この記事をまとめると
■織戸 学選手がGT300初タイトルを獲得したRS-Rシルビアについてインタビューを敢行
【ニッポンの名車】走りは良くも不人気だった不遇の日産S14型シルビア
■ポルシェ勢との激戦を制した当時を織戸選手本人と坂東正明氏が振り返った
■NISMO製パーツで武装したRS-Rシルビアは実戦で高い戦闘力と信頼性を誇った
織戸選手のキャリアにおいて超重要な1台
WEB CARTOPの読者諸兄ならば、織戸 学選手のことはご存じだろう。1990年のドリフトコンテストで活躍した織戸選手は1991年にレース活動を開始し、1996年には全日本GT選手権にデビュー。1997年にGT300クラスでチャンピオンを獲得すると、2000~2007年にはGT500クラスで活躍していた。2008年に再び活動の場をGT300クラスへ移すと、翌2009年にはGT300クラスで自身2度目のチャンピオンに輝いた。
以来、織戸選手は現在に至るまでスーパーGTで活躍しているが、1997年に初めてチャンピオンを獲得したときのマシンはS14型の日産シルビアだったことをご存じだろうか?
織戸選手といえば、1998~1999年にかけてレーシング・プロジェクト・バンドウのトヨタ・セリカでGT300クラスに参戦したほか、2000~2007年のGT500クラスではトヨタ・スープラ/レクサスSC430を武器に活躍。さらに2008~2010年には再びレーシング・プロジェクト・バンドウのセリカ/レクサスIS350でGT300クラスに参戦し、2009年にはIS350でチャンピオンに輝いたことから、トヨタ/レクサスのイメージが強いが、前述のとおり、じつは織戸選手のGTでの初チャンピオンを支えたのはシルビアだったのである。
しかも、1996年の第4戦・富士スピードウェイでチームJUNのスカイラインGT-RでGT500クラス、第5戦のスポーツランドSUGOでチーム・タイサンのMR2でGT300クラスにデビューした織戸選手にとって、チャンピオンを獲得した1997年は初のフル参戦を果たしたシーズンだった。
チームは新天地のRS-Rレーシングチームwithバンドウで、コンビを組むドライバーも初タッグの福山英朗選手だったが、織戸選手/福山選手はRS-Rシルビアを武器に第1戦の鈴鹿で開幕ウィンを獲得したほか、第2戦・富士スピードウェイおよび第3戦・仙台ハイランドで2位、第4戦・富士スピードウェイで3位に入賞。さらに第5戦のセントラルパークMINEではシーズン2勝目を獲得するなど猛威を発揮していた。
惜しくも最終戦のスポーツランドSUGOでは5位にとどまったが、それでもチーム・タイサンでポルシェを駆る鈴木恵一選手/新田守男選手を抑えて、1ポイント差で織戸選手/福山選手がドライバー部門でチャンピオンに輝いたほか、RS-Rレーシングチームwithバンドウがチーム部門でタイトルを獲得。
まさにRS-Rシルビアは、織戸選手にとって初タイトル獲得の原動力となっていたのだが、果たしてRS-Rシルビアとはどのようなマシンだったのだろうか?
というわけで、スーパーGT第2戦「FUJI GT 3 HOURS RACE GW SPECIAL」の舞台、富士スピードウェイで織戸選手に1997年のGT300クラス・チャンピオンマシン、RS-Rシルビアを解説してもらった。
織戸選手にとって思い出のマシン
——織戸選手は1997年にRS-Rシルビアに乗られていましたが、どんなマシンでしたか?
織戸選手:当時のGT300クラスはリアルに300馬力ちょっとのマシンだったからね。ノーマルエンジンにタービンを変えて、350馬力ぐらいの感じだったから、チューニングカーの延長にあったと思う。
——当時は輸入車勢が速かったんですよね? そのなかでシルビアはどうでしたか?
織戸選手:純レーシングカーのポルシェが速かったよね。でも、シルビアはNISMOがパッケージカーとしてリリースしていたからよくできたクルマだった。実際、その前の年につちやエンジニアリングが開発したMR2でGT300クラスに参戦していたんだけど、JTCCで使われていたエンジンが搭載されていたこともあって、MR2はかなりレーシーな仕上がりになっていた一方で、ドライビングが難しいクルマだった。でも、シルビアはチューニングカーにスリックタイヤを履いたような雰囲気だったので、乗りやすいクルマだった。
——シルビアに乗り始めて、いきなり開幕戦の鈴鹿で勝っていますが、開幕の段階から仕上がりがよかったんでしょうか?
織戸選手:NISMOもチームも総力を上げていたので、それなりにパフォーマンスはあったと思う。
——その後も優勝したり、2位、3位で表彰台を取ったりと順調にポイントを重ねていましたよね。その状況で最終戦のSUGOを迎えたと思いますが、なにか印象に残っていますか?
織戸選手:タイサンのポルシェとタイトル争いを演じていて、前でチェッカーを受けたほうがチャンピオン……という状況のなか、最終戦のSUGOはスタートで雨が降っていたんだよね。で、途中からドライアップしていって、後半は僕と新田選手のバトルになった。お互いに濡れた路面でスリックタイヤだったけど、前を走っていた新田選手がピットアウトしたところでスピン。その隙をついて前に出て、なんとかチャンピオンになることができた。
——こうやって振り返ってみると、シルビアはどのコースでも上位でチェッカーを受けているので、オールマイティなクルマだったのでしょうか?
織戸選手:足まわりとかは、すごくよかったと思うので、どのコースでもそんなに悪くなかったと思う。
——シルビアで初めてチャンピオンを獲得したことに思い入れはありますか?
織戸選手:シルビアが好きで、自分でも乗っていたからね。それにフル参戦1年目でチャンピオンになれたことは大きかったし、自信にもなったよ。
以上、織戸選手に当時の思い出を聞いた。続いては、当時織戸選手を起用していたレーシング・プロジェクト・バンドウでチーム代表を務めていた坂東正明氏(現GTA代表取締役)を直撃。
——1997年にレーシング・プロジェクト・バンドウでシルビアを投入されましたが、そのきっかけはなんだったでしょうか?
坂東氏:それまではずっとトヨタ車でレースをやっていて、自分たちでクルマを作ってきたけれど、NISMOが本格的にGT300クラスにも参入するということもあって、S14にしたんだよね。主要パーツとかも作られていたから、イチから作ることはなかったけれど、ホワイトボディに近い状態だったので、隣にあったレーシングサービス中春と自分たちで組み上げた記憶がある。
——当時のGT300クラスはチームで独自にできることが多かったんですよね?
坂東氏:当時はJAF-GTのような形で、チームで作れることが多かった。S14も細かい部分は自分たちで作ったよ。
——シルビアの投入1年目でタイトルを獲得できましたが、順調でしたか?
坂東氏:開幕前のテストではトラブルがあって大変だったけれど、その後は悪くなかったと思う。それに結果としてチャンピオンを獲得できたからね。チームとしてもよかったし、RS-Rが初めてフルサポートしたシーズンだったから、いい形で終われてよかった。
今年2月に開催された大阪オートメッセでRS-Rシルビアが展示されていたが、このようにRS-Rシルビアは現在、aprのドライバーとして30号車「apr GR86 GT」を駆る織戸選手にとってもレーシング・プロジェクト・バンドウにとってもメモリアルな1台で、多くのストーリーが込められている。
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