現在位置: carview! > ニュース > 業界ニュース > 自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第10回

ここから本文です

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第10回

掲載 更新
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第10回

あるとき富田は有名モーター誌を読んでいて、ひとつの記事に惹きつけられた。それは欧州のツーリングカーレースをメルセデスベンツのサルーンをベースにしたレースカーで参戦する、西ドイツのとあるチューナーに関する記事だった。チューナーの名前はAMG。今ではダイムラー・メルセデスの傘下だが、当時はまだ独立したチューナーであり、日本ではほとんど知られていなかった。

メルセデスベンツも大好きで、富田は当時、350SLを自分なりに改造して楽しんでいた。けれども、ベンツを改造して乗るということ自体がまるで理解されず、知り合いの自動車評論家(後に超有名となる人たち)からは、「メルセデスはノーマルで乗るものだ!」、とけなされてもいた。

観光名所ではないけれどしっかり見ておきたいラウンドアバウト──第8回 イタリア聖地ラウンドアバウト

そんなときにAMGの記事に出会ったのだ。そこにはAMGがベンツのチューナーとして西ドイツでは有名な存在で、あまつさえツーリングカーレースに出場し大活躍しているとあり、書き手は旧知の仲である成江淳だった。富田はすぐさま成江に電話し、AMGの話をさらに詳しく聞いている。

聞けば聞くほどに「チューニングはこれからアリだ」、と自信を深めた富田は早速、次のアクションをおこす。AMGの創設者であるハンス・ヴェルナー・アウトレヒトに会うために西ドイツ行きを決心したのだった。

写真右手前から富田、金古、ペリーニ。写真左がアウトレヒト。地味ではあったが、頑固な工場の親父のようで、職人気質な雰囲気を感じたという。いざ、西ドイツへ!富田は、友人で童夢USAの社長でもあった金古(真彦氏)に連絡を取り、AMGとのコンタクトを依頼。金古は欧州で著名なイタリア人ジャーナリストのジャンカルロ・ペッリーニに連絡し取り次ぎを頼んでいる。

富田はちょうど2カ月後に童夢を応援するためにフランスはル・マンに行くことになっていた。その帰りに西ドイツのAMGを訪問できるよう、ペッリーニがアポイントを取り次ぐ。

当時の富田は36歳。商談後には新車の280SEをレンタルして、川下りなどをして西ドイツを楽しんだという金古と連れ立ってフランクフルト空港に降りてみれば、ひげ面で陽気なペッリーニが見慣れぬアウディと共に待ってくれていた。それは先日(2019年8月27日)亡くなったフェルディナント・カール・ピエヒによって開発され衝撃のデビューを飾ったばかりのアウディ・クワトロで、ペッリーニはロードインプレッションを取っていたのだ。そのリアシートに収まった富田は、ペッリーニがまるでラリードライバーのようにドイツの道をかっ飛ばしたことを覚えている。81年のことだった。

AMGの本拠地はすでにアファルターバッハへと移っていた。けれども、田舎町であることに変わりはなく、AMGの工場もまた簡素にして質素なものだった。後に富田は、「もしあの時のAMGが立派な会社と工場でボクたちを迎えていたとしたら、チューニングカービジネスを日本で興そうという気にはならなかったかも知れない」、と本音を漏らしている。

アルピーヌを初めて見て、「これならできる!」と若い富田が不遜にも思ったように、この時もまた、AMGの質素で実直な佇まいをみて、自分でもできる!と思えたというわけだった。

アウトレヒトと直談判AMGとは、創業者であるアウトレヒトのAとメルヒャーのM、そしてアウトレヒトの故郷であるグロースアスパハのG、という三つの頭文字を併せて造られたものだ。1981年のこのとき、メルヒャーは経営から退いており、アウトレヒトが陣頭指揮を取っていた。

富田がやってきたアファルターバッハは事業拡大に伴って創業の地ブルクシュテッテンから移転した場所であり、メルセデス傘下となったのちも引き続きこの地にメルセデスAMGの本社と工場は存在している。

