アイルトン・セナに憧れてF1を真剣に目指していた男
稲田大二郎との出会いで人生設計がおかしくなった!?
「人間バーベキューにされたりするけど、昔はF1を真剣に目指していたんだ!」ターザン山田の知られざる半生【Play Back The OPTION】
ターザン(もしくはラーマン)という愛称で親しまれる山田英二選手。OPTION誌にはかかせない名物ドライバーであり、日本が世界に誇るタイムアタック請負人だ。そんな男とOPTION誌の出会いは1985年まで遡る。当時のターザンは、F3で活躍するバリバリのレーシングドライバーで真剣にF1へのステップアップを狙っていた。
ひょんなことから稲田大二郎の目に留まり、連載していた「OPT300ZX耐久レース挑戦記」の1st.ドライバーに抜擢。それをキッカケにOPTION誌の様々な企画に参加するようになり、徐々に“悪の道”を歩むことになるのである。
OPTION誌1985年7月号、まだターザン山田が将来有望な23歳の若手レーシングドライバーだった頃の「山田英二って知ってっか」企画をプレイバック!
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OPT・Zに乗る山田英二って知ってっか
山田英二 OPT・Z、No.1ドライバー
昭和37年4月25日生まれ(23歳)
最初から疑問があった。OPT300ZX耐久レースで、なぜエースドライバーに山田英二さんを選んだのか。レーサーはF2やGCで活躍するドライバーやプロダクションのトップクラスなど、たくさんいる。まだ若くて将来可能性のあるドライバーはこの世にゴマンといる。なぜだ……。
【Daiのコメント】
「このV6Zの場合、エンジンパワーとサスペンションのバランスが悪いはずだ。ニューZのレース用サスが出ていないこともあるが、300ps以上絞り出すVG30エンジンでは完全に振り回されるだろう。それをコントロールするってことは容易じゃない。その点、山田はF3とはいえ、あれだけ振り回して走っている。速さも必要だが、振り回すのに慣れているヤツ、それを考えてオレは山田英二を選んだのさ」
そう言われてあることを思い出した。日産がFISCOでテスト走行しているとき、ギンギンにコーナーを攻めているドライバーがいた。当時、そのドライバーが山田英二だったことは知らなかったが、一緒にいたDaiの頭の中にはきちんとインプットされて目をつけていたという。
また、地域性もある。都会に住んでいるのと田舎では。同じ技量のドライバーだったら、連絡がつきやすい都会のドライバーにお声がかかるというものだ。幸い、Daiの出身地は九州の片田舎。心の中には通じるものがあったのだろう…とは勝手な推測だが。
英ちゃんは耐久レースの話がきた時、どう思ったのか本音を聞いてみた。
「いやだなぁと思いました(笑)。F2とかF1を目指しているのに、何か横にそれる感じがありましたね。でも、なんでも経験ですから、それに自信はありました。1000kmの時も、他の人からはフラフラの走りに見えたらしいけど、あれはサスとタイヤのアンバランス。他のドライバーだったら全開のコーナリングで怖いからアクセルを戻すけど、踏んでコントロールしたわけです。サスがバッチリならカウンターも決まるが、あの場合はその点からも走り方がフラフラに見えたんでしょう。グリップ走行してても、それじゃ上のレベルで通用しませんから。
それと結果的には50秒台がベストだったわけですけど、後から追い上げてくるグループCカーなどの速いクルマに、譲り方が極端すぎました。かなり手前から相手に合図して先に行かせましたから。もし邪魔してブツケでもしたら大変でしたから、一番神経を使いました。もっと速く走れる自信もあったし出来ましたけれど……」。
【幼少時代の英ちゃん】
生まれも育ちも奈良県の山奥。周りは山に囲まれ、自宅から徒歩10分くらいのところに吉野川が流れる。3人兄弟の末っ子。性格は気弱で人見知りが激しい。が、正義感は人一倍強い。スポーツ万能で、特に山で鍛えた足腰は強じん。そのおかげで、運動会ではいつもトップ。中学はサッカー部に入部。初めからレギュラー入りし活躍する。勉強は苦手。
