この記事をまとめると
■マツダ・クロノスは上級4ドアセダンであるカペラの後継モデルとして1991年に発売
マツダファン「涙」の消滅! 他メーカーにはない「らしさ」全開の絶版車4選
■発売がバブル経済崩壊と重なったクロノスはマツダの業績悪化の元凶として扱われている
■業績悪化が響いたマツダは米国フォード傘下となり再出発を余儀なくされた
カペラの後継モデルとして誕生したクロノス
マツダのクロノスは、1991年に誕生した3ナンバー車格の4ドアセダンだ。それまで、マツダの上級4ドアセダンとして中核を担ったのはカペラだった。カペラは、レシプロエンジン車も併売されたが、1970年にロータリーエンジン搭載車として生まれている。
ロータリーエンジンは、コスモスポーツというふたり乗りスポーツカーで量産開始したあと、1968年からファミリアクーペに展開され、さらに人々の注目を集めるようになった。次いで、ファミリアより上級の車種としてロータリーエンジンを採用したのがカペラであった。また、一年遅れで、ロータリーエンジン専用車としてサバンナ(RX-3)が登場する。この初代サバンナが、日産スカイラインGT-Rとレースで雌雄を決し、国内ツーリングカーレースを大いに盛り上げた。
カペラも、当初はレースに出場したが、サバンナが誕生するとそちらに道を譲り、一般の消費者がロータリーエンジン車を味わえる車種として定着していった。
しかし、ロータリーエンジンに対する排出ガス規制と燃費改善の両面でカペラは苦戦を強いられ、さらにレシプロエンジンのみとなってからやや存在意義を失いつつあった。
そこに登場するのが、「FFカペラ」と呼ばれた4代目だった。丹精かつ合理的な外観とパッケージングで、一躍人気の的となったのである。再びカペラが市場での地位を得た。そこから徐々にバブル経済が国内で起こりはじめる。1987年には、前型の指向を継承した5代目カペラへモデルチェンジしたが、新鮮味は薄かった。
そうしたなか、バブル経済の後押しを得て1991年に誕生したのがクロノスであった。カペラがマツダ車のなかでは上級車種であっても5ナンバーであったのに対し、クロノスは3ナンバー専用車種となった。そしてカペラは、ステーションワゴンとバンを残して退陣となった。
ところが、バブル経済そのものは、1990年の暮れに崩壊している。そこから日本は、失われた20年と称される不況に陥り、就職氷河期を過ごした世代はいまなお生活に苦しんでいる。
マツダは当時、クロノスの誕生を機に、販売店系列の5チャンネル化を1988年に決めた。販売店の数をほぼ倍増し、生産体制も強化し、クロノスのような高付加価値の商品を5チャンネルの店舗それぞれに展開する策を採った。ところがその段取りが整い、いざ開始というときにバブル経済は崩壊したのである。崩壊直前の1990年には、一時的に販売台数も生産台数も過去最高を記録した一方、3ナンバー専用車として送り出したクロノスの人気は、以後高まらなかった。
結果、巨額の負債を抱えたマツダは、米国フォード傘下となり再出発を余儀なくされた。そうした凋落の象徴として、クロノスは記憶されたのであった。
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みんなのコメント
マツダは自分たちの身の丈を知らなかったとしか言いようがない。