富田がやってきた当時のAMGは、決して小さくはないけれどもプレハブ倉庫のような工場が並んでいるだけで、町工場の域を出るものではなかった。前述したように、富田が自信を持つくらい、それは質素で簡素なものだった。それでも西ドイツとアラブの客がAMGを求めてアファルターバッハまでやってくるのだという。富田は閃いた。いずれ日本人もやってくるだろう、と。

アウトレヒトはいかにも頑固そうな町工場のオヤジ然とした職人で、富田たちを快く迎えてくれたという。工場をひとしきり案内された富田は、すぐさまAMGの日本代理店契約を獲得すべくアウトレヒトとの契約交渉に挑んだ。

広告掲載後、取材は殺到したがサンプルカーは1台のみ。過密スケジュールを何とかやりくりして切り抜けた。富田は当時を振り返って、それまでで一番神経を使った経験だとしているAMG日本総代理店に交渉は、富田が日本語で話し、それを金古が英語に換えて、イタリア人のペッリーニがドイツ語に訳すという、のんびりとしたものだった。交渉はトントン拍子に進んで、正式な契約を後日、富田がスーパーバイザーを努める高島屋を通じて行なうことで結論をみた。このとき富田はデモカーとして2台のコンプリートカー(SECとSL)と数台分のパーツをサンプル購入し、日本へと輸出している。

日本にデモカーが届くと、富田は早速、専門誌にプレスリリースを送り、雑誌広告にはAMGロゴ入りの宣伝を掲載した。

サンプルカー1台で取材を切り抜けた経験は、のちのトミーカイラM30の発表の際にも役立った知名度ゼロ。メルセデスベンツを改造するバカがどこにいる?と思われていた時代であった。ところが、富田の予想に反して、専門誌からすぐに取材依頼が殺到した。富田曰く、「ただカッコウいいだけのスーパーカーにみんな飽きてたんと違うかなぁ。もっと現実的で実用性もあって、ちゃんと性能の出る高級車を望んでいたんだと思う」。

そう、誰もが“スーパーカーの次”を探していたのだ。富田の挑戦は吉と出た。同時に富田には別の野望も芽生えている。日本車をベースとした本格的なチューニングカービジネスだ。車検を通るコンプリートカーというアイデアはまだまだ珍しかった。

しかし、日本車がドイツ車のようになるにはまだ早い。それまでドイツのチューニングカービジネスを学ぼうと、富田はBMWを使ったブランド、ハルトゲに食指を伸ばす。

次回予告

トミタオートはついにチューニングカービジネスに乗り出した。AMGやハルトゲ(次回紹介)といった今となっては超有名なブランドを日本に導いた富田の次なる野望は、日本車をベースとしたオリジナルコンプリートカーを造ることだった。“改造車”=暴走族御用達というイメージだった時代に、それは一見、無謀な挑戦にも見えたのだが……。

