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東京の都心になぜ「1丁目が存在しない町」があるのか──住居表示の合理化が壊した町の誇り、いまも残る地名のねじれとは

掲載 更新 48
東京の都心になぜ「1丁目が存在しない町」があるのか──住居表示の合理化が壊した町の誇り、いまも残る地名のねじれとは

「1丁目不在」の現象

 東京都千代田区の北東部に位置する神田には、「1丁目が存在しない不思議な町名」が点在している。神田多町(たちょう)、神田司町(つかさちょう)、神田鍛冶町(かじちょう)――いずれも2丁目以降は存在するが、1丁目だけがない。

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 都心部という土地柄もあって、この違和感に気づく人は少なくない。過去には、こうした疑問を掘り下げたメディアもある。例えば『東京新聞』は2015年7月20日付朝刊の「TOKYO発 神田のフシギ 1丁目がなかったり3丁目しかなかったり」という記事で、この謎に触れている。同紙は、住居表示の実施に際して

「地元の意向などで住居表示をせず、従来の町名を維持した」

と説明する。だが、この説明だけでは核心に迫れていない。なぜ従来の町名を維持したにもかかわらず、1丁目だけが消えたのか。なぜ2丁目から始まる異例の番地体系が生まれたのか。

 この現象の背景には、住居表示制度の導入をめぐって住民と行政の間で繰り広げられた、知られざる攻防があった。

千代田区で進まぬ町名統合

 江戸時代から続く歴史を持つ神田地区では、明治以降も町名が区割り単位で細かく入り組んでいた。昭和期に入り、関東大震災(1923〈大正12〉年)からの復興が進むと、町名の大規模整理が行われた。例えば、神田司町2丁目は1935(昭和10)年、佐柄木町・新銀町・雉子町・関口町・三河町3丁目・4丁目を統合して誕生した。

 これでも整理は進んだが、なお地番ベースのままだったため、番地が飛び飛びとなり、入り組んだ非合理的な町割りが残された。郵便配達や行政事務に支障をきたす要因となっていた。こうした背景を受けて、1962年に国は「住居表示に関する法律」を公布。不合理な区割りや町名を整理する方針を打ち出した。

 住居表示の基本ルールは明快だ。町名は道路を境界として街区単位で設定し、すべての建物に

「○丁目○番○号」

を順序通りに割り当てる。千代田区では、1962年12月に住居表示審議会を設置。1966年頃までに完了させる計画を立てた。

 だが、この方針に対する住民の反応は一様ではなかった。『新編千代田区史 区政史編』によれば、外神田1~6丁目では住民の多くが賛成し、協力的だった。一方、神田三崎町では町会をあげて強く反発。区が提案した新町名「西神田」への改称を拒否した。署名活動や陳情書の提出など、激しい反対運動が展開された(のちに、三崎町のまま住居表示を実施)。

 同史には、1965年4月から1971年7月までの間に寄せられた30通以上の意見書や陳情書、町内会の決議書が掲載されている。その多くが

「現町名を残せ」
「町割りを変えるな」

という内容だった。すなわち、住居表示は不要とする声が地域には根強く存在していたことがうかがえる。当時の地域紙『千代田週報』1964年8月1日付には、各町の具体的な意見が掲載されている。以下に一部を抜粋する。

・多町二丁目:神田駅北口通りを町境にするという、区試案には反対する。
・鍛冶町三丁目:現状にこだわらず、理想的な町割りにして欲しい。
・鎌倉町:修正案を実現させ、初志を貫くよう最善の努力をすることにしている。
・司町二丁目:区画整理後のごたごたがなくなって町会が一つにまとまり、よそからもまとまりのよい町だといわれるようになったのは戦後のことだ。それほどの町会を分けられてしまうのを残念がる空気が町内には非常に強い。

これらの意見から見えてくるのは、制度の理念と地域の現実との深い乖離である。住民にとって住所は単なる記号ではない。生活実感や歴史的な記憶と密接に結びついており、合理化の論理だけでは切り取れない。また、『千代田週報』1964年1月11日付には、住民が主張する住居表示の問題点が挙げられている。

・これまでの町を全然無視したもの
・いつ撤廃されるかわからない都電通りを重くみ、これで区割りしようとしたもの
・区出張所区域も、小学校通学区域も違うところを一つにしようとしたもの

こうした懸念は、単に町名を残したいという感情論ではなかった。実際の生活や行政サービスとの整合性を欠くという、具体的かつ実利的な問題提起だった。同時に、より根深い要素として、町名に対する強い愛着と誇りも背景にあった。

