原付1種の最高出力は、7.2馬力(5.3kW)だった!?
いま話題の「新基準原付」は、排気量は125ccまでOKですが、最高出力は4kW以下に制限されています。4kWを馬力(PS)に換算すると約5.4PSになりますが、現時点で販売している原付1種(50ccクラス)でもっともパワーが大きいのは、ホンダの「タクト」や「ジョルノ」等のスクーターで、最高出力は3.3kW(4.5PS)なので、少し得した気分になります。
【画像】MT車多数!! 国内4メーカーのスポーツ原付(ゼロハン)を見る
ところがバイクブームで盛り上がった1980年代初頭は50ccのスポーツ車も大人気で、「ゼロハン・ブーム」とも呼ばれていました(750cc=ナナハンなので、50cc=ゼロハン)。
どのバイクも、後に最高出力は国内自主規制の上限いっぱいの7.2馬力(約5.3kW)を発揮し、なんと最高速度が「3ケタ」km/hに迫るモデルもありました。
もちろん、原付1種の最高速度は当時も30km/hなのでスピード違反はNGです。というワケで、かつての「爆速」原付を紹介します。
「4ストのホンダ」が、2ストロークで参戦
創業間もないころから4ストロークエンジンにこだわってきたホンダですが、とくに小排気量ではパワーを稼ぐには2ストロークが有利だっただけに、1979年に50ccではホンダ初の2ストロークエンジンを開発し、個性的なデザインのロードスポーツ車に採用したのが「MB50」です。最高出力は7.0PSを発揮し、自社の4ストローク車の「CB50JX-II」はもちろん、既存の2ストロークのライバル車をグッと上回りました。
そして1982年には水冷に進化した「MBX50」にモデルチェンジして最高出力は7.2PSに。その後も兄貴分の「NS」シリーズを踏襲したスタイルの「NS50F」、「NS-1」へと進化します。
「MB50」から「NS-1」は、前後17インチタイヤを履く「フルサイズ」と呼ばれる車格ですが、1987年には12インチタイヤのミニレプリカ「NSR50」が登場します。こちらは前年にヤマハが発売して人気を博した「YSR50」に対抗したモデルです。
当時は50ccスクーターも流行しており、スポーツ性を謳うモデルも少なくありませんでしたが、その中でも変り種で突出していたのが「BEAT(ビート)」ではないでしょうか。スクーターで世界初の水冷2ストロークエンジンを搭載し、最高出力はロードスポーツ車と同じ7.2馬力を発揮。フロアの足元には低回転域と高回転域でトルクを切り替える「V-TACS」(可変トルク増幅排気システム)のペダルを備えていました。
ヤマハからミニレプリカが登場!
ヤマハは1980年に2ストローク人気を復権・確立した超人気モデルの「RZ250」を発売しましたが、翌1981年には「RZ」シリーズの末弟となる「RZ50」が登場。パワフルな水冷2ストロークエンジンはもちろん「RZ250」譲りのタービン型のキャストホール等の装備も人気を集めました。
「RZ50」は1990年発売の「TZR50」にその座を引き継ぐ形で一旦は生産を終了しますが、1998年に復活します。「TZR50」はフルカウルでレーサーレプリカ度を高めましたが、2代目「RZ50」は思い切りクラシック路線に舵を切っています。時代に応じた変化と言えるでしょう。
上記の2機種は前後17インチホイールのフルサイズ車ですが、1986年にミニレプリカの「YSR50」を発売します。当時のWGPマシンの「YZR500」をデフォルメした、前後12インチタイヤのコンパクトでコミカルなスタイルの車体に、古くからヤマハ50ccスポーツの心臓として活躍してきた空冷2ストロークエンジンを搭載します。
この「YSR50」のライバル車としてホンダが「NSR50」をリリースし、その性能に対抗すべく「TZR50」をベースに吸排気系をリファインした水冷2ストロークエンジンを、「YSR50」から大幅に強化したシャシーに搭載した「TZM50R」が1993年に登場。ミニレプリカの戦いが激化します。
スズキと言えば、「Γ(ガンマ)」!!
スズキは空冷ながら7.2PSのパワーを誇る2ストロークエンジンを、前後18インチタイヤの大柄な車体に積んだ「RG50E」を1980年に発売します。50ccクラスを超えたサイズ感とパワーで人気を博しますが、1982年には50cc市販バイクで初の角型パイプフレームに新型の水冷2ストロークエンジンを搭載する「RG50Γ(ガンマ)」を発売します。
このバイクがレーサーレプリカの先駆けと言えるアルミフレームやカウリングを装備した「RG250Γ」の弟分として生まれたのは、一見して分かるでしょう。
ちなみに「RG250Γ」にはネイキッドの兄弟車「WOLF(ウルフ)」が1988年に発売しされましたがが、「RG50Γ」にも1989年にネイキッド兄弟車の「WOLF50」が加わっています。
そしてスズキのカッ飛び原付の変り種といえば、1997年に登場した「ストリートマジック」でしょう。エンジンはスクーター由来のVベルト無段変速のスイングユニットですが、空冷2ストロークながら7.2PSをシッカリ発揮! ノンジャンルの爆速原付で、丸ライトでオフロードテイストの「ストリートマジックII」も発売されました。
カワサキは、空冷でもフルパワー
とくに昔はビッグバイクのイメージが強かったカワサキですが、ゼロハン・ブームに乗り遅れることなく1981年にフルサイズの2ストロークスポーツ「AR50」を発売します。
そしてヤマハやホンダのようなミニレプリカはラインナップしませんでしたが、1987年に「AR50」譲りのエンジンを前後10インチタイヤのコンパクトな車体に搭載した「KS-I」をリリース。こちらは少々マニアックなスーパーバイカーズのミニスタイルでした。
排ガス規制で姿を消した、「カッ飛び」原付
いかがでしょうか? 今ではちょっと想像できませんが、かつては原付1種の50ccクラスに、こんな過激なバイクが沢山ありました。
……が、繰り返しになりますが、原付1種の最高速度は30km/hです。冒頭で「最高速度が3ケタkm/hに~」と触れましたが、当時は速度違反や事故が多かったことも事実です。そこで国内メーカーは1983年9月からの販売モデルに、60km/hの速度リミッターを装着しました。
ヤマハとスズキは速度リミッターのみ装着して7.2PSを維持しましたが、ホンダの「MBX50」とカワサキの「AR50」の1983年モデルはキャブレターを小径化してパワーを落としたデチューン仕様になっため(ギアも6速から5速化)、人気が一気に下落……。そのため「MBX50」は1985年モデルで、「AR50」は1984年モデルで最高出力を7.2PSに戻しました。
というワケで、60km/hの速度リミッターは付きますが、自主規制いっぱいの最高出力7.2PSのスポーツ車は1990年代でも健在。ところが、厳しさを増す排出ガス規制によって、2ストロークエンジンが存続の危機を迎え、2000年頃には多くのフルパワー原付が姿を消します。
そしてスズキの「ストリートマジックII」が2006年に、ヤマハの2代目「RZ50」が2007年に生産終了したことで、7.2馬力の原付1種は消滅しました。
そもそも最高速度30km/hの縛りがある原付1種にそんなパワーは必要ないのかもしれませんが、少し寂しい気がしなくもありません……。
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みんなのコメント
JOGとNSRで参戦したなぁ~
今の子には悪いけど良い時代でした。