■目の前に長く急な階段が伸びる、駅近の城跡
東京の城と言えば江戸城でしょう。その江戸城を築城した人物であり、また関東を代表する戦国の実力者でもあった太田道灌(おおたどうかん)が築城した「稲付城(いなつけじょう)」跡にバイクで訪ねてみました。
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東京都北区赤羽西1丁目にある「稲付城跡」はJR「赤羽駅」にほど近く、本当にこんなところに城跡があるのか? と半信半疑でしたが、バイクで辿り着いた瞬間に納得。目の前には「稲付城跡」の石碑と共に、長い階段が現れました。ここは現在「静勝寺」でもあり、その歴史を知りたく長い階段を登ってみました。そこで見つけた説明板には次のように書かれていました。
……稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌(おおたどうかん)が築城したといわれる戦国時代の砦跡です。
昭和62年(1987年)、静勝寺南方面でおこなわれた発掘調査によって、永禄年間(1558年から1569年)末頃から天正10年(1582年)頃に普請されたとみられる城の空堀が確認されました。
また、静勝寺に伝存する貞享4年(1687年)の「静勝寺除地(よけち)検地絵図」には境内や付近の地形のほか、城の空堀の遺構が道として描かれており、稲付城の城塁配置を推察することができます。
この付近には鎌倉時代からの岩淵の宿が、室町時代には関が設けられて街道上の主要地点をなしていました。稲付城は、その街道沿いで三方を丘陵に囲まれた土地に、江戸城と岩槻城を中継するための山城として築かれたのです。
道灌の死後、この城には孫の資高(すけたか)が居城し、後に後北条氏に仕えました。その子康資(やすすけ)は後北条氏の家臣として岩淵郷五ヶ村を所領しました。
明暦元年(1655年)に道灌の子孫太田資宗(むねすけ)は静勝寺の堂舎を建立し、道灌とその父資清(すけきよ)の法号にちなんで寺号を自得山静勝寺と改めました。その後も江戸時代を通じて太田氏は、太田道灌の木像を安置する道灌堂や厨子を造営するなど静勝寺を菩提寺としていました。
太田道灌は、あの徳川家康が関東入りする100年も前に、江戸城を築城した頭脳明晰、戦にもめっぽう強い戦国武将として知られています。「稲付城」の築城にも意味があってこの地が選ばれたのですが、なるほど、ここは高い丘陵であったことが現在の街並みからもわかります。赤羽駅方面から見ると小高い山のような地形であり、周りには「静勝寺坂」という坂道もありました。
扇谷上杉家に仕えた太田道灌は、動乱の多い関東にはなくてはならない存在で、長尾景春の乱(1476年から1480年)の鎮定など、数々の功績を残した武将です。戦国時代に至るまでの時代背景は面白そうなので後に調べるとして、「静勝寺」はそんな激しい動乱とは無縁の、静謐な空間が広がっていました。
最後は暗殺による非業の死を遂げた道灌を祀るために建立されたとされるお寺。その静謐さはまさに「静かに勝つ」道灌の姿を現しているのかもしれません。
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