■エンジンでもモーターでも、チンクを後世に残そう!
あらカワイイ! だとか、おっ雰囲気あるじゃん! だとか。
そんなふうに見る人の気持ちをふんわり柔らかにして、一瞬でなごませちゃう不思議なパワーを持つクルマ、「ヌォーヴァ・チンクエチェント」こと2代目フィアット「500」。長さは3mたらずで幅は1.3mほどと車体は軽自動車より遙かに小さいのに、存在感はスーパーカーにだって負けてない。ルパン三世の愛車でもある。だから名前は知らなくたって姿くらいは知ってる、という人も少なくないだろう。そしてその中には「ちょっと乗ってみたいかも」なんて思ってる人も、結構いるんじゃないだろうか?
ファンからは単に「チンクエチェント」、あるいは親しみを込めたニックネームとして「チンク」と呼ばれるこの小さなクルマは、車齢的にはもはやクラシックカーといえる領域にある。なにせ最初の1台が街を走りはじめたのは1957年、最後の1台が街に飛び出したのが1977年。
第2次世界大戦後の復興の流れで、高価なクルマが買えずにスクーターをアシにするしかなかったイタリアのフツーの人達に何とか手が届く乗用車を、とフィアットが企画したのがこのクルマなのだ。
ダンテ・ジアコーサという天才的な技師兼設計者が生み出したのは、極めて無駄がなくシンプルで、けれど驚くようなアイデアがあちこちに盛り込まれた、とても凡庸とはいえない実用車だった。イタリアの人達は諸手を上げて歓迎し、あらゆる街に次から次へと自然に溶け込んでいき、チンクエチェントは国民車のような存在になった。イタリア人なら誰もがひとつぐらいはチンクエチェントにまつわる想い出がある、と今でもいわれるほどだ。
そういうクルマだからして、今も世界中にチンクエチェントを愛する人達はたくさんいる。構造的にシンプルだしパーツ点数も少ないから、しっかり整備されていれば同世代の他のクルマ達より故障しづらいという傾向もあって、実用できるクラシックカーとして日々を楽しんでいる人達も、意外や多い。
ただし現代のドライバー達にとって、ハードルが高い部分もなきにしもあらず、だ。まず、トランスミッションはノンシンクロの手動式のみだから、MTを扱える人じゃないとダメだし、さらにはノンシンクロのクセに合わせた運転ができないとミッションを長持ちさせられない可能性もある。
そして古いクルマだから購入するときにはしっかり個体を吟味する必要があって、コンディションの良否を見極められないと後につらい想いをするかも知れない、ということ。そしてエンジンが空冷直列2気筒の499.5cc(初期は479ccで最後期は594cc)、パワーは基本18ps(後期の594ccでも23ps)。加速は鈍いし、スピードもない。現代の交通環境に合わせて走るのは、なかなかの冒険なのだ。
●AT限定免許でも運転できるチンクエチェント
ところが今回ここに紹介するチンクエチェントは、それらをマルっとクリアできてるクルマだった。世界でも稀なフィアット500専門のミュージアム、名古屋のチンクエチェント博物館がプロデュースする「フィアット500EV」。クラシック・チンクエチェントの電気自動車だ。
チンクエチェント博物館は、フィアット500を心から愛してる人達による私設博物館。チンクエチェントという稀代の名車を未来に向けて保護・保存し、活き活きと走らせ続けていくということを理念に、幅の広い活動をおこなっている。そんななかから生まれたのが、チンクエチェントを電動化する、という発想だった。
今すぐ内燃機関のみを動力源にするクルマが走れなくなるわけじゃないけれど、時代がEV優位な方向に傾いているのは確かな事実。時代が移り変わってもチンクエチェントを生き残らせていくためには、EVへのコンバージョンはひとつの可能性を作り出すんじゃないか? 根底にあるのは、そういう時代を見据えた考え方だ。
それに加え、マニアには好ましいものであるにせよ一般の人にはちょっと厄介かも知れないチンクエチェント特有のクセのようなものを、EVにすることでクリアにすることができる。クラッチ操作が必要なくなるから、AT限定免許の人でもドライブできる。つまり、より多くの人にチンクエチェントというクルマと暮らしてもらうことができる、ということも大きい。もちろん、やってみたら楽しそう、ということもあったことだろう。
