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WECで活きるスーパーGTの経験。平川車担当の“日本育ち”レースエンジニアが明かすル・マンの悔しさと野望

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WECで活きるスーパーGTの経験。平川車担当の“日本育ち”レースエンジニアが明かすル・マンの悔しさと野望

 まもなく2023年シーズンが終局を迎えるWEC世界耐久選手権。最終第7戦バーレーン8時間レースのメイントピックは、トヨタGR010ハイブリッドとフェラーリ499Pによるドライバーズタイトル争いとなるだろうが、そこではひとりの“スーパーGT/スーパーフォーミュラ出身エンジニア”に注目したい。

 彼の名前は、ライアン・ディングル。今季からトヨタGAZOO Racingで平川亮組8号車のレースエンジニアを務めている。長く日本でキャリアを積んできたことから、彼の名前や顔を覚えている日本のファンの方も多いだろう。

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 2019年、オートスポーツ誌に掲載したインタビューで「夢はF1エンジニア」と語っていたディングル氏。彼はなぜ日本を飛び出し、世界の舞台で戦うようになったのか。そして、今年WECのやル・マン24時間は、どんな意味のある経験となったのか。9月、第6戦富士に“帰ってきた”ディングル氏に話を聞いた。

■加入のきっかけは小林可夢偉からの連絡

 1986年生まれ・カナダ出身のディングル氏は大学卒業後に“普通のエンジニア”として働きながら、イギリスの大学院でレースエンジンについて学んでいた。しかしレースの仕事を志し、また日本が大好きだったというディングル氏は2013年に来日。戸田レーシングの門を叩いて日本での、そしてモータースポーツに関わるキャリアをスタートさせ、のちにスーパーGTではバンドウ、スーパーフォーミュラではチーム ルマンやKCMGでエンジニアを務めた。

 2020年からの3シーズン、ディングル氏はセルブス・ジャパンに所属し、GT500クラスで8号車ARTA NSX-GTのエンジニアを務めると同時に、スーパーフォーミュラではTEAM MUGEN、そして最終年はTeam Gohでもエンジニアとして活躍。未経験の状態から10年間で、国内レース界のトップチームにまで上り詰めたとも言えるが、日本でのキャリアについての総括を聞くと、「いい流れで進んできましたけど、チャンピオンが獲れていないから……そこが心残りです」と流暢な日本語で話し始めた。

「(バンドウから)ARTAに移ったときは、ブリヂストンタイヤになり、毎戦ポールを獲るとか、レースに勝つチャンスがある環境になりました、野尻(智紀)、福住(仁嶺)という速いドライバーと仕事ができて、(第7戦で)優勝することもできたのは良かったですね。ただ、ドライバーとのコミュニケーションとか、チームのメカニックのコントロールなどは、まだ荒いところがあって、それで勝ちを逃してしまったこともありました」

「2年目の2021年も最初の方はつらい思い出があって……ただ後半はチームとしてひとつになってパフォーマンスもよく、2勝を挙げることができたけど、チャンピオンには届きませんでした」

 日本のレース界のエンジニアリングレベルが相当に高いことを認めながらも、この頃から「世界のやり方やヨーロッパのエンジニアリングを見てみたい」「(F1でなくとも)世界選手権にチャレンジできる機会があれば、やりたい」という思いが自身のなかで大きくなっていたという。

 ARTAでの3年目となる2022年、8号車はレースが短縮された第2戦富士で優勝を遂げる。そしてその直後、自身の将来を左右するできごとが起きた。キーとなった人物は、小林可夢偉だった。

 2019年、ディングル氏はスーパーフォーミュラで可夢偉車を担当。以来、連絡を取る間柄となっており、可夢偉はディングル氏の“海外志向”を理解していたという。そして可夢偉が代表を務めるTGR WECチームは、それまで8号車のレースエンジニアを務めていたヤコブ・アンドレアセンのチーム離脱に伴い、トップレベルのレースで経験のある“即戦力のレースエンジニア”を探してるタイミングだった。

「可夢偉から『こういう機会がある。もし興味があるなら、教えて』と声をかけてもらいました。それでTGR-E(トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)に紹介してもらってエントリーし、面接に進んだのです」

■複雑なステアリング上スイッチの把握は必須

 無事に採用が決まったディングル氏は、2022年のスーパーGT最終戦の後、バーレーンへと向かいチームと合流。最終戦には帯同しているだけだったが、翌日のルーキーテストでは早速現場でのオペレーションに加わり、その後はTGR-Eのあるドイツ・ケルンに居を移した。

 オフからレースエンジニアとして仕事を開始したディングル氏は、ハイブリッドシステムを積む最新鋭のル・マン・ハイパーカーという未知なるマシンを扱うことになったが、「ダウンフォースが多めのプロトタイプだから、スーパーGTと似たようなところは多い。ベースとなるメカニカルの部分に関しては、それほど難しく感じなかった」と語る。

「ただ、フロントに積むモーターのコントロールのシステムなどは、最初はすごいと思いました。あとはステアリング上にもさたくさんスイッチ類がありますが、すべてのスイッチに意味があるし、こういったヨーロッパの大きいレースチームでは『どういった状況のときに、どのスイッチを操作したほうがいいか』というのをエンジニアが詳しく把握しておき、ドライバーに伝えなければいけないので、そこは日本より複雑で慣れなければいけないところでした」

