたのは事実。ドイツでは、BMWが合成樹脂を多用したボディに6気筒エンジンの「Z1」(1986年)を出していたので、較べると、ロードスターは”狙いすぎ”のように思われた。

しかし、ロードスターとおなじ1989年に、ポルシェが「ボクスター」のコンセプトを発表。アメリカ人のデザイナーが手がけたショーモデルは、ロードスター以上にレトロスペクティブだった。

「MX-5(ロードスターの海外名)のコンセプトはおおいにアリ」。

これが海外のデザイナーの評価。先述のポルシェもそうだったし、また、アルファロメオ「ジュリエッタSZ」(1960年)や同「ジュニアZ」(1969年)など、スポーツカーの名車を手がけたエルコーレ・スパダ氏も絶賛していたのをおぼえている。

1990年にブリティッシュグリーンのボディに、タン(薄い茶色)のレザー内装を持った「Vスペシャル」が追加。ますますレトロになったことに私は疑問をもったものの、これも大ヒット。しゃれたオープンモデルとして市場での評価は高まった。

発売当時の価格は170万円。マツダ「RX-7」(1985年のFC3S型)もスタイリッシュだったものの、こちらは200万円超え。170万円でも若者には安くないけれど、スポーツカーを操縦する楽しさと、女子ウケする評価(どちらがメイン?)を、ともに手に出来たのだから、乗る価値はあった。

文・小川フミオ

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