メンバーの全員がチンクエチェントに精通し、イタリアにも太いパイプを持っている。現地のチンクエチェントのスペシャリスト達とも長らく良い関係にある。チンクエチェント博物館は、これまでもそうした現地のスペシャリスト達の眼鏡に適った良好な状態を保つ個体や、スペシャリスト達がウィークポイントに手を入れたりフルレストアしたりしたコンディションのいいクルマを厳選して、日本のユーザーに届ける活動もしてきている。そこに関しては、また改めて紹介する機会があるだろう(というか間違いなくあるのでお楽しみに)。
そして、これはその電気自動車バージョン。クルマの内外装やシャシ周りなどをフルレストアし、フロントの燃料タンクの位置にリチウムイオンバッテリーを、リアのエンジンの部分にイタリアのニュートロン社製EVコンバージョンキットを組み込んだチンクエチェント。それをイタリアで製作して日本でも走らせよう、というプロジェクトだ。
■ライフスタイルも見直したくなる「500EV」とは
今回紹介するのは、そのプロトタイプというべきモデルである。ベースとなったのはフィアット「500F」。年式やタイプなどでディテールが異なるチンクエチェントだが、なかでも「Fタイプ」はルックスとしてもっとも馴染み深いモデルだと思う。
光栄なことに、僕はこのクルマが2020年6月に日本に上陸した直後、車両の初期テストを兼ね、もっとも早いタイミングでステアリングを握らせていただいたドライバーのひとりだ。チンクエチェント博物館の本拠である名古屋の街中を、2回も全日本ラリー選手権のチャンピオンを獲得しているmCrt(ムゼオ・チンクエチェント・レーシング・チーム=チンクエチェント博物館が運営するレーシングチーム)所属のラリー・ドライバー、眞貝知志選手と交代で、電欠を迎えるまで走り回った。今回は2度目の試乗、である。
クルマの基本コンディションは抜群といえる。チンクエチェント博物館の理念がチンクエチェントの保護・保存だから、それも納得。搭載されるリチウムイオンバッテリーは5.5kWhで、モーターの最高出力は13kW、最大トルクは160Nm。13kWというのは17.7psだから、ベースの2気筒500ccとほぼ一緒。ところが160Nmというのは、2気筒500ccの3.1kgmとは段違いの16.32kgmに相当する。
それだからして、クラシック・チンクエチェントを知る人からすれば驚異的と感じられるほど、出足は速く力強い。内燃機関のチンクエチェントでは、速度がのって巡航に入るまではバックミラーが気になって仕方がないくらい。気の荒そうなクルマが背後についたときには速攻で道を譲りたくなるほどだ。
が、500EVは、アクセルペダルをグイと踏み込めば交差点から最初にダッシュを決めて後ろを引き離せるし、普通にスタートしても一般のクルマに置いていかれるということがない。じれったさだとか焦りに似たような感覚に見舞われることがないのだ。前回の試乗で体験してるというのに、「おっ、これ速いぞ」とまたしても軽く驚いてしまったほどだ。アクセルを踏んだ瞬間からトーンと強力にトルクが立ち上がるモーター駆動ならではのメリットであり、フィーリング。そして、それがまた楽しいのだ。気持ちいいのだ。
EVには基本、ギアボックスは必要ないのだが、このクルマはオリジナルの4速MTを残したまま。ただし1速と2速ではモーターが過回転となって壊れる可能性があるため、使うのは3速と4速のみだ。街中ではより力強さを得られる3速、郊外ではクルージングに優れる4速、とイメージしてもらえばいいと思う。
だがトランスミッションが残っていることで、別の面白味が感じられるところもある。EVは基本、静かな乗り物。500EVも「ぽろろろろ……」という空冷2気筒のサウンドは当然ないわけだが、モーター/インバーターの音にギアのうなる音が混ざることで、静けさのなかにもメカニカルな乗り物を走らせてる感覚というのがちゃんとあるのだ。デジタルとアナログの融合。決して無味無臭なんかじゃない。「味わい」が大切な趣味の乗り物としての要素が大きいのだから、これは歓迎すべき副産物だろう。
チンクエチェントはRRレイアウトで、EVも当然それをそのまま継承しているわけだが、もともとは燃料タンクのあったフロントフード下の一番高い部分にバッテリーを積んで、もっとも重いエンジンの代わりにコンパクトなモーター系が載っている。つまり内燃機関のチンクエチェントと較べると、おでこの辺りが重くなってお尻の辺りが軽くなってるわけだ。