合意形成に7年かかった町会

 神田地区では、住居表示制度の導入に際し、特に複雑な対応が求められた。背景には実利的な問題だけでなく、町割りや町名といった地域アイデンティティの根幹に関わる要素が絡んでいたからだ。『新編千代田区史 区政史編』は、当時の住民の声をこう記録している。

「住居表示には応じるものの、町名で一致できないので応じられない」。

こうした地域も実際に存在した。

 神田は江戸時代からの歴史を持つ土地である。それゆえ、町名は単なる行政区分ではなく、象徴的意味合いを帯びていた。多くの地域では、住居表示に応じる代わりに「神田」の名称を町名に残すことを求めた。

 一方、区の住居表示審議会は「神田」の多用に否定的だった。提案された新町名の多くは、「万世橋」「須田町」「秋葉」など、あえて神田を用いないものだった。唯一の例外が「東神田」である(『千代田週報』1964年4月4日付)。

 しかし、住民側は「神田」の維持に強くこだわった。現在の外神田1~6丁目は、当初は「万世1~6丁目」とすることで町会内の意見をまとめたが、最終的にはこれを撤回。外神田に落ち着いた。この動きからは、「隣の町会が神田を名乗るなら、こちらも」といった空気が漂っていたと推測できる。『千代田週報』1964年10月24日付は、こう記している。

「外神田と東神田を除く中心部はその地域内の複雑な事情、あるいは内側との関係などから予定期日をはるかに経過しながら、いまなお実施する段階になっていない」

この背景には、町会内部での意見対立もあったとみられる。記録には穏やかなやり取りしか残されていないが、実際には現状維持を望む住民と、再編・合併による合理化を受け入れる住民との間で、表に出ない対立が続いていた可能性が高い。

 こうした混乱は、千代田区に限らず全国各地で見られた。多くの自治体では、最終的に議会の議決を経て行政が強行的に実施するケースもあった。だが、当時の千代田区長・遠山景光氏はその方式を取らなかった。『千代田週報』1965年8月29日付で、こう述べている。

「そこに住み、そこで営業している多くの人々の賛成をえない案を強行しようなどとは絶対に考えていない。強行するように、という如何なる指示があっても断乎これを拒否する強い決意でいる」

その結果、千代田区では合意が得られた町から順次実施という方式が採られた。神田司町や多町、鍛冶町では、1丁目は話し合いがまとまり住居表示で消滅したが、2丁目以降は折り合いがつかず、旧町名のまま残された。

 1980(昭和55)年、紀尾井町で住居表示を実施したのを最後に、区役所内では町の平和を奪ってまで進める必要はないという意見が大勢を占めた(『新編千代田区史 区政史編』)。その後、制度の実施作業は事実上ストップした。

こうして現在に至るまで、神田地区には「2丁目から始まる町」や「1丁目だけが消えた町」といった、奇妙な町名が残されることになった。

合理化が生んだ町名の歪み

 ここまで見てきたとおり、「神田」という旧町名が持つ象徴的な価値は、想像以上に重い。その影響力は近年においても変わらない。

 2013(平成25)年から2014年にかけて、千代田区では「神田三崎町」「神田猿楽町」への町名回帰をめぐり、住民の間で再び激しい議論が起こった。区の住居表示審議会では、町会長らが

「神田はブランドであり、地名が体に染みついている」

と主張。地名の継承は、地域アイデンティティの保持に直結すると訴えた。一方で、企業側からは慎重な声もあがった。看板やチラシ、ゴム印などの再制作にともなう負担が大きく、なかには町名が変更されれば区に対して損害賠償を請求するとまで明言する出席者もいた。2014年9月、町名変更案は区議会生活福祉委員会で可決された。しかし、住民全体への十分な意向調査がなかったことが問題視され、付帯決議では

「地域が分断されるなどの混乱を招かないよう努力を」

との注意が付された。一連の経緯は、町名が単なる行政コードではないことを明確に示している。地名は

・商業的信用
・地域文化
・住民の誇り

と強く結びついている。「神田」の二文字があるかどうかで、店の看板の意味が変わり、地域の結束さえ揺るがされる。町名とは、経済・記憶・共同体が交差する接点にほかならない。

 住居表示制度は、本来は都市の拡大とともに複雑化した住所体系を整理し、行政や郵便、防災の効率化を図る目的で導入された。丁目・番地・号で住所を統一し、街区単位で整然と整理する構想自体は合理的だった。