普通、1年はボール拾いと声援と相場が決まっている。それに奈良はサッカーや野球が盛んなところで、レベルは高い。1年でレギュラー入りした英ちゃんが羨ましい。
しかし、サッカーは1年でピリオド。このまま続けていてもプロになるわけでもない。かといって勉強でどれだけやれるか分からない。これから先、みんなと同じパターンの生活が面白くないし、いい加減に生きているように思えてきたという。
その頃、兄がセリカに乗っていてクルマに多少、興味があった。近くに鈴鹿サーキットはあるし、ひょんなきっかけから見に行こうと決心。次の朝4時に起き、始発電車でサーキットまで足を運ぶ。ちょうどF2の開催日だった。
【レーサーに目覚める日】
「凄いなぁ、と思ったと同時に自分はこれだ! これしかないと思いまして。とにかく感激しました。苦しいかもしれないがレースをやれるものなら本気で、しかも死ぬ気で自分のすべてをかけてやろうと決心しました。中途半端な気持ちではやりたくなかった。高校へ行かなかったのも、その分、家の仕事(運送業)を手伝い、お金を貯めてました。実際、お金が無いとレースはやれませんからね」。
その後、18歳になるとすぐ免許を取得。が、クルマを買える余裕はなく、兄の乗っていたセリカをお古でもらう。そして1ヵ月後、コツコツ貯めていたお金でオスカーFJ1600を新車で購入。当時、150万円也。すぐ鈴鹿サーキットを走る。
【初めてフォーミュラに乗ったとき】
「恐かったです。いくら広いサーキットでも初めてFJを走らせるんだから。ハンドリングはシビアだし、フォーミュラカーだからヘルメットに当たる風は半端じゃないし、本当に驚きました。必死にコントロールしているのは覚えてますが、どこをどうやって走ったのか、覚えていませんね。コーナリングなんかメチャクチャですよ。今だから笑って話せますけど、そのときは必死でした」。
ここまでくるのに、かなり時間がかかったという。田舎だったし、友達はみんな学校に行って運転など誰も教えてくれる人はいない。レーシングカーをどこで買えばいいのか、サーキットはどうしたら走れるのか、まったく分からなかった。そして、あらゆる本に目を通し、自分ひとりで何でもやるため、時間的にもかなり苦労したという。デビューまでの2年間は練習を重ねた。
しかし、資金的に月1度しか走れなかった。1回の走行でガソリン代、メンテナンス代、走行料で1ヵ月分の給料が無くなってしまったからだ。そして2回めの練習時に大クラッシュをしてしまう。
【その時のドキュメント】
場所・鈴鹿サーキット。当日はあいにくの大雨。最終コーナーから立ち上がった山田は、ストレートにさしかかった時、中央にある水溜りに足を取られスピン。どうすることもできない。しかし、頭にひらめいたのは、命よりクルマの修理だったらしい。マシンはコントロールを失い、コンクリート壁に激突。山田は大丈夫だったが、マシンは重傷。元通りになるまで時間と金がかかり、3ヵ月間乗れなかった。
デビューは57年の鈴鹿シルバーカップ第4戦、予選は26台中14番手。決勝は2回スピンをし成績は良くなかった。スポンサーもなくエンジン、シャシー、タイヤなど、トップを走る人たちみたいに条件が揃えられない中で勝てるわけがなかった。さすがにこんな状態ではダメだと思い、オスカーFJ1600を売り、ウエストを新車で購入する。いいクルマに乗っていれば、エンジンは悪くてもそこそこの走りができると思ったからだ。
その予感は的中。シルバーカップ第7戦ではポールtoフィニッシュで初優勝した。その日は雨でエンジン性能差がなくなり、他車とのハンディが縮まったからだ。
その後、58年に英ちゃんはF3に移る。F3ともなると個人で新車を購入できるほど安くなく、中古のハヤシF3を買った。またFJみたくメンテナンスまで手が届かず、OHなしで走らせる形だった。もちろん、こんな状態でいい成績が残せるはずがない。その年はシリーズも6位に終わった。でも旧タイプのマシンでこの成績は上出来ではないだろうか。