だから初めてこのクルマを走らせたときには、最初のうちは運転してる自分の膝の上の辺りに重さがある感じで、ステアリング操作に対してほんの瞬間だけ短いノーズが遅れて反応するようにも感じたものだった。けれど、おもしろいものだ。しばらく走らせてるうちに、それが全く気にならなくなってくる。というか、クラシック・チンクエチェントを知らない人にとっては、そこはあくまでも自然で何も気になったりはしないぐらいのもの、といっていいだろう。
それに加速体勢に入ったときのRR特有のトラクション感、コーナーというコーナーで意外なほどの軽快なターンを見せるスポーティなフットワークは、間違いなくチンクエチェントならではのもの。その楽しさが、気持ちのなかでどんどん膨らんでくるのだ。おそらくこの500EVで初めてチンクエチェントを体験する人は走らせてる間中ずっとニヤニヤしちゃうだろうし、古くからのマニアでも、チンクエチェントであってチンクエチェントじゃない、チンクエチェントじゃないけどチンクエチェントそのものといったその新鮮な感覚に、やっぱりニヤニヤしちゃうことだろう。ぶっちゃけ、理屈抜きで楽しいのだ、500EVは。
●もともとスクーターの代わりとして開発された「500」
繰り返しになるけれど、今回の個体はあくまでもプロトタイプで、市販版はまた違ったディテールを持つ部分も出てくるだろう。その詳細は、市販版が上陸してからあらためてお知らせしようと思ってる。とはいえごく基本的なスペックは、プロトタイプから踏襲されることになるようだ。
プロトタイプは5.5kWhのバッテリーパックひとつのONE BATTERY仕様で、フル充電の状態でおよそ40km走ることができる(日本で最初にこのクルマを電欠させた身としては感覚的にもう少し行けると思ってるけど)。そして市販版にはこのONE BATTERY仕様のほか、10kWhのTWO BATTERY仕様も用意される。こちらはおよそ80kmだという。充電は家庭用の200V電源でおよそ3時間半、といったところだ。
航続距離が少ない? まぁ、確かにそうだ。さすがに一発の走行距離がどうしても長くなりがちなエリアに住んでいて、日々の実用車としてガシガシ使いたい、というのには不向きではある。けれど内燃機関のクラシック・チンクエチェントですら、現在では特別なことでもない限り一発数百キロのロングに使われることなんて稀。多くの場合は自分の日頃の行動半径の中を気持ちよく巡回し、一緒に走ることそのものを楽しむという、いわば趣味のクルマなのだ。愛玩動物ならぬ愛玩自動車のようなもの。
そもそもクラシック・チンクエチェントはスクーター代わりにもっと便利なものを作ろうと開発されたわけで、いわばシティコミューター的な意味合いも強い。そんなふうに考えると、このくらいの航続距離でもいいんじゃないか? なんて思えてきたりはしないか?
ONE BATTERY仕様でも、途中で食事したり買い物したりの間に充電するならば、往復80kmほどの距離を楽しめる。電気自動車は多かれ少なかれそうした「クルマとの過ごし方」を変えていく発想が必要な乗り物で、逆をいえば工夫次第で、あるいは慣れていけば、それほどの不自由は感じられなくなっていくところがある。そしてこの電動チンクエチェントの小さな車体には、そうするだけの価値がパンパンに詰まってると思う。
ONE BATTERY仕様は506万円から、TWO BATTERY仕様は550万円から。これはベースになるクラシック・チンクエチェント、フルレストアする費用、EVコンバージョンキットの費用とそれを組み込む工賃、さらには日本までのロジスティックの費用などを考えると、破格ともいえる金額だと思う。名古屋のチンクエチェント博物館に行けば実車を見ることも触れることもできるので、興味のある人はぜひぜひ訪ねてみることを強くオススメしたい。
いや、これ、マジで楽しいんだから。
●チンクエチェント博物館
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私のチンクは、チャージランプが消えなくなって困り果てている。マレリーのオルタネーターがリビルド品でも高すぎて買えない…