フランク・ウイリアムズが亡くなった。享年79歳だった。ウイリアムズ卿は11月26日(金)に入院し、28日(日)の朝に家族に看取られながら息を引き取ったという。
フランク・ウイリアムズと言えば、現在のウイリアムズF1(ウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリング)を創業した人物として知られるが、それ以前にもF1参戦チームを率いていた。
■ホンダF1山本マネージングディレクター、フランク・ウイリアムズの逝去に対しコメント「多くの成功を共にした」
ウイリアムズは1966年、フランク・ウイリアムズ・レーシングカーズを設立。F2やF3を舞台に戦っていた。初期には、自身もドライバーとしてレースに出走していた。
そして1969年、ブラバムBT26Aを購入して、F1に参戦。ピアス・カレッジのドライブにより、2戦で2位表彰台を獲得する成功を収めた。翌年にはイタリアのカーメーカーであるデ・トマゾと組んで参戦。カレッジが事故死するなど、入賞できずにシーズンを終えることになった。
その後はマーチのシャシーを購入して参戦する時期を経て、玩具メーカーの”ポリトイ”やタバコメーカーのマールボロ、そしてスポーツカーメーカーのイソなどからのサポートを受け、オリジナルマシンを開発していくようになる。そして1974年、イソ-マールボロFWがデビュー。現在のウイリアムズのマシン名に付けられている”FW”は、ここが起点になっているわけだ。
1976年には、ウォルター・ウルフがチームの株式を取得したことで、ウルフ・ウイリアムズ・レーシングとなった。ただ同年限りでウイリアムズとウルフとの関係は解消。元フランク・ウイリアムズ・レーシングカーズだったチームはウォルター・ウルフ・レーシングとなり、フランク・ウイリアムズはウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを設立することになった。
この新生ウイリアムズは、1年目こそマーチ製のマシンでの参戦だったが、それ以降はオリジナルマシンを開発。白地に、メインスポンサーであるサウジアラビア航空のロゴを纏い、グランプリシーンでの存在感を増していくことになった。
1979年には、クレイ・レガッツィオーニの手で初優勝。同年にはチームメイトのアラン・ジョーンズが、さらに4勝を積み重ねた。
そして1980年、ジョーンズがドライバーズチャンピオンに輝くと共に、チームも初のコンストラクターズタイトルを獲得。翌年もコンストラクターズタイトル連覇を達成した。
当時は市販F1エンジンと言えるフォードDFVを使っていた。しかし時代は急激にターボエンジンが勢力を増しつつある時代。ウイリアムズとしても、競争力を維持するためには、ターボエンジンを手にするのが必須とも言える状況となった。
そしてウイリアムズは、ホンダと手を組んだ。
当時のホンダは、スピリットにエンジンを供給する形でF1に参戦していたが、ウイリアムズがそのホンダと契約。1983年の最終戦で、ウイリアムズ・ホンダがスタートを切った。
この83年最終戦でデビューしたウイリアムズFW09は翌年も使われ、第9戦アメリカGPでケケ・ロズベルグの手により優勝。85年にはロズベルグが2勝、新たにチームに加わったナイジェル・マンセルが2勝と、合計4勝を挙げ、ランキング3位となった。
ところで1983年には、もうひとつの出来事があった。ウイリアムズは、あるひとりの若者にF1初ドライブの機会を与えたのだ。それがアイルトン・セナであり、それから約10年後に、同チームでF1参戦することになるわけだ。
さて1986年、マンセルに加えネルソン・ピケを迎えたチームは圧倒的な強さを見せて合計9勝。ドライバーズタイトル獲得こそ逃したものの、コンストラクターズタイトルを奪取している。
ただこの年、フランク・ウイリアムズは交通事故に遭い、脊椎を骨折してしまう。これにより車椅子での生活を余儀なくされてしまい、以後は”車椅子の闘将”と呼ばれるようになっていく。
87年にも圧倒的な強さでダブルタイトルを獲得したが、同年限りでホンダエンジンを失うことになってしまう。そのホンダエンジンは、最大のライバルであるマクラーレンへ。ウイリアムズはジャッドエンジンを使わざるを得なくなった。
ただこの1988年限りでターボエンジンが禁止となり、ウイリアムズは1989年からルノーエンジンを手にすることになる。その結果成績はV字回復。1992年には、アクティブサスペンションやセミオートマチック・トランスミッション、トラクションコントロールなどのハイテクデバイスの熟成も進んだ結果、マンセルがFW14Bを手懐けて圧倒的な速さを披露。ダブルタイトルを獲得した。
ここからウイリアムズの黄金期が始まる。1994年と1995年こそベネトン&ミハエル・シューマッハーの後塵を拝したが、93年、96年、97年とダブルタイトルを獲得した。ただ1994年には、サンマリノGPでアイルトン・セナが亡くなってしまうという悲しい事故も経験した。
97年限りでルノーがワークス活動を終了させると、ウイリアムズの戦闘力も低迷。厳しい年が続いた。
ただ2000年からBMWのワークスチームとなると、ミシュランタイヤを使ったことも功を奏して一気に戦闘力を回復。上位争いを繰り広げるようになった。ただBMWとの関係悪化により、2006年からはコスワースエンジンを使うようになると戦闘力は厳しくなってしまった。翌年からはトヨタのカスタマーエンジンを使うようになったものの、戦闘力向上にはいたらなかった。
2012年からは黄金時代のコンビであるウイリアムズ・ルノーが復活。同年スペインGPでは、パストール・マルドナドがポール・トゥ・ウインを飾ってチームに久々の優勝をもたらすものの、それ以外に目立った成績は乏しかった。
2014年からは現行のメルセデス製パワーユニット(PU)を使い始めることになる。提携開始直後は、フェリペ・マッサとバルテリ・ボッタスが速さを見せ、ポールポジションを獲得するなどした。そして2014年、2015年と未勝利ながらランキング3位を手にしたが、その後は年々戦闘力を失ってしまい、2018年からは3年連続でコンストラクターズランキング最下位に甘んじてしまった。
そんな中2020年には、ドリルトン・キャピタルがチームを買収。それまでチームを率いてきた、フランク・ウイリアムズを初めとしたウイリアムズ家の面々は、チームの業務から完全に退くことになった。
2021年のウイリアムズは新体制での始動となり、成績は上向き傾向。ジョージ・ラッセルの活躍もあり、表彰台を獲得するなどしている。
なおチームの業務から退いた後、フランク・ウイリアムズは昨年12月に入院。詳しい病状などは明かされなかったが、10日ほどの病院生活を経て、自宅療養に移行したことが発表されていた。
そして今回、79年の生涯を閉じたことが、チームから発表された。F1の伝説を作った偉大な人物が、またひとりこの世から去ってしまった。
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