この記事をまとめると
■山野哲也選手が全日本ジムカーナで前人未到の通算150勝を達成
【今さら聞けない】モータースポーツのジャンル「ジムカーナ」って何?
■競技人生でもっとも印象深い3勝と継続の大切さを振り返った
■200勝も視野に現行車で挑戦を続ける姿勢を示した
レジェンドがまたも偉大な記録を成し遂げた
2026年の全日本ジムカーナ選手権は早くも折り返しを迎え、6月27~28日、北海道のオートスポーツランドスナガワでシリーズ第5戦「北海道オールジャパンジムカーナ」を開催。各クラスで激しいタイム争いが展開されていたのだが、そのなかで最大のトピックスとなったのが、山野哲也選手のメモリアルウィンだといえるだろう。
15号車「EXEDY71RZ A110R」を武器にPE2クラスに参戦した山野選手は、第1ヒートでベストタイムをマークし、今季4勝目を獲得したのだが、なんとこの優勝こそ、山野選手にとって全日本ジムカーナ選手権での150勝目で、記念すべき1勝となったのである。
山野選手が全日本ジムカーナ選手権で初優勝を獲得したのは、全日本シリーズがスタートした1992年で、ホンダCR-X(EF8)を武器に開幕戦・オートポリス大会でA2クラスを制覇した。以来、順調に勝利を重ね続け、34年間の時を経て、前人未到の大記録を達成した。
その間、山野選手は全日本ジムカーナ選手権と並行して、スーパーGTやスーパー耐久などレース競技にもチャレンジしていたことから、この記録が如何に大変で、そして偉大なことなのかが窺えることだろう。
「1992年の開幕戦で初優勝したとき、まさか自分が150勝をできるとは思っていませんでした。自分で“優勝回数が増えてきたかも”と思って数えたときがあったんですけど、そのときでもまだ65勝ぐらいで、全日本ダートトライアル選手権で活躍していたモンスター田嶋選手や粟津原(豊)選手も同じくらいの優勝回数でした。だから自分はまだまだ甘いな……と思っていましたが、そこから優勝が増えていって2018年に、まだ誰も達成していなかった100勝を獲得。そして、今回で150勝目を獲得しました」という山野選手は、この大記録を達成できた要因について次のように語っている。
「ジムカーナを続けてきたことがこの結果に繋がったと思います。なんでもそうですけど、辞めるのは簡単ですよね。その一方で、続けるためには、いろんなことを乗り越えなければいけないんですけど、今回の150勝はそういったものを乗り越えてきた結果だと思います。自分自身に諦めない心があったし、自分がやりたいことをサポートしてくれるたくさんの人がいたので、そういった方々に支えられてきたことで大きな節目を迎えられました」。
まさに山野選手はジムカーナ界におけるレジェンドであり、前人未到の記録を更新し続けているのだが、そんな山野選手に自身の150勝のなかから記憶に残る優勝を3大会、“ベスト3勝”としてピックアップしてもらった。
34年間の競技人生のなかでも忘れられない3勝
まず、山野選手が選出したのが、1993年に名阪スポーツランドで開催された第6戦の「コカコーラCUPパワースラローム」だ。当時、山野選手はホンダ・シビック(EG6)でA2クラスに参戦していたのだが、「前年にCR-Xでチャンピオンを獲得していたので、この年からEG6に乗り換えたんですけど、シーズン前半はずっと勝てなかったんですよね。そのため、毎回のように違う足まわりにしてみたり、デフを変えてみたり、ホイールを変えてみたり、タイヤサイズを変えてみたりと試行錯誤をしていました」と山野選手は語る。
ブレイクスルーを果たしたのが名阪ラウンドで、「後半に少しずつよくなって来たなか、ようやく初優勝できたので嬉しかった。同時にできることを全部やって形になったので努力の成果があったな……と感じました。当時、僕はまだ26歳ぐらいだったと思うんですけど、誰もEG6でチャレンジしていなかったので、イチからクルマを作り出していかなければならなかった。名阪で勝てたことで、やればできるという自信をもつことができました。その後、EG6は全国的にジムカーナで活躍する常勝モデルになっていきましたが、その先駆者として苦労したことがよい経験になりました」とのことである。
続いて山野選手が挙げた印象深い勝利が、1996年に浅間台スポーツランドで開催された第7戦の「ジムカーナin関東」だった。同年の全日本ジムカーナ選手権に山野選手はホンダ・シビック(EK4)でA2クラスにエントリー。見事、チャンピオンを獲得していたのだが、この浅間台ラウンドにはホンダ・インテグラ(DC2)でA3クラスに参戦していた。
「1996年はスポンサーの関係によりEK4を投入していたんですけど、最終戦を待たずしてA2クラスのチャンピオンになることができたんですよね。それで1戦だけDC2でA3クラスに参戦してみようということで、いわば殴り込みに行きました。当時、A3クラスのチャンピオンはMR-2(SW20)に乗っていた天満清選手でしたが、DC2の仕上がりがよくて勝つことができました。天満選手からしてみれば嫌なヤツですよね(笑)」とのことで、A3クラスにスポット参戦を果たしたこの浅間台ラウンドも山野選手にとって印象深い1戦となったのである。
そして、記憶に残る勝利として、山野選手が最後に選出したのが、2021年にエビスサーキットで開催された第2戦「オール・ジャパン・ジムカーナinエビス」である。当時、山野選手はアバルト124スパイダーでJG7クラスにエントリー。この1戦を選んだ理由について山野選手は「このころ、同じアバルト124スパイダーに乗っていた小俣洋平選手といつも激しいタイム争いを展開していました。それこそ、毎回どちらが勝つかわからないという展開だったんですけど、とくにあの1戦はバチバチのバトルでした」と語る。
事実、この山野選手VS小俣選手のトップ争いは近年に例のない僅差の争いで、最終的に0.003秒差で山野選手が勝利を飾った。
「あれだけ激しいバトルを繰り広げたシーズンはほかになかったし、エビス戦は1000分の1秒単位という人間では測れない僅差の勝負だったので印象に残っています」とのことで、山野選手にとって思い出に残る1戦となっている。
以上、山野選手に“ベスト3勝”を挙げてもらったが、150勝を達成した山野選手は次の大台、200勝を目指すのか?
「行けるなら行きたいですけど、すごい時間はかかると思うんですよね。もちろん、勝てるクルマに乗って、ずっと同じクラスを走り続ければ、次の記録も達成しやすいけれど、常に新しいことにチャレンジしたいし、自分のコンセプトとしてディーラーで売っている現行モデルにこだわってやっているので、やがてクルマを変えざるをえないときも出てくると思います。車種によってはなかなか優勝できないモデルもあると思いますが、僕に期待して応援してくれる人がいる間は、いまのスタイルで頑張りたいと思います」と山野選手は語っているだけに、レジェンドの挑戦はまだまだ続くことになるだろう。
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みんなのコメント
10年ほど前までもてぎでジムカーナ指導してもらっていましたが、操作に全く無駄がなく、激しい挙動が出る前に動きを読んでコントロールする技術は驚きの連続でした。
全く予備知識もなく見た20年ほど前の名阪スポーツランドでお見かけして以来、陰ながら応援していました。200勝ぜひ目指してください!