 世界選手権を戦うチームはエンジニア含め、スタッフの人数も多い印象だ。レースエンジニアとしてコントロールしなければならない範囲も広そうだが、レースの現場についてはあまり日本と変わらないようだ。

「たしかに我々はシャシーもパワートレーンもデザイン・開発のところからやっているので、そこまでを含めれば結構な人数になるけど、現場だと(規則による)人数の制限などもあります。日本の伝統的なレースチームから比べると4~5倍くらいはいるかもしれないけど、最近のスーパーフォーミュラのTEAM MUGENやTGM Grand Prixなどを見ると、そんなに差はない感じですね。もちろん、それぞれの分野の専門家がいるのは日本とは違うところですが、(身近な範囲のエンジニアの)人数だけなら、それほど変わらないです」

 当初はセバスチャン・ブエミ、ブレンドン・ハートレーといった「テレビで見ていた人」と働くことに不思議さを感じていたというが、3月の開幕戦セブリングの時点では打ち解けられていたという。ただ、たとえばレース中の無線でのコミュニケーションなどはドライバーごとに欲しい情報が異なる面もあり、「(要点を)つかむまでに数戦はかかりました。まだ完璧ではなく、レースごとに改善を続けている部分」だ。

 ディングル氏はまた、「日本語を喋れるメリットはある」とも言う。

「たとえば亮とより深いコミュニケーションもとれますし、(東富士で開発している)パワートレインサイドの人たちとも話すことができるので、喋れて良かったな、という感じです。ただTGR-Eにいると、思ったよりも日本語を使う機会は少ないですね」

 平川は今年に入り、「日本語を忘れられたら困るので、ライアンとふたりのときは日本語で喋ります」と冗談めかして語っていた。そのことをディングル氏に伝えると、「ハハハ、ドイツに引っ越して、僕もだいぶ日本語が下手になったからね」と笑う。日本人の奥様は英語も堪能ということで、家庭内の会話は英語と日本語のミックス。ふたりのお子さんとは日本語で話すものの「ビジネス環境の日本語をしゃべる機会が減っている」ことが、少々悩ましいようだ。

■ル・マン24時間、平川のスピンの舞台裏

 耐久レースのエンジニアを務めるのは初めての経験となったディングル氏。ル・マンでは24時間以上休みなく働かなければならないだけでなく、シーズン前のテストでは24時間を超える走行をする機会もある。最初は体力的な面で「大丈夫なのかなと思っていた」というが、意外やここでもスーパーGTの経験が活きることとなった。

 それは、コロナ禍以前に恒例となっていたマレーシア・セパンでのオフシーズンテストだ。一日8時間程度、数日にわたって走り込むセパンテストでの経験は、WECの世界にも応用が効くものだった。

「当時はパフォーマンスエンジニアでしたが、あのテストは1日がかなり長いんですよね。あれは結果的にいい準備になったと思います。いまのWECの6時間レースだと、ちょっと早く感じるくらい(笑)。(後方から追い上げて)表彰台も見えていたモンツァはとくに『あと2時間欲しいな』と思ったり」

 シリーズ最大のイベントであるル・マン24時間レースは2位。終盤には平川のスピンもあった。

「悔しかった。悔しかったね」とディングル氏の表情が曇る。

「結果的にはそのあと、フェラーリも(再スタートに手間取り)1分間ピットに止まっていたけど、あの瞬間はとにかく勝ちたい、と。2位は悪い結果ではないけど、ル・マンは勝ちに行っていたから。ブレンドンのペースもよかったけど、あの週末は亮の調子が良かったし、亮に任せてプッシュするしかないよね、という判断でした」

 プッシュ司令を無線で受けた平川は、アルナージュへの進入で突如姿勢を乱してスピン。その瞬間「これで勝つのは難しいな」と悟ったディングル氏だったが、コクピットの平川を冷静に保つことに努めたという。

「あの状況でパニックになってしまったら、ますますタイムロスになってしまいます。テレメトリーを見て、アシ(サスペンション)は大丈夫そうだと分かっていたから、まずは彼を安心させて、ピットで何をどうするかということを無線で伝えて、できるだけ冷静にピットに戻れるようにしました。まだポジションは悪くなかったから、ピットまで戻れれば最後まで戦えると思いました」

 自身初めてのル・マンを「いろいろありましたねぇ」としみじみ振り返るディングル氏は「いろいろなことが起こり、そのなかである程度の対応はできた。その部分に関しては少し満足感はあるけど、ああいう結果なので『満足』とは言えません」と言う。

 エンジニアとしての今後のゴールを訊ねると、目つきに力強さが戻った。

「まずはWECのチャンピオンになりたい。ル・マンも勝ちたい。そのふたつは、このチームでチャレンジしたいことです」

「あと、自分は“ガイジン”ですけど、日本で育ったので、日本人のエンジニアたちに『こういう道があるよ』というのを見せていきたい。セルブスやバンドウで一緒に仕事をしていたエンジニアたちに、『世界でチャレンジしたいのなら、それができるよ』というのを見せたいんです」

 実際、日本時代の仲間からは、問い合わせも来ているのだという。今週末に控えたバーレーン決戦の行方だけでなく、日本育ちのディングル氏のまわりで将来的にどんな“化学反応”が起きるのかも、注目していきたい。

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