モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1985~1986年の全日本ツーリングカー選手権を戦ったSA22C型の『マツダ・サバンナRX-7』です。
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1985年から1993年まで、およそ9年間に渡り行なわれたグループA車両規定時代の全日本ツーリングカー選手権(JTC)。同選手権ではシーズンが進むにつれ、勝利を狙える車両が絞られ、排気量別に定められた各クラスの参戦車種も洗練されていった。
しかし、発足から3年ほどの初期は多彩なマシンがシリーズに顔を見せていた。そのうちの1台が本稿で紹介するSA22C型の『マツダ・サバンナRX-7』だ。
SA22C型はFC3S、FD3S型と続く歴代RX-7の始祖、初代モデルにあたる。1985年のJTC初参戦時点では、すでに2代目のFC3S型がデビューしていた時期だった。
当時、グループAの規定では4座以上の車両しか参加できないことになっていたものの、日本仕様のSA22C型は2+2の4座であったため、特例として車両ホモロゲーションを取得でき、レースへと参加することが可能となったとされる。
SA22C型が初めてJTCに姿を現したのは、1985年の11月に開催された最終戦、富士スピードウェイが舞台のインターTECでのこと。最初にエントリーを画策したのは、中村誠という富士グランチャンピオンレースにも参戦していたプライベーターであった。
中村は自ら所有するSA22C型をベースにグループA規定に沿ったモディファイを行ない、レーシングカーへと仕立てあげる。さらに友人の漫画家、すがやみつる氏に監督を打診。すると監督となったすがや氏はドライバーに『サーキットの狼』などで知られる同じく漫画家の池沢さとし(現・池沢早人師)氏を起用する。
さらにすがや氏、池沢氏の作品連載が決まっていたサンケイ出版(現・扶桑社)の漫画雑誌である『Woo』をチームのスポンサーに迎え、参戦体制を整えた(出典:小社刊『日本の名レース100選 Vol.011』)。そして、そのメインスポンサーから『Woo RX-7』という車名で1985年のインターTECへエントリーしたのである。
573cc×2の12Aロータリーエンジンを積むWoo RX-7は、レギュレーションによる排気量換算によって、1601~2500ccまでが対象のクラス2に属し、同クラスのライバルであるS12型の日産シルビアなどとコース上で相まみえることになった。
いよいよインターTECの決勝を迎えたWoo RX-7。初の実戦となったものの、レース序盤で後輪が脱落するトラブルが起きて早速万事休す。わずか27周で戦列を去ってしまった。
その後、SA22型のRX-7は1986年に2度、異なる体制でJTCへと参戦している。だが、そのどちらもで目立った戦果を挙げられず、1986年限りで姿を消したのであった。
[オートスポーツweb 2026年09月02日]
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