 しかし、制度を地域に適用する過程では、住民の意向や歴史的背景との間に摩擦が生じた。結果として、一部の町では住居表示が部分的にしか実施されず、次のような整合性の欠如が生まれた。例えば

・表示が導入された区画とそうでない区画が混在する
・町境が不自然に湾曲する

といった現象である。いずれも制度設計の想定外だった。

 実際、こうした不連続な住所体系は、郵便配達や行政手続、交通案内、地図データ処理といった日常業務にも混乱をもたらしている。皮肉なことに、整然さを目指した制度が、合意形成に失敗した地域においては、かえって混沌を生む結果となった。

枝番・飛番増加が招く混乱

 町名の維持が原因で、特異な住所体系が生まれた例が大阪市中央区の上町である。かつての南区と東区の両方に「上町」が存在していた。本来であれば、いずれかを2丁目として整理すべきだったが、双方が「昔からの上町である」と主張し対立。最終的には「大阪市中央区上町A~C」という変則的な表記で折り合いをつけた。

 住居表示をめぐって意見が割れた地域では、

・枝番・飛番・欠番の発生
・町境の飛び地化

など、制度本来の目的に逆行する現象が多く報告されている。結果として、地図や郵便配達、ナビゲーションシステムの運用にも支障が生じているのが実情だ。

 こうした経緯を受け、近年では旧町名の復活を正式に制度化する動きも出てきた。例えば金沢市では、住民の申し出に応じて旧町名を復活できる「旧町名復活条例」を制定。過度な合理化が地域の歴史や文化、そしてアイデンティティを損ねたことへの反省に基づく措置である。「町名を消す」のではなく「受け継ぐ」姿勢が徐々に広がり始めている。

 住居表示はもともと、都市の拡大にともなって複雑化した住所体系を整理し、郵便や行政、防災の効率化を目的に導入された制度だった。しかし現在、郵便局や宅配業者は住所情報をコード化して処理しており、多少の町名の歪みや欠番があっても配達に支障はない。デジタル地図やナビゲーションも緯度経度で管理されており、整然とした丁目構成の必要性は薄れている。

 その結果、町名・丁目・番地といった要素は、制度上の識別記号というよりも、人間が地域を認識し、記憶し、つながるための記号としての役割へと変化している。

変化時代の町名継承課題

 それでも町名が争点になるのは、町名が「実用」ではなく

・記憶
・誇り
・つながり

の象徴として機能しているからである。神田のように町名に強いアイデンティティを抱く地域では、合理性と歴史性、制度と共同体の間で今もギリギリの均衡が保たれている。

 今後の都市は、再開発や人口変動、高齢化など複雑な変化に直面する。そのなかで町名や住所体系の見直しは避けられない。しかし、それは単なる技術的な整理ではなく、

「どのような名前でこの土地を記憶し、どのようなつながりを未来に残すのか」

という社会文化的な選択でもある。制度の合理性と住民の歴史観・文化観の衝突は、一朝一夕に解消できない。

 だからこそ、私たちは合理性と記憶性のいずれかを選ぶのではなく、両者をいかに共存させるかという課題に向き合う必要がある。(昼間たかし(ルポライター))

文:Merkmal 昼間たかし(ルポライター)

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Merkmal

みんなのコメント

48件
  • ANGEL☆BEAT
    〇丁目が無いだけであれば、麻布狸穴町とか都心部でも住居表示未実施な場所はまだまだあるが、二丁目から存在するというのは珍しい。
    二丁目といえば、八潮市二丁目。これは初見殺しで八潮市八潮二丁目と混乱する。
  • 神田橋の若隠居
    私は神田錦町で生まれ育ち住んでいます
    『神田』と付くのは『神田橋』がすぐ側だから 
    元々神田地区は江戸時代に『〜町』と名前のある町人地と武家屋敷の並ぶ武家地に別れています
    私のすむ神田錦町南側は武家地なので町名はなくただ『神田橋御門外』や『一橋御門外』と呼ばれていました
    町人地に町名があるのは町年寄・町名主・大家による町人と町人地に住む百姓身分の管理の為に住所が必要だから
    武家地に住む武家や武家の家臣は管理する必要がなかったからです
    その影響で旧町人地に住む人達は町名にこだわりがあり、旧武家地に住む人達は町名など気にしない という歴史があります
    ただ将軍家退転から150年以上経ち江戸時代から住む江戸っ子も僅かになり千代田区民でもほとんどが東京っ子になりその辺りも薄れてきています

    『神田』にこだわる三崎町や岩本町などは千代田区の端っこというのもあるのかもしれません、外神田や和泉町など川向こうもってのは面白い
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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