今からさかのぼること15年前、42歳という年齢で初めてF1の公式セッションを走ったひとりのドライバーがいた。彼の名前はシャノック・ニッサニー。フリー走行とはいえ、トップから13秒遅れのタイムに終わったそのセッションは、本来レーシングドライバーなら誰しも忘れたくなるようなものだが、ニッサニーはその経験を誇りに思っている。
このニッサニーのF1ドライブを、ただの茶番や悪名高き出来事として片付ける前に、まずは彼がそこにたどり着くまでの驚くべきストーリーを知る必要がある。それには、2001年のF1ハンガリーGPまで時を戻さなければいけない。
【フォトギャラリー】42歳でF1に! シャノック・ニッサニー全写真65枚
イスラエル出身のニッサニーは、ハンガリーのブダペストを拠点に不動産業で成功を収めたビジネスマン。彼は2001年のハンガリーGPに観客として訪れ、グランドスタンドでF1を観戦していた。
当時のことについて、ニッサニーは次のように語った。
「私はレースを見て、友人にこう言った。『F1ドライバーになりたい』と。レーシングカーはおろかカートにも乗ったことがなかったのにだ」
「すると友人は(冗談半分で)こう返した。『大丈夫。家に帰って薬を飲めばすぐに熱は下がるよ』と。でも私は本当に(レーシングキャリアを)始めたんだ。それも38歳でだ」
彼はイスラエルの化粧品会社『UPEX』を個人スポンサーにつけ、2002年のフォーミュラ2000ハンガリー選手権に参戦。ランキング2位となり、翌年にはチャンピオンに輝いた。そして2004年には、国際F3000にも3レース出走した(最高位12位)。
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
ふたりの偉業達成に、影薄まるドゥカティ勢。ドルナ買収による今後とレースの健全性/MotoGPの御意見番に聞くアメリカズGP
トヨタ、ランドクルーザー新型“250”シリーズの特別仕様車“First Edition”を限定8000台発売
5年ぶり開催のF1中国GP、路面は再舗装ではなくペイントしただけ? 複数のドライバーが不安視。サインツJr.「特殊な状況で処理されているみたい」
ランス・ストロールがトップ。ピアストリ、フェルスタッペン続く。角田裕毅は12番手|F1中国FP1速報
レッドブルF1は2025年も現在のコンビを継続か。パフォーマンスを改善したペレスがシート争いをリード
みんなのコメント
F1に乗るところまで読みたいのだけど、どこに書いてあるの?
変な記事だな。
続きが読めます。