【あるキッカケ】
「他のマシンとまったく違いました。一時、自分のウデが悪いのかと思い舘善泰選手に乗ってもらったら、ラップタイムがボクより2秒も遅いし、自分が持っているコースレコードより6~7秒も遅いんです。当時F3では舘選手が一番速かったですからね。そしたら、こんなマシンじゃお金ばかりかかって絶対前には行けないよ、と言われました。舘さんばかりでなく、いろんな人にも言われました。これじゃ無理だから、もっとお金を貯めていい状態でやれと。それでいつものパターンで、一生懸命仕事して、来年にかけようと考えました」。
59年にはマーチ793を購入。そして東名チューンのトヨタ2TGエンジンで戦う。第1戦は予選ポール、決勝2位と好調。F3シリーズに全戦参加し、鈴鹿ではすべてポールを獲得し、優勝2回、シリーズは兵頭秀二に1ポイント差で2位に終わったものの、満足のいくレースがここにきて初めて出来た。
今年(60年)は東名自動車のスポンサードとNISMOの援助により、FJエンジンを搭載したマーチ793で参戦。が、59年と比べてエンジン差によるハンディで苦戦中だ。FJエンジンは2TGより50kgも重く、ボディのバランスがどうしてもリヤ・ヘビーになってしまう。それと熟成差がある。2TGは長年レースで使用されノウハウが叩き込まれているが、FJは今一歩という感じなのだ。FJ用にシャシーをセットしたいが、それには金がいる。それが今の現状だ。
【目標・ライバル】
「もうここまできたら次はF2です。早く星野さんや中嶋さんを抑えたい。いつまでもあの人たちがトップじゃ面白くないし、見ているほうでもワンパターンでしょ。ライバル? 意識してませんよ。ボクだって走りに関しては自信持ってますから。
ただ、それが結果的に結びつかないだけで。でもやっぱりライバルといったら、生意気かもしれませんが、星野さん、中嶋さんですね。星野さんの速さ、中嶋さんの上手さはさすがです。目標とする人は今、F1で活躍するロータスのASダ・シルバ(※アイルトン・セナ)です。F3からF1へステップアップしてあれだけ走れるんですから。F2よりF3からのほうが速いドライバーが多いですし、それだけF3のレベルは高いです。ボクは、F3でそれなりの走りをすれば通じると思います。シルバがF3当時にやったムダのない走りを見習いたいです」。
穏やかな口調とは反対に、英ちゃんの目がギラギラ輝いているのが印象的だった。
今までレース一本やりで遊びという遊びは何も知らないという。そんな英ちゃんは今、テニス、ゴルフ、ウインドサーフィンなどをやってみたいと言った。しかし、やらないだろうね、一流になるまで。酒もタバコもやらずにこれだけ真面目にやっている人間なんて、今どき珍しい。
【ストリート派にひとこと】
自分が街中を飛ばして納得いくのだったらいいけれど、ボクはメリットがないんじゃないかと思います。ま、自分がスカッとするのならいいかもしれませんけれどね。
あまり多くは語らなかったが、街で飛ばすのだったらサーキットでも走れば、とでも言いたそうな感じが見受けられた。しかし、後でこっそり聞いたことだが、英ちゃんの免許証もあと1点しか残っていないらしい……。
最後にOPTを見てどう思うますか?と聞いたら、ニヤッと笑った。「こんな暴走チックな内容とレースが上手くミックスされた面白い本があるとは思いませんでしたよ!」
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FJからスタートした山田英二のレース人生。F3へステップアップ、そしてアイルトン・セナに憧れてF1を目指す本気のレース小僧だったのである。しかしその数十年後、まさかバーベキューのように炙られることになる(V-OPT企画の人体実験コーナー)とは、本人も思っていなかっただろう。愛すべき男である。
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