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元マツダ社長の古田徳昌さんの「お別れの会」に500人が参列

旧通産省(現経済産業省)出身で、2019年9月9日に心不全のため91歳で死去した元マツダ社長の古田徳昌さんのお別れの会が11月18日、広島市のリーガロイヤルホテル広島で開かれた。

三井住友銀行の成田学副会長、自動車メーカーからトヨタ自動車の白柳正義専務役員ら、取引先の関係者のほか、マツダの山内孝相談役らOBなど約500人が参列し、白菊などの花に囲まれた古田さんの遺影の前で献花を行い、別れを惜しんだ。

故人を偲ぶ会食の会場では、マツダの小飼雅道会長、丸本明社長、喪主の古田敬氏らが参列者を出迎えた。会場の一角には古田さんの社長時代にデビューしたユーノス『ロードスター』をはじめ、生前の故人をしのぶ思い出の写真などを展示するコーナーが設けられた。

古田さんは、1928年大分県宇佐市の生まれ。大分経済専門学校(現大分大経済学部)を経て東京大学経済学部を卒業後、1952年通産省に入省。通産大臣秘書官、在仏日本大使館参事官、資源エネルギ―庁石油部長、国土庁長官官房審議官、貿易局長などを歴任。退官後は、電源開発(J-POWER)理事に就任。1985年10月にはマツダへ。専務から87年12月には、当時の社長だった山本健一氏が健康上の問題で退任したため、後任社長に抜擢された。

91年までの4年間、マツダの7代目社長として社風の改革や国内シェア10%を目標に大胆な販売体制の拡充など、歴代のプロパー社長とは一味違う柔軟な発想で攻めの経営に取り組んだ。モータースポーツにも力を入れてルマン24時間耐久レースにロータリーエンジン搭載車での参戦を決断、日本車として初優勝を飾ったことでも脚光を浴びた。

現在のマツダには、古田社長時代を知らない幹部社員も多い。だが、当時ぬるま湯体質の経営陣や社員の意識を変えるために古田さんが中心になって新しい風を吹き込み、その後もモノづくりに必要な感性を磨く努力を続けたことから、今日のようなブランド価値を高める独創的な商品開発の推進につなかったとも言えるだろう。

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