文・西川 淳 編集・iconic

こんな記事も読まれています

「ここまで苦しんだことはなかった……」角田裕毅、19番手に終わったF1中国GPスプリント予選の苦戦に困惑
「ここまで苦しんだことはなかった……」角田裕毅、19番手に終わったF1中国GPスプリント予選の苦戦に困惑
motorsport.com 日本版
BASFコーティングス事業部、アジア太平洋地域で自動車補修用新世代のクリヤーコートとアンダーコートを発売
BASFコーティングス事業部、アジア太平洋地域で自動車補修用新世代のクリヤーコートとアンダーコートを発売
AutoBild Japan
マツダ、新型3列シートSUV『CX-80』をついに世界初公開 日本導入時期は
マツダ、新型3列シートSUV『CX-80』をついに世界初公開 日本導入時期は
レスポンス
ノリス、”オール・オア・ナッシング”のアタックが報われポール「状況は悪かったけど、楽しかったよ!」
ノリス、”オール・オア・ナッシング”のアタックが報われポール「状況は悪かったけど、楽しかったよ!」
motorsport.com 日本版
トヨタ、ランドクルーザーの中核モデル“250”シリーズを発売
トヨタ、ランドクルーザーの中核モデル“250”シリーズを発売
AUTOSPORT web
新型「ランドクルーザー250」のタフ感アップ!モデリスタがカスタマイズパーツ発表
新型「ランドクルーザー250」のタフ感アップ!モデリスタがカスタマイズパーツ発表
グーネット
F1中国GPスプリント予選で3番手アロンソ「グリップレベルとリスクのバランスを判断するのが難しかった」
F1中国GPスプリント予選で3番手アロンソ「グリップレベルとリスクのバランスを判断するのが難しかった」
motorsport.com 日本版
スズキ「アルト」が累計506万台! インドで日本より短い40年4カ月で3000万台の生産を成し遂げた理由とは
スズキ「アルト」が累計506万台! インドで日本より短い40年4カ月で3000万台の生産を成し遂げた理由とは
Auto Messe Web
ホンダ 新型SUV「WR-V」車中泊仕様など4台出展 アウトドアデイジャパン名古屋2024
ホンダ 新型SUV「WR-V」車中泊仕様など4台出展 アウトドアデイジャパン名古屋2024
グーネット
マツダ新型「最上級3列SUV」世界初公開! 新型「CX-80」24年秋に欧州で発売! 日本導入も予定!
マツダ新型「最上級3列SUV」世界初公開! 新型「CX-80」24年秋に欧州で発売! 日本導入も予定!
くるまのニュース
マツダ、2024年のスーパー耐久 次世代バイオディーゼルやCN燃料で参戦
マツダ、2024年のスーパー耐久 次世代バイオディーゼルやCN燃料で参戦
日刊自動車新聞
1986年、国内でグループAレース人気が加速する【グループAレースクロニクル1985-1993 JTC9年間の軌跡(3)】
1986年、国内でグループAレース人気が加速する【グループAレースクロニクル1985-1993 JTC9年間の軌跡(3)】
Webモーターマガジン
アウディ「Q8スポーツバックe-tron」新パッケージ発表 一充電航続距離が619kmに
アウディ「Q8スポーツバックe-tron」新パッケージ発表 一充電航続距離が619kmに
グーネット
自然なフォルムで視認性アップ!トヨタ・スズキ純正用ワイドミラー5種発売 カーメイト
自然なフォルムで視認性アップ!トヨタ・スズキ純正用ワイドミラー5種発売 カーメイト
グーネット
MINI、「北京モーターショー2024」でMINIファミリー最新モデル「MINI エースマン」を発表
MINI、「北京モーターショー2024」でMINIファミリー最新モデル「MINI エースマン」を発表
LE VOLANT CARSMEET WEB
将来のスポーツカー開発を視野に入れた取り組みも。マツダが2024年スーパー耐久参戦体制を発表
将来のスポーツカー開発を視野に入れた取り組みも。マツダが2024年スーパー耐久参戦体制を発表
AUTOSPORT web
「海外生産の日本車って大丈夫?」なんて心配いまは無用! それでも国内販売で苦戦する理由とは
「海外生産の日本車って大丈夫?」なんて心配いまは無用! それでも国内販売で苦戦する理由とは
WEB CARTOP
雨の混乱の中、ノリスが驚異の走りでポール! ハミルトンが2番手、角田裕毅はSQ1敗退|F1中国GPスプリント予選
雨の混乱の中、ノリスが驚異の走りでポール! ハミルトンが2番手、角田裕毅はSQ1敗退|F1中国GPスプリント予選
motorsport.com 日本版

みんなのコメント

この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

おすすめのニュース

愛車管理はマイカーページで!

登録してお得なクーポンを獲得しよう

マイカー登録をする

おすすめのニュース

おすすめをもっと見る

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離(km)

新車見積りサービス

店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!

新車見積りサービス
都道府県
市区町村